縄文と武士道ー山本周五郎の小説

「縄文の女神」に象徴される縄文時代日本人は、平均寿命が25から30歳という短さから命を大事にしてきた。墳墓から戦いとか、争いで亡くなった人骨が少ないのも、短い人生を生き抜くのにそんなことで命を失うのは嫌だという平和主義があったのだろう。

また柴犬に近い猟犬の祖も人間の狩りを助けていたが、彼らが命をかけて獣から守った縄文人との関係は日本犬特有の健気さそのものであった。
残念ながら獣の牙で双方が死んだときには、主人と一緒に埋葬されていたし、単独で傷ついて不具になった後もエサを与え続けられた。この事実は、縄文時代人が少なくとも一部のイヌを、狩りの道具としてのみ見ていなかったことを示唆してくれます。

彼らは一部のイヌを、共に生きる仲間あるいは家族同然の存在と考えていたのです。
日本人は縄文の昔から犬でさえも命あるものとして対等の愛情を分かちあっていたのです。

そもそも縄文の昔から、日本には「対立」という概念そのものがなかったのです。
男と女は「対立」するものではなく、どちらも不可欠な存在なのだから、互いに協力しあい共存して、互いの良いところや特徴を生かし合いながら、一緒に未来を築くものとされてきました。

これは「対立関係」ではなく「対等関係」です。
そして「対等」は、相手をまるごと認めながら、双方ともに共存し、共栄していこうという考え方です。

女性には子を産む力が備わり、男性には体力があります。
女性が安心して子を産み育てることができるよう、男は外で一生懸命働いて、産屋を建て、食料を調達してきました。

かくも短い命から共同体を守り繁栄させるために子供を産み守り育てる女性にある種の神秘を感じ、大切にしてきたのが縄文時代だ。

縄文時代は、各のごとく、男女は互いに対等であり、互いの違いや役割をきちんと踏まえて、お互いにできることを相手のために精一杯やろうとした時代だったのです。

日本人は、そうやって家庭や村を共同体として築き上げてきたものの、大きな統一国家として発展させることがありませんでした。

なぜならば主たる食糧調達の果実採集は取り尽くしたり、不作の時は頻繁に移動せねばならず、今の県単位ぐらいの間を実りを求め移動を繰り返した。

ですから、地域に根差す縄張りのような郷土意識が育ち、一定の自立した政治・経済・行政のまとまりを持った小国家のようなものが各地域にたくさん生まれてきた。後に藩とよばれるものの原型であった。

今、日本社会では性差とかジェンダーが喧しいが縄文から明治の開明期まで武士道のような社会規範の正義、本分を下支えたのが家庭内にあった婦人たちだ。これは山本周五郎の小説に繰り返して表現されている。

封建時代、男社会で男の真価は如何に周囲から尊敬されるか、または、仕事ができるかであったが、それは内助の功があってこそである。日本に於いて古代から続く誇り高い女性への尊敬や大和撫子と呼ばれる心構があったからこそ家庭が回り、国が回わったのだ。

日本の中世から近世に至る時代、不条理の多くが横行しながらも社会が成立していたのは、武士道という規範があったからである。
男社会の面目が守られたのもその実、内から支えた婦道というべき母性主義があったからである。

ある識者によれば縄文の普遍的価値は、以下4点に集約されるそうだ。
(1)自然との共生
(2)平和思想
(3)母性尊重
(4)富の平等性

 これらの価値観は「自然と人間との関係性の体系化」で長く続いた縄文時代の精神性が、武士道に受け継がれた証左であろう。

そんな古くからの日本人の心構えを山本周五郎は書いてきた。
その一つに「新三郎母子」がある。紹介してみよう。

登場人物は 平井新三郎・・・父に会うため母親と二人、江戸から岡山へ十日ほど前に移ってきた浪人。

貞江・・・永松勘兵衛の娘。毎日、平井の家の食事の支度や、病床にある新三郎の母の世話をする。

永松勘兵衛・・・五十一歳。岡山池田藩士。性剛直で交際も少なく、早く妻を失って娘貞江と二人暮らしている。

津禰(つね)・・・新三郎の母。娘時分、お城に上がって殿様の側に仕え藩主の子供を授かるが由緒ある家の姫との縁談が持ち上がった藩主の将来を思い量り密かに国を抜け江戸で新三郎を生んだ。

