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学校一斉休校について考える

安倍氏による、唐突な全国一斉休校要請から、2か月経つ。休校が始まった時は学年末であったが、春休みを挟んで、新学年が始まり2週間以上経つ今も休校中である。休校はGW空けまでの決定がなされている学校が多い様子だが、GW空けに再開できると考えている人は少ないだろう。

私は、教職者ではないが、小学校低学年と中学年の子どもを持つ親であるので、その立場から気づいたこと等を当事者のひとりとして、暫定的に記してみようと思う。

まず、子どもの育ち、教育ということに関して、いかに複合的な要素があるかということを、私(達)は目の当たりにしている。

学年末での休校の際は、登校最終日、計画的に持ち帰れなかった山ほどの荷物に紛れ、まだやっていなかったプリント類が割とごちゃごちゃの状態でランドセルに入って、持ち帰られてきた。先生の話によれば、やらないといけないことは終わっているので、授業についての心配はそんなに要らない、これらのプリントで復習をしておいて下さい、ということだった。

とりあえず、習ってあるはずのことをやるだけなので、比較的子どもだけでもやりやすい仕事だ。ただ、下の子はまだ1年生だったので、漢字の練習などは書き順が示してあるだけでは十分と言えず(その通りにはやらない)、つきっきりで見ている必要があるし、途中で遊び始めたりするし、親としてはかなり時間を取られる。そして、学年が低い子どもが2人となれば、当然余計に時間は取られる。

私は、役場に、学校が再開できない場合に備えて、オンライン授業などの準備をして欲しい、また、再開する場合には、安全確保のための対策を今から練ってほしいなどのお願いを届ける。

新学年が始まり、当然予想できたことだが、学校は再開しない。始業式だけ登校し、教科書をもらってくるのと同時に、eラーニングシステムズというシステムを利用するための、個人ごとのIDとPWが配られる。

オンライン授業ではないが、何もないよりは、嬉しい。早速ログインして使ってみると、クイズ方式で、質問に答えていくパズルの様なワークだ。これは、その内容としては、紙媒体でクイズに答えるのと左程変わりがない。ウェブ上の画面をよく見てみると、先生からの課題という個所もあるので、こういう既に出来ているシステムをもっと積極的に使って欲しい、と感じる。

馴染みの議員さんとともに、役場の担当者に話をしに行く。オンライン授業を検討して欲しいということ、ラーニングシステムを使えるようにしてくれたのは嬉しいが、もっと活用して欲しい、ということ等を伝える。結局、今のラーニングシステムでは、復習的な使い方しかできない、ということを役場の担当者の方は、話の中で認めた。

学校の勉強面で言うと、復習と、新しく学ぶこと、に大きく分けられるが、インストラクションを読むのにままならない低学年の子どもは、大人がついて、まず教えるという段階が必要不可欠だ。また、低学年の子どもは放っておいても自分から課題を始めるわけではないし、始めても途中で遊んだり、何かワークを与えれば、それで終わりということには、絶対にならない。

たった、裏表一枚のプリントでも、きちんとやらせようと思ったら、それなりの大人の時間や労力が必要だ。そして、学校という枠組みではなく、心的距離の近い親がそれをしようと思うと、甘えも出てくるし、生活の場の延長であるから緊張感にも欠ける。そういう状況で、学習の補佐をするのは、それなりに大変なことである。

勉強とは、何だろう。

知識を頭に入れることだけではない。

低学年の子どもには、大人の側の手間が大変かかる(高学年にはまた別の大変さがあるのではと思う)。まずは字の読み方書き方や、計算の仕方を初歩から習う。手ほどきが必要だ。知識を自分で頭に入れることが出来るための、準備段階と言ってもいいと思う。

2か月以上、学校からたまに届く(一週間に一度、プリントが郵送されてくる)課題以外には、社会から放置されている子ども達。彼らの心に何が起きているかが、心配だ。

学校は、知識を入れるためだけの場所では、当然なく、子どもにとっての、家以外の「社会」だ。

突然、友だちにも会えなくなってしまった子ども達。先生の存在を感じることすら無い(数枚のプリント用紙でそれを感じろと言われても無理があるだろう)。例えば2週間ほどなら、学校に行かなくてもいいなと楽しく感じていても、そろそろ、おかしい、と感じているのではないか。(もちろん、学校が無くてほっとしている子ども達もいると思う。また、学校がなくて、昼ご飯が食べられないという子ども達もいると思う。深刻な状況にある子ども達ではなく、ここでは、そうでない場合~社会的にはそれ程心配されていない子ども~について書いています。)

