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テクノロジーの進化と人間らしさの退化

昨今のテクノロジーの進化はすさまじいなと日々感じるこの頃です。
日進月歩のAIはもちろんですし、毎日使うパソコンやスマホに限らず、
世界中に張り巡らされたインフラも進化していて、
毎日の生活の多くの部分で欠かせないものになっていることは皆さんがご承知の通りです。

一方では、人間らしさが退化し続けているということも日々実感しているところです。
大袈裟な言い方かもしれませんが、システム化、IT化、テクノロジー
そういったものが進めば進むほど反比例的に人間力や人間らしさ、もっと言えば人間味という味わいでさえも
どんどん削られて薄く軽いものになっているなと毎日実感しています。

身近な例で言うと、
昔、僕が子供の頃は親に頼まれて肉屋や八百屋に買い物に行きます。おつかいですね。
おつかいに行く先が肉屋だったりすると、ご褒美としてコロッケを買ってもいいよって親が言ってくれたりします。
幼い子供の僕ですから、そう言われれば肉よりもコロッケが食べたくて肉屋へと出かけて行くわけです。

肉屋に行くといつものおじさんが対応してくれます。
「ぶたにくのこまぎれ 200グラムください」
僕がそう言うとおじさんは、
「きょうはおつかいで来たのかぁ?偉いなぁ、じゃコロッケひとつおまけしてやるからな。」
そういってオマケにコロッケをひとつ付けてくれたりします。
これが子供にとってはなんとも嬉しいものだったりするのです。

当時は今のような電子マネーやクレジットカードでの決済ができるシステムなんて
ものは存在していませんでしたから、
お釣り銭の端数は値引きしてくれたり、コロッケとかちょっとしたものをオマケしてくれたり
そんな人と人の間の会話や触れ合いのようなものがありました。
僕は子供の頃からそういう「人との触れ合い」 が好きで、
買い物というのは商品を手に入れることが目的でありながらも、人と人のコミュニケーションの場であるという意識も強いのです。

ところが、今僕がオッサンになっていて、出勤途上にあるスーパーに立ち寄ると、
商品棚の中の商品を自分で取ってカゴに入れ
カゴに入れた商品をキャッシュレスレジで精算して持参したエコバッグに入れます。
そしてお店を出るまでの間に、店員さんとは顔を合わすことさえないので、
挨拶も会話もありません。
ですから少年だった時のようなオマケもありませんし、支払いは1円単位まできっちり正確にします。
100%すべてのことが決められたシステム通りであり、そこには一切の 「人の心や言葉、温かさ」 というものが介入する余地はありません。

こんな昔と今の違いを論じて善悪を決めようなんて思ってはいませんし、ましてやテクノロジーを否定しようなんて気持ちもありません。
ただただ、テクノロジーが進化する一方で、退化していく人間力や人間味、人と人のつながり・・・
これを 「残念に思い寂しいと思う人間が少なくとも一人ここにいるんだよ」と言いたいだけです。
もちろん、正直な思いとしては、
買い物にいくと時々で良いので 「コロッケひとつオマケするよ」 と言ってくれそうな
オッちゃんやオバちゃんがいるお店で、小銭をジャラジャラと出してお金を払う、
そんな買い物ができるお店も残しておいて欲しいなぁという思いです。


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