江神楚雲(えがみそうん)・・・母の伯父で町儒者。膝下に漢籍を教える。新三郎と母がずっと世話になっていた。

池田新太郎少将光政公・・・岡山藩主。

あらすじ:永松勘兵衛は岡山池田藩士、五十俵十人扶持で徒士、目附方池田但馬の組下で仕置役を勤めていた。年五十一歳、性剛直で交際も少なく、疾く妻を亡って娘貞江と二人、城下西大寺町のはずれに住んでいた。ある朝のこと貞江が厨に下りて朝餉の支度をしていると、水口の障子の外で、「お願い申す」
と云う声がした。「はい」と貞江が障子を明けると、見なれぬ浪人風の若侍が立っている。
思わず頬を染めながら会釈をすると、若侍も心持ち顔を赤らめた。「失礼仕る」「はー」「まことに恥入った次第でござるが、米の炊き様をお教え下さるまいか
意外な言葉に貞江はどぎまぎした。「実は拙者、平井新三郎と申して、御当家東隣へ十日ほど前に移って参った者でござるが、昨夜より母が風邪の気味にて床につきましたので、拙者代わって食事の支度を致そうと存ずるが、慣れぬこととて米の炊き方を知らず―」「はあ」「母に訊ねるは易うござるが、それではかえって気を痛めるばかりと存じ、不躾ながらかようにお願いに上がりました」「それは、さぞお困りでござりましょう」

この問答を次の間で聞いていた永松勘兵衛、つと立つと襖を明けて、「貞」
と出て来た。「はい」「こちらはもはや支度も出来ておろう、失礼だがおまえ行って用意して進ぜるがよかろう」

慌てて辞退するの新三郎。「御遠慮は無用、困る時は互いの事でござる、拙者は当家の主、永松勘兵衛と申す
さぞ御痛心でござろう、役にはたたぬが娘貞江、御用事あらば遠慮なく申し附けられたい」

貞江は身支度をして新三郎と共に彼の家へ炊事の支度に出て行った。これが機会で、貞江はそれから毎日、暇をみては平井の家へ行って、病床にある新三郎の母親の世話をしたり、食事の支度をしたりしてやるようになった。母子の暮しは永松家に倍して貧窮だったが、どこかに由ありげな風情が見えて、普通の浪人でない、昔を忍ばれるところがあった。

新三郎は粗末な衣服をつけているがどこか高貴な雰囲気を帯びていた。
相当な武芸の心得もあるようだ。
「あれは並々の者でないぞ」勘兵衛はひそかにそう呟いていた。ある日のこと、勘兵衛が下城して来る途中、辻町のとっつきへさしかかると、三人の藩士が声高に新三郎を罵っているのをみつけた。いずれも家中聞こえた乱暴者である。「何かまた暴れているなー」
と思いながら近寄ってみると、思いがけなく平井新三郎が三人の中に立っていた。「土下座して謝罪せい!」

一人がが吸鳴るとほかの一人も続けて、「それとも抜くか、乞食浪人!」「尾羽根の落ちた為、抜けぬところを見ると中身は竹光ででもあろう、土下座せい、額を土にすりつけて謝れば、今日のところは勘弁してやる!」
残る一人も胸をつき出して叫んだ。

新三郎は微笑しながら聞いていたが、三人の怒罵が終わると手を膝にして、「いかにも、貴殿の肩に突き当たったのは拙者の過でござった。御勘弁下されい」
と云う。
「うぬ、同じことを何遍もと」とのぼせた声で、「土下座せいというに、土下座せぬか」「分からぬ奴め、こうするのだ」
一人が傍へ寄って肩へ手をかけると新三郎はその手を逆に取って、「無礼な!」と捻じあげた。
「あ、痛っ」
捩じ上げられた男は顔をひん曲げる。「狼藉するか」「斬れ!」
他の一人が喚きざま抜く、刹那!新三郎が腕をねじ上げた男を突っ放して一歩さがり、右足をひいた。新三郎は「えい、や!」-
叫ぶと、男の剣は手を放れて地上に鈴と鳴り、横面を押さえながらよろめいていた。柄へ手をかけたままの男は蒼白になって後ろへ退るばかりだ。
新三郎は片手に剣を提げて、「失礼―」と微笑したが、「もはや、御勘弁下さろうな」と云う。
慌てて剣を拾った男は、頬を押さえていた手を離して見た。
斬られたのではない、ほっとしたがあまりの早業、もう返事をする気力もなかった。
「さらばこれにて、御免!」
新三郎は剣を収め、一礼すると踵をかえして、悠々とその場を立去った。「出来る、果して凡手でないぞ」
勘兵衛は幾度も頷いた。

