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感情がなくなった容れ物

東畑開人さん「心はどこへ消えた?」
を15ページ位まで読んだだけで
ぼたぼた自分が泣いていた。

ずーっとぼたぼた泣きながら音読をしていて。(最近黙読で読み進められないので声に出している)

「なに泣いてんだよ。」
と、ここに人がいたら言われるんだろうな、っていう声が頭の中でしてたけど、

でも私の身体は全然泣き止まず、私はこの文章に書かれてるような感覚を、ずっと誰かと共有したかったんだ、って気付いた。

 「「大きすぎる物語」が「小さな物語」を吹き飛ばしてしまった。」

この言葉を本当にそうだとおもったし、きっとこのことを言葉として見て、共感できたことで、泣いたんだと思う。



私は、「大きな物語」に飲まれることを、

︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎仕方ないことだ。今はそうするしかない。色々言っても思っても、どうしようもない。ただ淡々と生命を守るしかない。‪”‬

と考えていた。‪”‬正論‪”‬というものに完全に、頭が従っていたんだと思う。

でもそう考えて、
そうするしかないだろう、と思うほどに。
色んな人の思い、
怒りや悲しみや苦しさや嘆きを
聞いた時、感じた時
それに寄り添えず切り捨てている自分がいる気がして、 それもすごくしんどかった。

「そんなこと言ってもしょうがない。」

その考えが、いつも先行していた気がする。



ずーっとずーっと
そうやって私は数年を過ごしていた、ということなのか。

この文章を読んで泣いているってことは、
私は本当は正論に従いたくなかったってことなのか?私は何に苦しんでいるんだろう。

自分の中が、わーっとぐちゃぐちゃに
なってしまった。


これはどうしてこうなったのか。
まだはっきりはわからないけど、多分、
頭で考えている理論・正論のようなものと、
私が本当は感じたい思いたい大切にしたいことが
矛盾しているのに、
頭にずっと合わせすぎていた。

だから、私の中の、感じたい思いたい大切にしたい心のものたちが
「もうやめてくださいよ」
「本当はこう思ってるって事も大切にしてよ」
と表してきた、ということなのかな。 

思い浮かんでくる素直な感覚を言葉にして、自分の中でアウトプットすると、なんかこんな感じだ。


私は、正論の言い分として、「事実今はそうするしかない」ということも「現実事としてはそうですね」と理解はできるし、それ自体には納得はしている。

でも、そのせいで「小さなひとりひとりの物語」、心の物語が簡単なものとして扱われていい、とも思わない。
(‪”‬小さな物語‪”‬というのは多分、心や感情や思いのことだよね。)

どっちかだけに合わせないといけないものじゃない。私の中にどちらも理解る気持ちと頭がある。けどそのバランスがどうもおかしい。
ということなのかしら~~
そんな感じらしい。
 
 

現実・生活を、身体をもっていきる私たちは、その一瞬一瞬はどれか1つの行動を選択することしかできない。だから気持ちがどうあれ、最善と自分が考える行動をとることしかできない。

でもそれを分かった上で、
本当に私が大切にしたいことは
‪”‬小さな物語‪”‬なのに、

現実ごとを考えると
それを大切にばかりしていられなくなる自分がいて、
大切にしたい‪”‬小さな物語たち‪”‬がどんどん切り捨てられていくのを
見てるだけしかできない、
むしろ切り捨てている側の自分がいる時もあって、
そのことに苦しんでいた?

本当は、どちらもきちんと大切にしたい。
でも今の現実はそうはできてない。
そんな自分の中の勝手な理想と現実の矛盾に、自分で自分を苦しめていたのかもしれない。


それをなかなか外に出せなくて、
でもどんどん頭の中の正論たちが、
私の心の物語を侵食だけしていくから、
私がそれに耐えられなくなって。

そして「小さな物語」を大事にしたいと
心から思ってくれている人にふれて
「うわーーーーんそうだよ~~~本当にそう」
となった。
そういうことか。
うーん。

  私ももうちょっと、自分の中の「小さな物語」を大事にしたほうがいいな。うん。
「大きすぎる物語」に、飲み込まれすぎないように。それに染まりすぎないように。

そういうことだ、多分。

「大きすぎる物語」も
今はとてもとても大変で、
「小さな物語」たちのカラフルさを
容認できないほど、大変なんだろう。
両方大切!って、できるようになれたら
いいんだけどな。


 自分の中を整理したくなってこんな長い文章にしてるけど、本はまだ15ページしか読んでいない。その段階でどんだけごちゃついてるんや、という話だ。
この先はまた、違う感じで広がっているのかもしれないから、続きをまたちょっとずつ読み進めよう。
私はやっぱりいつも、小説やエッセイという「小さな物語」に救われているなぁ。

現実についていくのに精一杯がんばって、
ちぎれそうな心の感覚を繋ぎとめてくれるのは、きっといつもこういう本たちなんだなぁ。
まだ音読でしか読み進められないけど、
ちょっとずつその感覚を取り戻そう。

数年本が読めなかったけれど、もうちょっと
読む時間を大切にした方がいいのかも。
切り捨て感覚をゆるめなきゃ。

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