見出し画像

50年前の方が近代的だった

僕が子供の頃には、ペットボトルなんてものは世の中には
存在していませんでした。
コーラやサイダーなどの清涼飲料水はガラスでできたビンに
入って売られていました。
飲料水が入ったビンは必ず回収されて洗浄後に再利用されるものなので、
ビンの保証代金として5円だったか10円だったかをお店に払い、
飲んだ後でビンを返すとそのお金が返ってくる、そういう仕組みでした。
そういう意味では牛乳もそうでしたね。
お店で売られている牛乳も毎朝配達される牛乳も牛乳ビンに入って、
紙の蓋がされていました。
もちろんこれらは全部ゴミにはならず、回収されて再利用されていました
から、先述の清涼飲料水もそうですが、殆どのビンには擦れた後があって
誰が見ても再利用されているビンであることがわかったものです。

これももう50年以上前の子供の頃の事です。
豆腐屋のおじさんが自転車で街の中を、小さなラッパのようなものを
吹きながら移動していました。
自転車の後ろに沢山の豆腐を引いて、言ってみれば移動販売ですね。
ラッパの音は小さくて優しい音色なんだけど、しっかり家の中まで
聞こえてきます。
すると母親が、
「お豆腐ば買うてきて。木綿2丁たい。(九州弁)」
アルミの鍋を持って豆腐屋のおじさんのところへ行き、
木綿豆腐2丁を、持参した鍋に入れてもらって家に帰ります。
豆腐はパックには入っていないので、水の中に入った裸の豆腐を
買うのです。だから鍋を持参します。

時々ですが、母親と買い物に出かけることもありました。
当時は今のように大きなスーパーは遠くまで行かないとありませんので、
日常の買い物の殆どは、
肉は肉屋で、
野菜は八百屋で、
魚は魚屋で買い物をします。
子供心に肉屋でコロッケを買ってもらうのが嬉しくて、揚げたてのコロッケが凄く美味しかったのを今でも覚えています。
例えば大根を買ってくると、葉っぱから大根の先端まで丸々一本で売られているので、当然葉っぱの部分も持ち帰ります。
その夜、夕食の味噌汁には大根と大根の葉が入っています。
大根から出るゴミは葉っぱの虫食いの部分くらいなもので、ゴミになる部分は殆どありません。
そう言えばスイカもそうでした。
白い厚皮の部分は、緑色の表皮の部分だけ捨ててしまって、一口サイズに切って浅漬けみたいにし、醤油をかけて漬物みたいな感じで食べていました。
スイカの甘さはありませんけど、おかずとしては普通に食べることのできる立派な料理でした。

当時、一部では工場などからの空気の汚染、或いは排水などが海を汚染しているとかいうことが社会問題になることはありました。
でも、ゴミを減らそうとか再利用しようなんてことは社会的には問題視されていなかったと思います。
それでも当時というのは、

ペットボトルは存在しない
ポリエチレンの袋ではなく紙袋
日常の奥様の買い物は「買い物カゴ」を持参するのが普通
食材を余さず使うので捨てるところは極めて少ない
お店でも葉を落として販売するということが少ない

そんな日常が普通だったのです。
だから現代のように再利用だとか資源ごみとかそういう概念すらありませんでした。
日常がそのままエコロジーでしたから。

あれから半世紀が過ぎた今、

店頭では常に品切れにならないように
過剰なまでの様々な種類の飲料が大量のペットボトルで陳列されています。

スーパーもコンビニも、有料とは言えまだまだ大量のポリエチレン袋をやめようとはしません。

スーパーでは大量の生ごみ(魚も野菜も不要な部分を切り落として販売するので)を出します。

ひとつひとつしっかりビニールで包まれた上に更に袋に入れられて販売される菓子。

中身は僅かなのに無駄に大きなお菓子の箱。

ありとあらゆる酒類や炭酸飲料が缶に入ってこれも大量に並べられていています。

大量の総菜や鮮魚、肉は使い捨てのトレイに乗ってラップされて、
売れ残ったらどうするのか・・・廃棄なのかな?

なんだかね、いつの間にやら食品のひとつひとつにもれなく資源ごみがついてくるようになりました。
企業やお店が少しでも販売数を伸ばすための戦略として、売れやすい形で売るからなんです。
そしてこれらの資源ごみ、資源として回収して別の形、別の製品にしてリサイクル、リユースするのだという努力をしているようには見えますが、
何の解決にもなっていないというか、買い物をする全員が同じ熱量でゴミをなくそうと思っているわけではありませんし・・・。
まだまだ資源がどんどん消費されてどんどん再資源化できないゴミが地球を壊していくんです。

実現性の高低はともかくとして、これを根本的に解決方法はあります。
買う側がそういう商品を買わなければいいのです。
今となっては難しいというか不可能かもしれませんが、
裸の豆腐を買い
葉っぱのついた大根を買い
ペットボトルや缶に入った飲料を買わない
肉や魚は必要な分だけを切り売り
つまり50年前と同じことをすればいいだけなんですけどね。
昔できていたことが何故今できないんでしょう?
そうすれば問題の多くは改善できるんじゃないかと思います。

資源ごみの素になる商品ばかり作り、そういう商品ばかりが売られているのは、企業や売り手が本気になって取り組んでいないせいかもしれませんが、
根本の原因は買う側にあります。
そういうものしか買おうとしない買う側に対して、売る側は売れるものだけを売るのが当たり前だからです。
環境に良くないと思う商品は買わない
環境に良くない売り方をしているお店では買い物をしない
そうすればどの企業もどのお店でも、売るための戦略として
お客のニーズに合わせて環境に良い商品を作るし
お店だって集客のためには客に合わせた販売方法をとるようになります。

企業努力が足りないのではなく
消費者の意識次第なのです。
なんだか、半世紀前の子供の頃の方が
ゴミ問題に関しては進んでいたんじゃないかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?