その夜夕食の後で、勘兵衛は貞江に命じて、茶を献じたいからと新三郎を招くため呼びに行かせた。

「毎々、貞江どのに御面倒を相掛け、まことに有難う存じまする」「いや、左様な礼ではかえって痛み入る、母御にはその後いかが?」
「当地へ参る長旅にて、意外に体をいためおるとか、医者もはかばかしくはないと申しております」

「それは心配なことのよう」貞江が茶をたてて来た。勘兵衛が言葉を改めて、「今日、辻町にて乱暴者を懲らされたお手のうち、拝見仕まつった」「や、それは―」「見事な早業、感服いたした」


勘兵衛は膝を正して、「貴殿の身の上、なんぞ由ありげに思われるが、当地へ参られた仔細、差しつかえなくばお話し下さらぬか、拙者にかなう事もあらば、憚りながら御相談になりましょうで」と
新三郎に話しかけた。新三郎はつとに眼を伏せた。

貞江は静かに座を立って次の間へ去ったが、襖の向こうで耳を澄ましている。「御迷惑なれば強いてと申すではござらぬ」
新三郎は顔を挙げた。「常々の御厚志、また御親切のお言葉恐縮でござる、折角のお訊ねゆえ、恥を忍んでお話し申し上げまする、実は」
貞江は熱心に聴いている。「拙者、当地へ父を尋ねて参りました」
「父御を――?」

新三郎の話を手短かに述べれば、平井新三郎は、江戸深川佐賀町に生まれた。母と二人、江神楚雲という母の叔父に当たる町儒者の世話になって、佐賀町の裏店で、成長した。
楚雲は折あるごとに、「新三、今こそ落魄して居るがそちは由緒ある人の子なのだ、一心に修行して立派な武士にならねばならぬぞ!」と云い云いした。新三郎はこれを幼な心に深く銘して忘れなかった。楚雲は膝下に自ら漢籍を教え、永代町に道場を開いている、東軍流の剣士高木常右衛門について剣を学ばせた。
自分は凡下の生まれでないという自負心が、天成の稟質を補けて、文武ともに新三郎の進歩は速やかであった。十八歳にして東軍流の皆伝を得ると、師常右衛門の推挙で本郷台町に住む、貫心流の名手鬼堂三達の道場へ入門したが、ここでも抜群の技倆を示して、三年ののちには門中随一の名を取るに到った。
そのころからようやく衰えはじめた楚雲は、新三郎が二十三歳になった年の春、ついに医者から再び起たずと宣告されてしまった。

楚雲はある日、「遺言があるから――」と云って、新三郎母子を枕元へ呼んだ。
楚雲は眼を閉じたまま、「儂はもう、余命幾許もない身だ、ついては、新三郎の身の上だが文、武、ともにもはやどこへ出しても恥ずかしからぬ人間、折をみて、岡山へ行け、そして父親に会え」
母親は黙して答えなかった。
「つね、おまえの気持はよく分かるが、儂の死後、貯えもない境涯で母子二人これからどうする。承知の通り慶安異変以来、浪人の仕官は全く望めぬ有様、これまでに仕上げた新三郎を、このまま巷に朽ちさせるのはいかにも残念だ――そうは思わぬか」、「はい」。
つねはそっと袖を眼に当てた。「新三!」
楚雲は新三郎の方を見た。「は!」
で、「そちは、父に会いとうないか」「父――?」新三郎は母から、かねて父は亡き人と聞かされていたので、驚いて膝をすすめた。

「父は存命にござりますか」「うん、今は岡山にござる、母に願って岡山へ行け、立派な成人ぶりを見せて、父子の名乗りをするがいい」「母上、まことでござりますか」

つねは躊いがちに頷ずくばかり、楚雲は重ねて、「つね、これが儂の遺言じゃ、おまえの心尽しもさることながら、新三に生涯父を知らさぬは親の慈悲でないぞ、行け!」「はい――」「新三、これには種々と仔細があるのだ。事情を深く訊ねて母を苦しめるでないぞ、岡山へ参れば何事も相分かる―」
楚雲は云い終わると眼を閉じて黙した。