突然、その「社会」を取り上げられた子ども達。

学校は、オンライン授業を始める必要がある、と私は思う。実際にはオンライン授業を受けさせることすら、低学年の子供を持つ親にとっては大変である。文科省はオンライン授業を単位として認めることに消極的だというニュースも読んだし役場の人も言っていた。個人的にはオンラインより対面の方が、良い面がたくさんあると思う。それでも、オンライン授業をしないといけない理由は何か。

ひとつに、ひとりで学習できる子どもばかりではない、ということ。つまり独学が可能なのは、ある程度成長が進んでからである。更に、子どもの個人差もある。現在の日本では、親が税金を納めて、子どもが教育を受けるという社会のシステムの中にいる。であれば、親が、一時的にというならともかく、数か月にわたって、子どもの学習を保障しないといけない、という体は、社会が機能していないということになる。当然、子どもの個人差があるだけでなく、親の側にも環境や様々な事情や性格などの差もある。この不機能状態が是正されるべきだ。

ふたつめに、子どもの「つながり」を保障する。大人はSNS等を通じて、友人や社会と繋がることができ、また仕事を続けている場合も当然社会との繋がりを保っている。しかし、当然のことだが、子どもも、社会を必要とする存在であり、それを取り上げたままでいることは、人道的に問題である。オンライン授業の、学習面での効果は、すぐには得られにくいかもしれない(ZOOMなどで始まっているところもあるが、教師の側も生徒の側も、慣れも必要そう)が、「つながり」を担保するためのツールとしての側面も大きい。

もし、双方向が難しいのであれば、一方的に先生が授業を動画(低学年には短い時間で)で録画し、YOUTUBEなどで動画配信する。それだけでも、子どもは、少なくとも先生との繋がりをバーチャルででも体感できることと、学びを親もしくは子ども本人頼みにするのではなく、先生からの働きかけがあるわけである。

また、「学び」について、もっと考え、変えていく必要もある様に思う。それは、単に知識の受け渡しではない。〇✕で、採点できるマークシート方式の試験から脱出しようと言っていたのは、文科省そのものだ(去年、突然、大学入試を変えると言い、余りの準備の無さに反対が多く、撤回するなど、問題があった)。去年、子どもの授業参観で、AIに負けない自分をつくろう♫ということで授業をしていると先生から話を伺い、とても嬉しく、頼もしく思った。自分で表現する力、問いを立てる力、問題の解き方を考える力、論理だてて組み立てる力、自分と違う立場の人の話を聞く力、色々あると思うけれども、この休校期間は、学校教育の在り方を、教師も、見直す機会ではないだろうか。

私は親としては、先生にそれらの事をお願いしているけれども、今のところはまだ、新しく動いてくれている気配はない。けれども、少しずつ(一週間に一度、健康観察のための電話連絡がある)、その必要性を伝えていこうと思う。先週、岐阜県の中津川小学校のオンライン授業の取り組みがNHKでニュースになっていたことを話した。そして、今週、大磯中学校がホームページを立ち上げて、授業の動画をアップしている事を伝えた。すると、前回の中津川小の取り組みは、ネットで見てくださったとのこと。私も一度何か言って、何かが実現する程簡単だとは思っていないので、先生の立場も考えつつ、お願いを続けていければと思っている。

この休校措置は、例えば一旦解除された後も、再び感染が拡大し、何度も繰り返す可能性もあり、それを見越して、対応するべきだ。

子ども達は、学校で学科だけでなく、「人間」について、「人間であること」について、学んでいる。その機会を取り上げないで欲しいのです。

※見出しの写真は、今全ての教科書の裏に印刷されている文言。無償で、とわざわざ書いていますが、この大変な事態にこそ、きちんと税金で無償で、子どもの学びが保障されるべきではないでしょうか。

追記 この投稿をした後に、学校の先生がお電話を下さいました。昨日、私が電話でした質問に答えを下さり、そして詳しくは書けませんが、お願いしたことを校内で共有し、話し合って下さっているそうです。感謝です。本当に嬉しく思います。


















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