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迫真の留学日記29「be かぶれ!!」

 日付:2023年12月4日(日)
 位置:アメリカ カリフォルニア州(時差-17時間)
 身分:留学生
 天気:晴れ


 登場人物
・緑茶ドラゴン:書いている主、21歳日本人男性


 最近の私の趣味は、バスケとHipHopである。朝起きたらラップを聞きながらバスケをする。そしてユニットバスでシャワーを浴び、コーラを一杯。かなりアメリカが体と心に馴染んできて、着々とアメリカかぶれに近づいてきている。

 ”かぶれ”という言葉は、世間一般的にはあまり良い印象は持たれていないと思う。恐らく、自分の生まれ育った国を裏切るような不誠実な行為と捉えているか、知人で何かしらのかぶれを患った人を見たことが、大方の原因であろう。

 かぶれというものに嫌悪感を示す人たちが好きな言葉は、安定である。何が正しいかは民意に合わせるし、マスクは外さない。日本の政府が求める、理想的な人物像であろう。

 勿論、人には人の生き方があるので、否定をする気はないし、事実としてそういった、流れに身を任す生き方はとても楽である。一番歩きやすい舗装された道を歩くか、自分の理想を目指していばらの道を進むかはあなた次第である。

 しかし、もし今の自分の人生に疑問を抱いているのであれば、道を切り開くほかない。このような考えのもと、私は留学している。要するに、この留学は私という人間を理想へと変化させるための機会であるわけだ。

 そんな変化を望む人間がかぶれになるということは、何も不思議なことではない。むしろ正しい在り方だと思う。

 郷に入っては郷に従えという言葉もある通り、留学する人間はかぶれになって然るべきなのだ。アメリカで日本の文化を主張したところで、帰って寿司でも食べながら、アニメでも見てろと言われるだけだ。

 だが、ここで気を付けるべきなのは、文化に優劣などないということである。かぶれになった人たちに対して抱く嫌悪感の正体は、どこか日本文化を見下しているように感じられる姿勢であろう。「日本は遅れてる」「あっちの暮らしの方が私には合ってる」などなど、目の前でその話を聞く日本人にとっては、耳あたりの良いものではない。

 そういう人たちは留学するほどの経済力を駆使して、安全な生活を送っていたおかげで、自分がその文化の良い部分しか触れていない。またそのことにも気づいていないと思う。街中で銃声を聞いたり、路上でドラッグに溺れている人たちを見てこなかったのだと思う。

 ここまでで分かったことは、かぶれには良性と悪性があるということである。そしてこれらの二つは、完全に分離できるものではなく、連続的なものである。寒さと暑さのような関係である。

 当然私のかぶれにも、悪性となっている部分はある。というのも、私はHipHopをアメリカに来てからよく聞くようになったのだが、最初の頃に比べ英語への理解が増したことによって、歌詞に含まれる意味やテクニックなどに対しての解像感が上がり、より一層楽しめるようになったのだ。

 そして自分が好きな曲などを、Youtubeで検索したりするのだが、和訳バージョンなるものがよくヒットする。試しに視聴するのだが、日本語を読みながら、英語のラップを聞くと、完全にBGMを聞きながら本を読んでいる気持ちになる。

 私は共感を求めて、コメント欄を見たのだが、ほとんどは曲に対しての賛美の声ばかりであった。ラップ原理主義者の同胞たちの声は見当たらなかった。

 私は一人で、こいつらはライムというものを知らないんだなと、悪性のかぶれに侵された調子でコメント欄を眺めていた。しかし、そんな私の毒素は一つのコメントによって消えてしまった。

 そのコメントは「自分は英語がわからないから、HipHopはあんまり聞かなかったけど、和訳を見てこの曲が好きになりました」というものである。

 私はこのコメントを見た瞬間に、人には人の音楽の楽しみ方があり、楽しみ方の正解も人の数だけあるのだと、気が付いた。

 まだまだ、成長ができるなと感じた一日だ。


 見出しの写真は、噴水に亀が生息していたので、写真を撮った。噴水に生息する亀は聞いたことがなかった。

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