楚雲はそれから半年余り病んで死んだ。そしてその後始末を済ますと同時に、母子は江戸を立って岡山へ来たのである。「それはそれは――」
「話を聞き終わると、永松勘兵衛は何度も頷きながら、「して、父御の御所在はお分かりになったか」「は、それが」新三郎は俯向いて、「江戸を立つ折には、岡山へ参ったら直ぐにも父に会えるかと存じ、母もそのように申しておりましたが、当地へ来ましてからやがて三十日近くなりまするに、一向に母はその事を口にせず、折々それとなく申し出てみますが、言葉を濁して、しばらく待てと云うばかりです」。

「勘兵衛は頷いて、「では父御の姓も御存じないのう」、「は!」「なんぞ入り組んだ事情があるのであろう、平井と云うのは母御の姓かの」「左様に聞いて居りまする」「では―拙者も及ばずながら、それとなく心当りを探ってみると致そう、気を落とさず、精々母御の養生専一になされい」「かたじけのう存じます」

襖の蔭で始終を聞いていた貞江は、あまりにつねの頑であるのが心外に思われて、「江戸から、こんな遠くまで来られて、それで父親にも会わせぬなどと―」
独りそう呟くのだった。「あんなにお立派に成人されたもの、さぞ父様もお悦びなされように」と、自分の事のようにもどかしく考えられた。そしてある日、新三郎の留守の時、

貞江は思い切ってつねに向かい、「小母さま―」
と改まった調子で話しかけた。「はい」「こんな事を、わたくしが申しては、お怒りを受けるかも知れませぬが、新三郎様に――早く―」
母親は驚いたように眼をあげた。「何か新三郎が申しましたか」

「はい、父が強くいって、お身の上をお伺い致しました。先夜岡山へおいでなされたお話しなされまして」
「まあー」「生まれてからひと眼も御存じない父様、さぞお会いなされたいことと存じます。小母様、差出がましいとお叱りなされず、どうぞ早く新三郎様にお会わせなされてませ」「それはもうわたくしも―」つねは辛そうに外向きながら、つぶやいた。

「どんなにか、会わせてやりたくわたくしも会いたく思いまするが」
あとは呟くような声だった。「世の中には、切ない義理があって、ねえ」

その夜だ。「新三郎!」母に呼ばれて枕元へ坐ると、、、
、「おまえ、父上に、どうでも会いたいと、お思いか」「は!」
新三郎はぎょっとして返事に詰まった。「父上に会わせようといって、はるばるここまで来ていながら、いざとなって渋る母の心が、おまえにはさぞもどかしくあろう」「いや、左様なことは」「知っています、母はよく知っています、けれどねえ、新三郎」「はー」
「わたしは考えに考えた末、やはりおまえを、父上にお会わせしたくないと思うのです」

新三郎は俯向いた。「二十三年、父の顔を知らずに育ってきたおまえ、ここまで来ていて、会うことが出来ぬといえば、さぞこの母を恨みにお思いであろうけれど――これには」と云いかけて、つねは涙で声がつまった。
「これには、辛い辛い訳があるのだよ」、「母上!」
新三郎は顔をあげて、
「その仔細、お打明け下さいませぬか」「仔細さえお聞かせ下されば、母上のお気に召すよう、ただ今にでも当地を立退きまする、どうぞその仔細を―」「話しましょう」
、つねは身を起こして、「あの包みを取っておくれ」
新三郎は、江戸から母が大切に持って来た荷包みを取った。つねは包みを解くと、その中から別包みになっている物を取り出して、「これを明けてごらん」と差出した。いぶかりながら新三郎が明けて見ると、錦繍の袋に入った短刀、それに古びた一通の書面、見事な青磁の小さな香盒の三品が出てきた。
「これは――?」「その品こそ、おまえが父の子である証拠の物―」「して父上とは?」つねは膝を正して、
当岡山の藩主、池田新太郎少将光政公、あなたはその御嫡男です」新三郎はくらくらと眩暈を感じた。「は、母上!」と云ったが、しばらくはそれに継ぐべき言葉が無かった。つねは静かに床を滑り下り、かしこまり(、短刀、墨附、香盒の三品を、新三郎の方へ押しすすめて、手を畳に下した。

