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迫真の留学日記72「後悔する勇気」

 日付:2024年1月20日(土)
 位置:アメリカ カリフォルニア州(時差-17時間)
 身分:留学生
 天気:雨


 登場人物
・緑茶ドラゴン:書いている主、21歳日本人男性
・ラファエル:ルームメイト、18歳フランス人
・ダニエル:準ルームメイト、17歳スイス人


 ここ最近毎日、日記が書けなかったことの反省をしている気がする。反省というのは、ただ思うだけではなく、行動が伴って初めて完成するものであるため、こうやって日記を書くこと自体が自分の反省の現れなのである。

 今日は珍しく雨模様だったため、家に引きこもろうかとも考えたが、日光にも当たらず、それでして運動もしないのは、死を待っているだけの気がしてくる。

 別に死ぬことが怖いとかいう気持ちはない、というか本質的な死を恐れている人なんていない気がする。みんなが怖がっているのは死ぬまでの過程の話や、死んだ後に自分がいなくなった世界を受け入れられないだけだと思う。とは言ったものの、それだけで私たちが死なずに生きていくだけには十分すぎる動機になると思う。

 死後に人間の意識が、どこに行くか分からないから怖いといった切り口で死を恐れる人もいるが、分からないから怖いというのは不思議な感情で、私たちは生まれたときは何も知らない状態で生まれて、今の今まででたくさんのことを知り、ましてや自分まで知ろうとしているほど、人間の知りたいというのは欲求としてあるはずだが、最期にして最大の謎を知ることができるのだから、むしろ歓迎されるべき運命な気がしてならない。

 ここでいうところの知るという行為は、学び的なものではなく経験的なものに近いと思う。ちなみに英語で”~的に”は、”~-wise”とすれば表せるとのことである。これで一つ知っているものが一つ増えたかと思う。

 私としては死ぬまでにやりたいことを一つでも多くやろうをモットーにいているので、何もやることがない場合は新たな体験を求めて外に出る。

 今日は前向きな気持ちで、ダウンタウの方まで出向いたが、雨ということもあり、あまり人が少なく、結局のところ収穫は、灰色の空を灰色に反射する健気な水面に、今の自分を重ねるくらいしかすることができなかった。

 家に帰って、夕飯を食べることにした。今日の献立は、ナゲットとスパゲッティ。緑色が全くない食べ物は、食べている際に罪悪感が混入してくる。そういえば、ルームメイトでご飯がおいしいと言っているところを見たことがない。

 夕飯を食べている最中に、昨日ダニエルが夜遅くに帰ってきたことについての話になった。

 何をしていたんだと問い詰めたところ、友達と映画を観に行って、それから家の近くの公園で話していたと話してくれた。

 ここで、ラファエルがその友達は男か女かとさらに踏み込んで聞き入ると、ダニエルはそれが女子であることを自白した。

 ここまでくると、更に踏み込んでみたくなるもので、キスはしたのかとか、手はつないだのかというところまで気になって来る。しかし、ダニエルの答えは、どちらともしてないとのことであった。

 17才とはこんなにも乙女心が分かっていないのかと落胆しそうになった。どのようなことを話したかの城砦は知らないが、2人で映画を観て公園で深夜に話すという関係性であれば、多少なりとも女子は期待はあるから、そこは自信をもってぐいぐい行くべきなのに、彼は「まだお互いのことを知れてないから無理だよ」と言ってきた。

 では一体どれくらいまで知れば、君は手を繋ぐようになるのかと尋ねたところ彼はだんまりであった。

 恋愛の相談を受けることがあるが私の答え方のスタンスはいつも変わらない。やった後悔は後からどうにでもできるが、やらなかったことの後悔は後からではどうにもできない、だからやれ、というスタンスで話す。

 やらない後悔よりやる後悔とはよく言ったもので、その点私たちの人生は生まれた瞬間に生きるということをやらざるを得なくなる。後悔をする勇気を持とう。

 これは留学に必須な勇気だ、間違ってもいいから話してみよう。

 彼にその時の雰囲気が大切だよということを伝えるのを忘れていた。


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