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日本のUFO伝説『金色姫/うつろ舟』ービジネス解釈ー

茨城県・蚕影山縁起にある”金色姫”について、ビジネス視点で解釈してみました。

まずは、物語の概要から。
1.天竺の金色姫が桑の木でできたうつぼ舟で海に流された。
2.金色姫が常陸国、豊良(豊浦)に漂着した。
3.地元の漁師に助けられたが、死んでしまった。
4.金色姫を入れた箱の中に蚕が発生した。
5.桑の葉をあげたら食べた。
6.筑波山の仙人が絹としての利用方法を教えてくれた。
7.欽明天皇の娘、かぐや姫が筑波山に飛んできて、「わたしは金色姫です」と言った。
8.かぐや姫が富士山に飛んで行くと、竹取の翁がそれを拝んだ。
9.これが、日本の養蚕の始まりである。

いろいろな物語が混ざっていて、コメントしにくいのですが、これは永禄元年(1558年)に京都で書かれた『戒言』(かいこ)の物語とほぼ同じです。
蚕影山縁起は『戒言』をそのまま流用したものと思われますが、縁起では第29代の”欽明天皇の娘のかぐや姫”が出てきますので、物語の時代は欽明天皇の在位期である、西暦531年?~571年?に設定されています。

すると『縁起』のほうが『戒言』より古いではないか? と、思いますが、和銅六年(713年)に朝廷から編纂命令が出された『常陸国風土記』には金色姫の記述がありません。
蚕影山神社のある多珂郡の章にも、蚕、機織、桑、絹など、養蚕に関係のある文字すら見当たりません。
日本における養蚕の始まりという重大事を、正規文書である風土記に記述しないのは絶対にありえません。

金色姫の記述はありませんが、常陸国風土記では、常陸国における機織の始まりについて、こうあります。
「美濃国(岐阜)にいたタテノミコトは(常陸国の)久慈郡に移り住み、機殿を造り、初めて機織をした」

その場所は、久慈郡太田の郷の長幡(現在の常陸太田市 幡)とあります。

これが常陸国における機織の原点であり、その技術は、美濃国から取り入れた、ということがハッキリと記されています。年代は第10代の崇神天皇のころとありますから、蚕影山縁起が設定した欽明天皇の時代より古いということがわかります。

『縁起』に書かれたものは、日本初の”機織”ではないが、”養蚕”である、という可能性もありますが、魏志倭人伝にはすでに、西暦でいうと239年、卑弥呼が魏の明帝(曹叡/三国志の曹操の孫)に国産の絹を贈った旨が記されているので、その可能性もありません。ちなみに、このころの卑弥呼をとりまく国際的背景をざっくり説明すると、魏の曹叡は危篤状態。将軍の司馬懿は謀反を起こした公孫淵を討伐、蜀の諸葛亮はこの5年前に五丈原で陣没しているという、三国時代も後半に突入した時期です。
正直、このころの魏は、”卑弥呼の絹”どころでは無かったような気がします。

話を戻すと、日本書紀には、月読尊に殺された保食尊の眉から蚕が発生したと書かれており、日本では古くから養蚕産業があったことが示唆されています。
以上の状況を鑑みると、『縁起』の金色姫が、日本における養蚕の始まりというには、伝説だとしても、かなり無理があるようです。

よって、『蚕影山縁起』は後の世で作られたものと断定できます。
この時点で、『縁起』の元ネタが『戒言』なのか、そうでないのか? という疑問は虚しいものになります。

つまり、『縁起』は、地元の養蚕にブランドイメージをつける、もしくは、蚕影山神社の権威を高めるため、名の知れた色々な物語を混合させた物語、という結論として間違いないと思われます。

しかし、です。
金色姫を調べている中で、延宝年間(1673年~1680年)に書かれた『那須記』という書物を見つけました。
そこに、養蚕についての伝承がありました。
内容は、これも色々な物語が混ざっていて、源義経と那須資隆(那須与一の兄)との会話で始まるのですが、その後は冒頭にあげた物語の概要の、項目1~5までほぼ同じ。

そこから物語は分岐し、筑波山の仙人(那須記では”和尚”ですが、仙人に統一します)は、那須の御亭山に行きます。昔話『蜘蛛の綾織』の御亭山です。
そこの山の神様から、「寒いので、機織を広めてくれ」と言われ、仙人は亀に乗って綾織池の底へ向かいます。そこには竜宮があり、龍神に仕える神女に機織を教わったのが、那須の御亭山地域における機織の成り立ち、という話に繋がります。
縁起では『かぐや姫』を混ぜていますが、こちらは『浦島太郎』を混ぜています。

もし、この記事を読んでいただいている人がいるなら、このへんで、正直「もうどうでもいい」という感じだと思います。僕も調査する価値があるのか疑問に思い始めていますが、なんと。

後に、『金色姫』の話を元に、滝沢馬琴が「うつろ舟」という物語を創作しました。金色姫が乗ってきた「うつぼ舟」ではなく、「うつろ」です。物語の舞台も常陸国の海岸。
『金色姫』は知らなくても、こちらはご存知の方が多いと思います。

コレです↓

うつろ舟

元来の『金色姫』より、こちらの方が有名です。
この物語、現代では、”日本のロズウェル”と言われ、UFO墜落事件と結び付けている書籍もあるようです。

さて、長きにわたる金色姫物語の伝承、そして民話の伝わり方や改変、そして現代に至るまで興味を持たれている普遍性を考えると、クリエイターのはしくれとして、この物語を調べてよかったなぁ、と思います……が!

蚕影山縁起を書いた人(おそらく僧侶)や那須記を執筆した人(那須武茂地域の庄屋)は、まぁ許せますが、滝沢馬琴はクリエイターです。
実際にあったことを題材にするならいいけれど、”創作物”をパクルなよ、と言いたい……。

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