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“波騒は世の常である“鮪のように泳ぎ続ける

80kg級のマグロを捌いたことがある。
作業台に乗せるのもひと苦労。

重かったなぁ~

自分より重い魚を捌くことになるなんて…

茶彩絲・和菜紬の総監修をしています。今日はほんの少し自己紹介をさせていただきます(阿世知)

料理人になって一年後20歳、オーストラリアへ渡りました。
50km以上も続くビーチのあるゴールドコーストに、
日本料理店をオープンさせるためです。

オーストラリアへ行くことが、料理人になるきっかけ!

料理人になりたいとの思いよりも、海外に行きたいとの思いの方が強かった。
縁があったのがオーストラリアだっただけで、どこの国でも行っていたはず。でもオーストラリアで良かった~(しみじみ)

南国の海に囲まれた小さな島で育ち、毎日海を眺めながら過ごしました。
子供の頃から海の彼方が気になって、気になって仕方がなかったですね。
それが大きな島のようなオーストラリアに住むことになったのです。

ちなみにオーストラリアは世界一小さな大陸

クインズランド州ゴールドコースト市


30数年前のゴールドコーストは、ハワイ等のリゾート地と比べると知名度は低かった思います。
人気がでだした頃だったかも知れません。

日本人観光者も少なかったです。
勤めていた店は川を挟んで、カジノのネオンが見える最高のロケーションでした。
親日のオーストラリアでは日本料理も人気が高く、連日賑わい朝から夜中までよく働きましたね(記憶の中では)

当時、海外での日本料理といえば“鉄板焼“が人気でした。それもエンター的なものが喜ばれます。私もお客様の前で料理しながら、あれこれ工夫しました。ナイフ回したり…時にはペッパーミールを客席まで飛ばしてしまって、ワインをごぼしたり。それがウケたりして!

最初から英語が話せた訳ではありません。
ままならぬ英語で魚屋に行って、仕入れてくるのは毎日が戦いでした。
ある時など、他店が予約していた魚を持ち出したりして、怒鳴られて…しばらく口を聞いてくれなかったり…..

その魚屋さんが、従業員総出でお店に来てくれた時は、流石に嬉しかった!

そう言えば、日本文化交流のようなこともしてました!実は“和太鼓の免許皆伝“なんです(遠い昔の話)
現地の新聞やテレビへも、出演したことを思い出しました。

その店のオーナーは長野県の白樺湖にあるリゾートホテル
料理人人生を歩み始めた思い出深いホテルです。

長野で過ごした1年間は、人生の一つの転換期でしたね。大きく変わったと思います。

10代から20代に差し掛かる頃で、恐れるものは何一つない様な”生意気な奴”だったようです(数年後に先輩に言われた)

そうだったかも知れないけど…..大いに悩んでいたことも事実です。

仕事の厳しさ、先輩や上司との関係、友情や恋愛も人並み以上に悩んでいましたね、ねっ(誰に同意?)

その一年間は、大都会で暮らすより刺激的でしたね。
更にオーストラリアで世界を感じたことは、今においても影響を感じます。

ともあれ、料理人を生業として30余年になります。
”料理の鉄人”道場六三郎さんは90歳にして尚、YouTubeで活躍中!
それに比べたら、いよいよこれからだぁ~と思っています。

世間的には“アラカン”です。
自分的には”あらゆる感動”をまだまだ求める転換期です。

料理人が天職なのかもしれませんが、それが全てではないですね!
人生は長いですから。

さて、80級の鮪は、苦労した甲斐もあって大変に美味しいものでした。

鮪は早いスピードで泳ぎ続けないと、生きていけません。
鮪のようにはいかなくても、人生の海原を逞しく進んでいきたいですね!

#表紙はマグロカツレツ



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