「今日まで、母の無礼――赦して」「母上、お手を、お手を!」
新三郎は慌てて母を抱えるように、やさしく床の上へ戻すと、改めて墨附を手に取って披いた。達筆な走り書で、契り候こと忘れ難く候腹の子のことその許の行末ともに必ず取計らう可く候
つねおん許へ
篤と読んで巻戻すと、短刀を取って抜く。ひと眼で貞宗と知れる名剣、拵え尋常に、蝋色鞘のところどころへ、蝶の定紋がちらしてある。「わたしは元、鳥取在の郷士、平井定右衛門の娘、お城へ上がって殿様のお傍仕えを勤むるうち、ふとした機会で御寵愛を受け、まもなくそなたを身籠りましたが、折りに折、殿様には御縁談が起こってー」つねは苦しげに言葉を切った。
お輿入れと定ったお方は歴々の家柄、田舎郷士の娘づれが、留まるはかえって殿様のお不為と――覚悟をきめてある夜、この三品を殿様お形見と肌につけ、そっとお城を脱け出しました」「さぞ、お辛うござりましたろう―」「そう思っておくれか」「お察し申し上げまする」

新三郎は頭を垂れた。「鳥取にいては追手もあろうかと、叔父を頼って江戸に出で、佐賀町でそなたを出産、産んでみれば親の慈悲というか、一度殿様と父子の名乗りをおさせ申したいと、何度思ったか知れませぬ――けれど、間もなくお家にても政綱様御出生と聞きました、御世子のお生まれなさった以上、そなたが名乗って出れば泰平のお家に風波を立てる道理―」「母上!」
新三郎は両手を下ろした。「分かりました、もはや何事も仰せられまするな、わたくし父上に会いとうはござりませぬ」

(津禰)つねの頬をはらはらと涙がこぼれ落ちた。と――その時、厨の暗がりから、不意に誰かの忍び泣きが聞こえて来た。「誰だー」
新三郎が振返ると、「わたくしでござります」
袂で面を蔽いながら、貞江が崩れるようにそこへ走って来てうち伏した。

「おお貞江どの」「小母さま、わたくしー」つねはやさしく、
「お聴きなされましたか」「はい――」「では、どうぞかたく?密に、ねえ」「はい、――必ず!」
、貞江は袂の中で咽びあげた。

その夜の精神感動が体にこたえたのであろう、母親は明くる日から病重って、枕もあがらぬようになってしまった。
医者も手を拱いて、「体の精が尽きているので、これを恢復するが第一の手段でござろう、薬を盛ろうにもこの体となっては――」
と歎息した。「精をつけると申して、何を―」「この病には、最上を人琴と致すが、高価でもあり、この土地にては容易に手に入り難く、先ず野雁の生き肝などを差上げてみたなら」といって帰った。
野雁の生き胆。これなら、幸い雁の渡る節ではあり、手に入らぬこともあるまい。そう思ったから、新三郎は早速永松勘兵衛から半弓を借りて来た。
篠竹を寸詰りに切って、手製の矢十数本を作った新三郎、その日から雁を求めて家を出たが、仕合せよく東山裏で先ず一羽を獲た。

二日三日、いずれも一羽ずつの獲物があって、医者の教える通り生き胆をぬき、半日蔭に風晒して母に与えたが、気のせいか具合が良い容子だった。「これはしめた」-
と医者も云い、母も悦ぶので、新三郎は力を得てせっせと狩りを続けたが、七日めの夕刻のこと――。例によって東山を裏へぬけ、比古沢の附近を狩り廻ったが、雁の姿が見えない、沢を越して沼口がかりへ来ると、枯れかかった蘆の中に、五六羽雁の戯れているのをみつけた。内臓を傷つけてはならぬ、頭を射るが法である、忍び寄って矢頃をはかった。ひゅっ!」ぎゃぎゃあ、ぎゃあ!けたたましく叫びながら、ぱっと立つ、そのうちの一羽は、三間ばかり水の上を飛んだが、直ぐに蘆の中へ落ちた。近寄って拾うと、頸を射抜いている矢を引抜いて、腰の縄に括りつけ、立去ろうとすると向こうから、足軽体の男が二人、何か大声に叫びながら駈けつけて来た。一人は鉄砲を持っている――。「待て!」
先頭にいるのが声をかけた。「拙者でござるか」、オー?________________
新三郎が云うと、面を憎々しくひき歪めながら、「馬鹿者!ここをどこだと思う」
喚いた。「どこと申して――?」「貴様、こんな場所で雁を射たりして、ここは、恐れ多くもお止場だぞ」「お止場?」「不埒な奴、番所へ参れ!」「来い!」鉄砲を持ったのも吸鳴った。「お止場で禁制を犯せば、死罪と定っているのだ、来い!」
新三郎は知らなかった。「それは不念でござった、参りましょう」「弓を寄来せ!」。
手を出して半弓をつかむ。
無礼な、参ると申しておるに」
「手向かい致すか」
「放されい!」
新三郎は、あまりに傍若無人な、番人の態度にむっとして、弓を掴んでいるうでを捻じ上げながら、「お止場と存ぜず、禁制を犯したればこそおとなしく参ると申しておるではないか、弓は武士の表道具、猥りに貴殿方へお渡し申す訳には参らぬ!」

