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【和訳小説】かつてのケンカ友達、楊旭

 これは僕の友達の楊詩武君が書いた日記をちょっと日本語にしてみたものです。
だからこれは小説ではなく、楊詩武が直接見た、ある日たまたま起こった、まれによくある田舎の大事件の話です。
 楊詩武の筆致は、学校で表彰されるような流麗な文体ではないですが、爽やかで、淡々としていて、中国農村の力強さを感じさせつつ、しかし飃とした寂しさの風がとおっています。
 その彼の独特の文体を表現しきれたとはとても思いませんが、それでも彼がなにか書いたものの一片でも、この遠い日本の誰かに知ってもらえたらとだけ思います。

《睡前故事 かつてのケンカ友達 楊旭》  楊 詩武


1997年,楊旭出生;2019年,楊旭死亡。
あいつ自身も気づいてないんじゃないかってほど、あっけなく死んだ。


2008年、俺は小学6年で、クラス長だった。
校庭で掃除のチェックをしていたときに、
楊旭が俺の目の前でくず紙を地面に放った。
俺は詰め寄って言った:「拾えよ。」
楊旭は言った:「拾わねえよ。」
俺:「もう一度言ってみろ。」
楊旭:「もう一度言ったらなんだってんだ?」
そして俺はヤツと取っ組み合った。
こっちは殴るのは尻と太股だけにしといてやったのに、
……ヤツは俺のメンツをつぶすようなやり方をしやがった。
当時はめちゃくちゃに腹が立って、人を集めて次の日に叩きのめしてやろうとまで考えたもんだった。


2012年、俺は高校へ上がった。
最初の休みに地元に戻ったとき、村の売店で楊旭に会った。

楊旭は俺に話しかけてきた。
「高校はどうだ、おい、辣条(※中国の駄菓子)食うか?」
俺は答えた、:「まあまあだ、お前食えよ。」
楊旭は辣条を噛みながら、なんだか目を見張ったように俺のことを見ていた。

小学校を出たあと、俺と楊旭は別の中学へ行ったのだ。
中学のあと、俺は町の高校へ上がった。
楊旭は中学の三年次を終わらせないまま、家族と一緒にどこか街へ行って出稼ぎの作業員になったらしい。

2019年,俺は地元に戻って爺ちゃんに会った。
爺ちゃんは俺にこう言った、数日前に近所でおまえと同じ年頃の子が亡くなったらしいぞ、と。
なんていう奴だろう、俺と同じくらいだとしたら、きっと知ってるやつのはずだ。
爺ちゃんからは名前が聞けなかったが、そのあと村の噂で聞いたのは、死んだのは楊旭だということだった。

かわいそうに。
彼の母親が彼の死体に覆いかぶさって泣いていたのは、哀しいことだった。

2008年,長港村でトラクター運転手のおじさんが、田んぼにポンプで放水している時に、感電して死んだ。
2019年,長港村の22歲の青年が、魚釣りの最中に釣り糸が近くの高圧線に触れて、感電して死んだ。

2008年,運転手のおじさんが死んだとき、村のみんなが見に行った。胸には焼け焦げた二つの大穴が開いていた。
2019年,楊旭は感電死して、一緒にいた仲間に村の売店のところまで引きずってこられた。目は見開いたままで、体のどこにもおかしな跡は見つからなかった。

楊旭は1997年に生まれ、

楊旭は2019年に死んだ。


小さい頃ケンカをし合った楊旭はもうこの世のどこにも居ない。
ただ黄色い土のひと山と、小さな墓石があるきりだ。
楊旭之墓,生1997年;卒2019年。
もう楊旭の肉体を見ることはできない;

俺はただこう覚えていることしかできない、
小さい頃、楊旭は俺のことをしこたま殴って……、
けども、
俺の子供が俺のために仇を討つ、なんてことにもなりはしないのだ、と。
なぜなら楊旭は死んでしまった、結婚もしなかった、
それで彼の子供も居ないのだから。

(カバー写真:楊詩武撮影、長港村の夕暮れ)


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