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迫真の留学日記66「投影」

 日付:2024年1月12日(金)
 位置:アメリカ カリフォルニア州(時差-17時間)
 身分:留学生
 天気:晴れ


 登場人物
・緑茶ドラゴン:書いている主、21歳日本人男性
・ラス:ドイツ人、16歳男性、でかい


 こんなに毎日書きたくない書きたくないと、書いていると。自分が太宰治に憧れているのかと錯覚してしまう。こんなことを書いていると、この文章はいったい誰の意思によって書かれているのかが分からなくなる。自分で自分の心の錯覚を見抜くとはなかなかやりやがる。

 こういう風な文字稼ぎをするイメージがあるのだ、太宰治には。富岳百景を読んでいてとても感じた記憶がある。ただただ面倒くさいという言葉で済むものを、丁寧に描き上げるなと感心した記憶がある。感銘を受けたといった方が適切か、いやわざわざ遜る必要もないだろう。

 最近、だんだんと何もない日はどう過ごすかのルーティンが確立しつつある。そうなると新しいことが無くなり、書くことが読んだ本の内容くらいになり、留学日記という言葉の意味が広義になってしまう。

 ということで今回の日記では昨日の日記で書き損じていたことを書こうと思う。

 昨日は夕方から、ラスと映画を観に行った。タイトルは”アクアマン”という名前で上映時間は16:35であったが、私が映画館に着いたのは16:53であった。

 この遅刻に関しては全くの予想外で、私が目的地を勘違いしていたということもあるし、加えて引き返して乗ろうとしたバスが、出発時間よりも早い時間に出発してしまい乗れなかったという、泣きっ面に蜂エピソードがあっただけである。目的地を自分で勘違いしておいて、泣きっ面になっているのも訳が分からない話ではある。

 遅れて映画館に入ると、すでに上映が始まっており、theater内は暗転していて、自分の席がどこにあるかが分からなかった。

 すると上の方から、ラスが”こっちだよ!”と、上映中にもかかわらずそれなりの声量で私に話しかけてくれた。

 日本でそんなことをしたら、上映が終わった瞬間SNSに非常識なやつがいたと、たかが2秒くらいの音が聞こえなかったくらいで、作品の満足度が落ちてしまう、感情移入だけでしか作品の良し悪しを測れない、実に行動と感情が直結している人間たちに、投稿されてしまう。

 しかし、ここは自由の国アメリカであるから、しっかりと意図の伝わる呼びかけであれば、あまりとがめられることはない。現に面白いシーンが流れれば普通に皆笑う。

 映画は字幕なしのナチュラルバージョンで、しかも途中からで、映画の事前情報も何も調べずに来た。いくら誘われたからと言ってもさすがにアウトラインくらいは謎っておくべきだったと後悔した。

 だが、映画ということもあってか視覚情報だけでかなり楽しめる内容であった。私はメモ帳を忘れてしまったため、記録を取ることはかなわなかったが、最新のCG映画ということもあって、映像自体の仕上がりもなかなかなものであった。

 一つ気になったのが、雑魚キャラが落馬するシーンがあったのだが、その後わざわざ落ちた雑魚キャラが踏みつぶされるところまで、しっかりと描写されていた。

 濁り隠さず、死を意識させることによって緊張感を走らせたいのか、ただ血の気の多いアメリカ人のためのシーンなのかは定かではない。

 あまりにも足が寒いため今日はここら辺で終わることにする。




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