「定めだ、出さぬか!」鉄砲を持ったものが、
「うぬ!これでも―?」
と筒口を向けた。あまりの無礼、嚇として、「無法な!」
新三郎は右足をひくと、威しのつもりで、抜討ちに鉄砲を持ったものへ空打を入れた。「あ!」「狼藉者!」
二三間とび退いて、血迷ったか火縄を引出す、刹那!新三郎踏込みざま、「えい!」肩を胸まで斬下ろした。と見て一人は、刀を抜いたまま四五間さがったが、踵をかえて引えすと、そのままいっさんに逃げて行ってしまった。
新三郎は刀を押拭って鞘に収めると、静かに番所の方へ歩きだした。

貞江は上ずった声で、「小母さま!」
と叫ぶとつねの枕元へ走るように近寄って来て、「新三郎様が、大変なことになりました」「え、新三郎が何か」「はい」
貞江は息をついて、「お止場で雁を射落としなされたうえ、咎めに出たお鳥見を一人、お斬りなされて」「え?」「そのまま番所へ自首をされました」「そして、―」「番所からお目附へ廻され、ひと通りお調べのうえ牢へ」

「ああ!」
つねは、唇を噛んだ。「小母さま」
貞江が労わるように肩へ手をかける、つねは、空虚な眼を振向けながら、「して、お止場の禁制を犯した罪は?」「掟には死罪と―」「死罪――新三郎が――」
さっとつねの顔から血の気が失せた。「小母さま!」
貞江は励ますように、「しっかり遊ばして」「新三郎が―新三郎が、死罪!」

貞江がつぶやく。「お助け申すてだてはござります」「えー?」
つねは身を起こそうとして、「助ける手段が」|「はい、小母さま」|
貞江は膝をすすめた。忍「それは、新三郎様のお身の上を届け出るのでござります」

「証拠の品を添えて願い出れば、お上のお血統、万一にも死罪などになる気遣いはござりますまい」、「それは、それは――」つねは放心したように、宙を損めながら、呟いたが、やがて強く頭を振ると、「いけませぬ、そればかりは」「でも、そうするほかに新三郎様をお助け申す法はござりませぬ!」「ああ!」つねは面を絞って、

「たとえ、新三郎が死罪になりましょうとも、そればかりは、出来ませぬ!」「小母さま!」「いいえ、いいえ!」つねは強く云った。「こうなるのも母子の不運、あれ一人の命を助けるために、岡山三十万石のお家に傷がついてはなりませぬ、もう二度と云って下さいますな」「―」
貞江は茫然と口を閉じた。「さぞ、無情な母とお憎しみなされましょうが、新三郎とて証拠の品を楯に、命を助かって本望とは思いますまい。なまじお血統を申し立てて、殿のお心を乱そうより、掟通り潔く御処罰を受けるが――」
そうまで云ったが、さすがに病で弱っている気力、あとはせきあげて来る涙で、言葉が続かなかった。
力を落とさぬよう、くれぐれも慰めておいて家へ帰った貞江。どう考えてもこのまま黙って新三郎を殺す気になれなかった。固く固く口外を禁じられている事だが、こうなる上は―と心に決して、

