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学校で教えない「信じる」の意味

2つの「信じる」

・神を信じる
・宇宙人の存在を信じる
・幽霊の存在を信じる
ここで出てくる「信じる」には、疑わない、疑う気持ちを持たないということです。
そうです、真偽を問われた時に「一切の疑念がない」時に言う「信じる」という言葉です。
これを1つ目の「信じる」の意味だとしましょう。

しかし、人に対して使う「信じる」も同じ意味でしょうか?
違います。
人に対して使う時には「疑念がある」ことが前提なんです。
変だと思うでしょうが、これが2つ目の「信じる」の意味です。
人に対して「信じている」とか「信じる」という場合には、その人を100%信じていないことを前提にするのです。
矛盾していて、「何言ってるの?」 って思われるでしょうが、その背景を聞いていただければ納得してもらえるのかと思います。

お金を例にした考え方

「1週間後に必ず返すから1万円貸してくれないか?」
と友達から頼まれてお金を貸したとします。
そして1週間後にお金を返してもらえなかったとします。

「1週間後に返すというから信じて貸したのに・・・」
と怒るくらいなら始めから貸さなければ良いのです。
この人はお金を貸した相手を「信じた」のではなく一方的に、
「返してくれる」と勝手に決めつけていただけで、勝手に期待したことと違うことをされて怒っているわけで、これを「信じたのに裏切られた」と言うのは違うと思います。

「1週間後に返すというから信じて貸したんだけど、お金が役に立ってるのならそれでいいよ」
と怒りもせず、むしろこのまま1万円は友達にあげてしまっても良いくらいに思えるのなら、これこそ「信じている」と言って良いのです。
人は機械とは違うので、どんなに思っていても努力をしても必ず人の期待や思いに応えられるとは限りません。
失敗をすることもあるし間違いを犯すこともあるでしょう。
そういう「期待通りにならないかもしれない」ことを織り込みずみで「信じる」と言えることが本当の意味での「信じる」ということなんです。

人は間違うし失敗する、期待通りにはならない生き物

2人のサッカーチームの監督さんがいました。

1点ビハインドでの試合終了間際、このままなら試合には負けてしまいます。
そこで1人の控え選手と切り札として試合に出します。
ピッチに控え選手を送り出す時に
「お前なら必ず得点できる。信じてるぞ。」
そんなふうに監督さんは選手に言葉をかけます。
結局無得点のまま試合終了となり、
「お前を信じていたのに、得点できずに負けるなんて残念だ。」
と言う監督さん。

もう1人の監督さんは、まったく同じ場面で
「お前なら必ず得点できる。信じてるぞ。」
この監督さんもこんな言葉をかけて控え選手をピッチに送り出します。
無得点のまま試合終了となったとき、
「お前でも得点できなかったということは、よっぽど相手のディフェンスがよくできているんだな。お前でも得点できないのならどの選手を起用しても同じ結果だったんだ。お前のせいじゃない。」
そう言える監督さんです。

もうおわかりですよね?
前者の監督さんは自分勝手に控え選手に得点しろと押し付けて、それが叶わずに負けたことを選手のせいにしているだけです。
これを信じていたと言っていいのでしょうか?

後者の監督さんはもちろん選手を信じていました。
それでも負けたということは相手チームの方が自分達よりも優れたプレイをしていた、監督の戦術ミスだったかもしれない、或いは攻撃に関わった選手達の技術的な底上げをしないといけないのかもしれない。
いずれにしても得点できなかった選手だけが悪いわけではない。
そう考えていたわけです。
期待に応えられなかったのは事実ですし期待通りの結果ではありませんでした。
ですが、「信じる」という気持ちに揺るぎはないし、それはこの後も変わることはありません。
これこそが「信じる」ということではありませんか?

期待に応えられないかもしれない、失敗するかもしれない、裏切られるかもしれない。
期待に応えられなくても失敗しても、裏切られるかもしれないけれどそれは織り込み済みでの「信じる」、だからそれで構わない。
先述のお金の貸し借りとまったく同じことです。

「信じる」とは「後悔しない」とも言い換えることができる

よく、多くのアスリートが、「自分を信じて試合に臨みます!」 とインタビューに答えているのを見かけます。
これって、
「俺は負けない」  とか
「俺なら達成できる」  とか
「私なら優勝できる」  など
失敗することはないという意味で言ってるのでしょうか?
僕は違うと思います。
繰り返しますが、人間である以上「絶対」はありません。

自分は最大限、自分の限界を超えるところまで突き詰めて100%以上の力を発揮して戦うのだから、もしそれでも負けてしまったとしても後悔などない。
そう言っているようにしか聞こえないのです。

そうです。
「信じる」の本当の意味は、信じていないことが大前提なんです。
そこに気付けないと、友達関係、職場の部下や上司の関係、夫婦などの家族関係、いろんな人間関係をおかしくしてしまうことがあります。
間違わない
裏切らない
失敗しない
そう信じることが「信じる」ではありません。


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