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日本人の死生観 1

人は理性のみで生を全うするものでないし、まして生活上でも科学的合理的精神で日々送れるものでもない。

日常生活を送るということは並々ならぬ困難に出会う事でもあり、そこに宗教的な救いやスプリチュアルなものにすくいを求めることにもなるだろう。
この様な救いは、歴史的、民族的、文化的にも様々な伝統や動機となっているのだ。
この問題は死生観ともいえるものだが、日本人の死生観といえるものはどのようなものなのか考察してみた。

私はかって胃がんの早期発見により静岡がんセンターに手術、入院したことがある。現在では胃がんの早期発見の手術は予後もよく退院間際には、入院生活も退屈して病院内のバラ庭園等をよく散策した。

広い庭園の奥にひっそりと佇む病棟があり窓越しに中をを覗くとそこはホスピス病棟であった。
ひっそりとした綺麗な内部は廊下しか窺うことができないが積極的な治療を諦め、痛み緩和を目的の患者のための病棟であったのだろう。

静岡がんセンターは、周囲をバラ庭園に囲まれ、病院の高い窓辺に立てば富士山を正面に見据える素晴しい環境のもとで、がん治療に専念できる病院だ。
現在ではほとんどの人が自宅で最期を迎えない。奥まったホスピス病棟や一般病棟での最後となる。
バラの香りに包まれた遊歩道から何か宗教的なその静けさの中に遭遇したホスピス病棟の違和感が生と死という問題を考える切っ掛けになった。

日本人が伝統的に抱く死生観の感覚や感情というものは第一に環境から受けることが多いのだろう。

国土の大半が山に囲まれ自然豊かな森林文化から周辺に農耕地を切り開いた農耕稲作文化、そして近世に繋がる高度工業文明ともいえる社会の変転があったとしても、例えば縄文時代に発生した生と死の死生観は日本社会の基底に色濃く残っていることをかってNoteに日本の古代社会を考察するに詳しく書いた経緯がある。

日本人の感覚や感情は、科学が自然を克服するという考え方からは離れ、自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成されきた。

西欧の自然が比較的安定しているのに対して、日本の自然は、はるかに不安定で、時には狂暴な性格を持っている。
そのため過去に大きな災害に無常なる別れに接してきた日本人は、自然への随順、風土への適応という態度の中に、仏教の無常観と通ずるものを見いだしてきたのだろう。

このように大いなるものに数限りない祈りを捧げて帰依してきても地震や風水による災害は容赦なく人々を襲った。こうした無常に襲われ続けたのが日本人である。
この無常観は仏教からも由来している。私たちの世に永遠なものは何一つない。
形あるものは必ず滅っし、人は生まれ、やがて必ず死ぬという盛者必滅の理りが仏教の原理主義だ。

古来インド天竺の地で生まれ中国、朝鮮半島経由で由来した仏教の原理主義はやがて日本的風土の中で重要な変容を遂げていくのです。

先ず、日本人が鋭く反応したのは、自然界の四季の中に無常なる原理主義が息づいているという感覚である。

春百花繚乱、夏青葉、秋紅葉、そして冬木枯落葉の侘しさ。

しかし、その寂しさに堪えればまた希望の春が巡り来る。

照る日、曇る日が日々にあり、朝のこない夜はない。それが生きる支え、日々の希望となる。

この循環の日々は、強く、柔軟な日本人特有の忍耐力を生み育て、そしてその循環の中に生もあり死もあることを認識する。

やがて幾つかの循環の後に近づいてくる死の影に気づき、死の訪れを静かに感じる。そして土に帰ることが自然と一体になるというそういう輪廻転生の感覚が日本人の中で発達して来たのです。

片や、近世に至る日本人のこころの中に、運命を甘受する受動性、過ぎたことは水に流して忘れることができるあきらめの良さを生み出します。これが先に述べた柔軟な忍耐力に繋がります。また、一夜明ければ再び前向きに歩き出すことができる楽天的な勤勉さも、このような自然災害によって生み出されたのでしょう。

この自然災害が、日本の社会そのものを防災共同体として成長させ、死生観を熟成してきた。
そして人々の心の中に、無常観が、現世を忌避して来世を待ち望む性格を植え付けてきたのです。

このような心情を基底にした日本人の中にもたらされたものが自然風土を神とする「神道」とそこに持ち込まれた「仏教」といえるのです。

日本人に大きく影響したものとして、仏教と神道、そして儒教や武士道のような固有信仰があります。次には、日本人の死生観 2へ


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