「父上!」と勘兵衛の前へ出た。「新三郎様、お身の上について申し上げたいことがございます」「うん、云うてみい」「小母さまには、決して他人にはもらさぬよう、きつく云われておりましたので、今日までは父上にも申し上げませんでしたけれど、大事の場合、ほかに思案がござりませぬゆえお打明けいたします」
勘兵衛が審しげに見る眼、「実は、新三郎様は、お上の―御嫡男でいらせられます」「なに、お上のなんじゃと」「少将様御嫡男でござります!」「ばかめ、何を血迷っているのか」
「いいえ、お聞き下さりませ―」貞江は膝を進めて、先日からの仔細を残らず語った。勘兵衛は仰天して、「うむ――まことか」
「証拠の三品、たしかに相違ございませぬ」「よく打明けた」
勘兵衛は頷いた。」「鳥取御在国の折、お傍仕えにさる女性ありとは父も聞いていたが――なるほど、新三郎殿の人品、凡下の者ならずと思うたよ」「それで、どうしたなら――」「うむ」勘兵衛唇を噛んで、
「つね女の心遣い、新三郎殿を助けるためにお家を騒がせとうないという覚悟、さすがにあっぱれ、無下に破るも心無い業だ。幸いお止場の断罪はお上の直裁ゆえ、万一の折には父がなんとか致すとしよう」「そうして下されば―――」「確とひきうけた、今宵はつね女の許に行って寝るがよい、心丈夫に居られいと、くれぐれも労わってのう」貞江は直ぐに平井の家へ引返した。

横目附白洲には、新三郎が端坐していた。上座には池田光政、左右には国老、正面近くに横目附池田但馬が坐し、永松勘兵衛は書き役と並んで末席にいた。
光政は、さっきから新三郎の顔をみつめていた。(どこかで見たような若者だが)という考えが頭を離れないのだ。

、、但馬の訊問には、悪びれたさまもなく、はきはきと答えていた。お止場の雁を射落とした事実、鳥見の足軽を一人斬った事実、番所へ自首して出た事実。「相違ないな!」但馬が書き役の調書を改めて読み上げると、「始終、たしかに相違ござりませぬ」-。はっきりと答えた。
頷いて但馬が座を滑り、「上、直々のお裁きであるぞ!」と云った。

新三郎は眼を挙げて光政を見た、これが父だー。二十三年の間に、片時も忘れることの出来なかった父だ。新三郎の胸へ熱いものがこみあげて来た、眼が光となった、唇が顕えた。(取乱してはならぬ!)と思いながら、両手を下ろして心の内に、(父上、お懐しゅうござります)そう云いつつ平伏した。「平井新三郎と云うか、面を上げい」

「止場の禁を犯せば死罪たること、存じおるか」
「番所にて承知仕りました」「それまでは知らなんだと申すのだな」
「知らずとも禁を犯した罪は免れぬぞ」新三郎は色も変えず、
「勿論、掟通りのお咎め、悦んで御処刑を受けまする覚悟!」

光政は頷いて、「武士らしき申し分だ、しかし―何故その折鳥見の者を斬ったか」「は!」
新三郎は顔を挙げて、「禁を犯したる罪、重々申訳ござりませぬが、その折番人衆両名、一人は鉄砲を持ってわたくしに迫り、理不尽に弓へ手をかけて取上げようと仕りました」

光政は頷いた。「猟具を召上げるは、お止場番所の定めと申しまするが、百姓猟夫なら知らず、武士が表道具とする弓、鉄砲で威されて渡したとあっては、わたくし一人ならず武道の恥辱でござりまする!」光政は再び頷いた。

勘兵衛は末席に、袴の襞をわしずかみにして聞いている。
「わたくしはいずれ死罪と定っておりまする体、せめて武道だけは全うしたく、右の意趣を申し聞けましたるに、番人はどうでも弓を取上げると申し、一人は火縄を引出して発砲せんとする有様ゆえ―――致し方なく斬棄ててござります」光政の唇に微笑が現れた。

「国老はじめ、横目役いずれも、新三郎の言葉に胸をうたれて、自然と頭のさがる気がし始めた。
「いま一つ訊ねるが雁を射たのは何のためであるか」「は!」
新三郎はそう云われると、病床の母を、自分が死罪に行なわれたのち、身寄り頼りの無い、母の行末を思って、暗然と声をしめらせた。「わたくしに母がござります、これが永の患いにて、医者の申すには高麗人參か、野雁の生き胆を試みるほかになしとの事、浪々の身の貧窮に、なかなか人參など思いもよらず、詮方なく、野雁を狩って養生致させておりました」「遺るは、母一人か?」「は――」「父は、どうした」

