ろくこ

西洋占星術、勉強中。自己分析、整体・ヨガ、自分の心理や脳や身体の分析把握を日常とする生…

ろくこ

西洋占星術、勉強中。自己分析、整体・ヨガ、自分の心理や脳や身体の分析把握を日常とする生き物。 色と呼吸しやすい空気と水分が好き。 健やかに伸びるので植物や木も好き。 広くて色んな色になるので空も好き。 ごろごろふわふわモードとちゃきちゃきモードを行き交う射手座。

最近の記事

コミュニケーション不全

【言葉が短くなることについて】 短い言葉、どんどん短くする(省略系) ↑は、やりすぎると通じる世代と通じない世代ができる。 たくさんの情報を交換するなら 言葉は短い方が コスパもタイパもいい。 ↑はスピードを重視するならそう。 情報を、早く・端的に伝えるなら 短い言葉で 要約して、決まりきった言葉で 伝えるべき。 これはビジネスの場ではよく言われるだろうし、仕事においては確かにその方が有効な場面は多い。 なるべく時間を使わずに 情報を伝達するやり方。 ただ、伝える言葉

    • 長い文章で表されたからこそ 理解る感覚、伝わる名前のないもの はあるはず。 短い言葉=端的に意味が伝わる言葉 誰にもわかるはずで伝わるだろう言葉、 これも場によって必要。スピードもわかる。 でも 短い言葉だけじゃ伝えられないことも この世にはいっぱいあるはず、なのになぁ。

      • 表現できるような自分がないと、だめなのか?

        自分を表現する ということは、 自分がどういう人か? 例えば、 自分の好き嫌いはこうで 自分はこういう色で光りたくて 自分の理想はこうで 自分の一番大事なものはこうで みたいに無数のことがあると思うけど、 とりあえず↑のようなこと を「自分」として外に表すこと。 外から自分を見ている人に伝わるよう 表すこと、が自己表現だと思う。 いや、まぁ外から見ている人に伝わらなくても、それは自己表現だ。 自己表現には違いない。 私は自分が、 表現物が好きだと自覚があるし、 色ん

        • 感情がなくなった容れ物

          東畑開人さん「心はどこへ消えた?」 を15ページ位まで読んだだけで ぼたぼた自分が泣いていた。 ずーっとぼたぼた泣きながら音読をしていて。(最近黙読で読み進められないので声に出している) 「なに泣いてんだよ。」 と、ここに人がいたら言われるんだろうな、っていう声が頭の中でしてたけど、 でも私の身体は全然泣き止まず、私はこの文章に書かれてるような感覚を、ずっと誰かと共有したかったんだ、って気付いた。  「「大きすぎる物語」が「小さな物語」を吹き飛ばしてしまった。」 こ

        コミュニケーション不全

        • 長い文章で表されたからこそ 理解る感覚、伝わる名前のないもの はあるはず。 短い言葉=端的に意味が伝わる言葉 誰にもわかるはずで伝わるだろう言葉、 これも場によって必要。スピードもわかる。 でも 短い言葉だけじゃ伝えられないことも この世にはいっぱいあるはず、なのになぁ。

        • 表現できるような自分がないと、だめなのか?

        • 感情がなくなった容れ物

          似ていない、けど一緒

          スラムダンクの映画を観たら、 こんな感覚を味わうこと最近なかったな、 というくらい とてもとても温度高めだった。 こんな熱いものを、最近観てなかったんだ! って観終わってから気づいたぐらい なんかすごい新鮮で、 近頃ない感覚を急にバッと浴びたというか、 そのせいかまだ全然忘れられない。 でもこんな漫画を、 小学生中学生の頃はたくさんたくさん読んでいて、それが毎日当たり前だったよな。 それで、 なんか独りよがりにも熱い気持ちになって、 学校に行って部活して、 なんか泣いたり笑

          似ていない、けど一緒

          好きです嫌いですと言えること

          今日はとってもいい日。だった。 何がと言われると、単純にポンと言える感じじゃないが、多分、居心地いいなと思える人と、でも自分とは違う感じ取り方をしてる能力の話を聞けたから かな~と思った。 根本的に大切にしたいものがなんとなく近いのかなという感じがあるから一緒にいて気詰まりも気になることもテンポ合わないもないけど、会話してると「ナニソレ!?」って知りたくなるくらい、感覚とか感じ取り方が違うらしい、みたいな話も聞けて、 とってもまったりしながら刺激のあるおもろい話できたな~~

          好きです嫌いですと言えること

          傷つくってなんだろう

          現実の人と対峙すると傷つくから、 と前の記事に書いていたが、 一体私は何に傷ついているのだろう。 思い返せば、特に学生時代の私は、 「傷ついた」 「傷つくから行きたくない」 「傷つきたくないからやらない」 ということばかり気にして・考えて・思っていた気がする。 私にとって「傷つく」というのは多分、 [自分が否定される]  [認めてもらえない]  [自分を分かってもらえない] のように私が感じる事とイコールになっていたように思う。今もそう感じることはあるし、全くなくなりは

          傷つくってなんだろう

          感情的な関係はむずかしい

          全然小説が読めない。1年くらい前か、もっと前からか、もうそれすら思い出せないけど、内容に興味が湧いてその時は「読んでみたい」と思って買った本も、ほとんど読み通せないまま今も読んでない。 仕事に行き生活をする中で、小説世界に触れることが、私にとって必要がなくなってきている感じはあって、本の中の人物よりも今現実で近くに生きている人物たちに興味を持つ率が昔より高まっていると思う。昔は周りにいる人たちに、そこまで深い興味を向けなかった。というより、傷つくのが嫌でどちらかというと対峙す

          感情的な関係はむずかしい

          移り変わる自分の居場所

          その時求めていたものと、数年経って求めるものが違うのは当たり前だ。けれど私はそこで、お別れをするべきものを失うことが嫌で、手放すのが嫌でおそらく不安で、最初いつも見ないフリをしてしまう。「そんなはずはない」「私が良くないんだ」、そんな風に思うことで、別れが来ていることを気付かないように、頭の中を言葉でいっぱいにして、言い訳をうまく作り上げて、気付きを自分から遠ざける。 でもそれは1度芽生えるとおそらく消えず、たまにどこか一隅で、必ずチカチカ光る。光った時、必ず違和感を感じてい

          移り変わる自分の居場所