新三郎は平伏した。父上はそこに!そう叫びたかった。一言でいい、死罪の前に新三郎と呼んで貰えたら――。「どうした」光政が再び訊いた。新三郎はしどろもどろな言葉で、「すでに、し、死去、仕りました」と答えたまま、はらはらと落涙した。光政はしばらく何か思案していたが、
「皆の者も聞け」、
とかたちを改めて云った。「平井新三郎と申す者、止場を犯したる罪は掟に触れるが、初めよりを知らず、しかも身を殺して武道を守ったる覚悟、武士として見上げた振舞いだ。
止場を犯したるも、もとこれ母に孝養を尽くさんためであるという。考うるに止場の掟こそ過酷であったのだ、直ちに掟表の死罪という条目を削り、適当の罰則を研究するがよい――平井新三郎は無罪、構い無し!」大白洲は一瞬水を打ったように沈黙した。

新三郎はそこへ平伏したまま、しばらくは茫然として、考うるところを知らなかった。「誰ぞ異存があるかの」
光政が振向くと、「毛頭!」
と国老池田出羽守が手を下ろして、、「御明断、憚りながらわたくし共、有難く有難く御礼申し上げまする」
、光政は頷くと、「ではこれまで」と云って立上がった。光政が渡り廊下を、本殿の方へ歩いていると、庭先から、「申し上げまする」と云う声がした。足を止めて見ると、永松勘兵衛がそこに平伏していた。

お傍侍達が、「無礼者――」、と咎めるのを制した光政、
「何じゃ」「目附方仕置役、永松勘兵衛申し上げまする。他聞を憚りまする儀ゆえ――」「人払いをせいと云うか」「は」
光政は傍侍を遠ざけた。「申してみい」
勘兵衛はひと膝這って、
「今日、お裁きあらせられました若者、平井新三郎殿の事につき。かつて、鳥取御在城の折の事を御思い出し下されたく」
「鳥取在城の時――?」「は、お傍仕えの女性に、平井つねと申されたる方が居りましたはず」「つね――おお」
光政の眼がにわかに輝いた。「お裁き遊ばされた若者こそ、つね女の腹より御出生の若者―」「なに」

光政はくらくらとなった。「お差遣わしなされました、貞宗の短刀、青磁の香盒、お墨附の三品、たしかにそれと申し上げまするより、動かぬ証拠は」

、勘兵衛、暗然として、「新三郎殿一人のお命を助け申すため、岡山三十万石のお家に騒動を起こしては心外と、証拠の品々を持ちながら、新三郎殿を見殺しになさるつね女の覚悟、また現にお上のお裁きを受け、死罪の掟を申し聞かされながら、一言も身の上を口外せぬ新三郎殿の覚悟――これこそ何よりの証拠と存じまする」
、光政が率然と叫んだ。」「案内せい、津禰(つね)に会うぞ」

一刻ののち――。(新三郎が、母親と手を取合って、貞江をそばに無事の始末を語っていた時。勘兵衛が表口から、駈込んで来て、、
「お上がお渡りじゃ」
と知らせた。

「はっとして新三郎が座を立つ、出迎えに出る間もない、忍びの姿で、光政が、つかつかとそこへあがって来た。見るより、「上さま!」
つねが、叫んだ。「つねかー」
光政はそこに立ったままじっとつねの病み衰えた顔をみつめた。つねも狂おしい眸子で、療けつくように光政を見上げたが、溢れ出る涙を抑えかねて、枕の上へ俯伏してしまった。光政はやがてそこへ坐ると、
「泣くでない、つね」、と云って、肩へ手を置いた。「もはや何も云わぬぞ、そなたの心遣い、みな勘兵衛から聞いた。女手ひとつ―よく立派にこうまで育てあげたの。今日は新三め、岡山藩中にあっぱれ武士の覚悟を吐きおったぞ、褒めてやれ」

「満足じゃ、満足じゃ」光政の頬にも、温かいものが流れていた。勘兵衛も、貞江も、そこへうち伏して、声を忍びつつ泣いた。光政は見舞いの金品を置いて間もなく帰城した。そして、二三日経て、再び訪ねたが、その時はもはや、母子はそこにいなかった。
勘兵衛は、「わたくしも、とんと行衛を存じませぬ」
と答えるばかり。貞江の姿が見えぬので、それを刺すと、にこにこ笑いながら、「新三郎殿が、掠って―」
と答えた。「良い嫁になろう」
光政もそう云って笑った。

そして、もし消息が知れたら渡してやれと云って、多額の金子を置いて帰って行った。そののち不知。

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