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英語は能力が必要?頭が悪いと覚えない?

一言で言えば、アメリカやイギリスでは幼児でも英語を話しています。
能力も頭の良し悪しも関係なく、環境さえあれば誰でも英語は話せるようになるのです。

問題なのは日本という特殊な国の事情なのだと思います。
日本では、英語に触れさせないようにしようという暗黙の決まり事のようなものがあります。

例えばテレビを観ていると、、、

ドキュメンタリー番組、海外で起こった事件や事故の再現ドラマに登場する現地の人の会話は全て日本語吹き替え。

報道番組、トランプさんが大統領になった時の就任演説は完全な同時通訳。
副音声でさえも本人の言葉を聞かせてもらえなかった。

スポーツニュース、その日素晴らしいプレイをした選手に現地記者がインタビュー。
すると、望むと望まざるとに関係なく、選手の声は強制的に日本語吹替で聞かされます。

音楽CDを選ぼうとすると

Billy Joel, Queen, Beatles, Kiss, Deep Purple, Simon & Garfunkel、
昔は彼らのレコードもCDも良く買いましたが、曲名はことごとくおかしな日本語で書かれていて、原題で覚えている僕にはどれがどの曲なのかがわかりません。
例えば、日本では「暗黒の帝王」というアルバム名と曲名、どうやら調べてみたら原題は Destroyer みたいだということがわかりました
何をどうしたら Destroyer というタイトルが”暗黒の帝王”になるんだか、僕には意味不明です。
そのくせ、日本人の音楽CDを見ると、アルバムのタイトルもどの曲もすべて英文だったりします。
外国人が外国向けに書いた曲もアルバム名も日本語にしちゃうくせに、
日本人が日本人に向けて発売するアルバムは全部英語、、、理解不能です。

もう戦後じゃない

確かに、日本では年配の人や英語に不慣れな人が多いのは事実です。
そういう人達にとっては、身の周りがすべて英語になったら不便だと思います。
でも、今現在日本を動かしている世代、これから先の10年後20年後の日本を動かす世代、その人達まで戦後と同じ環境で暮らしていて良いとは僕は思いません。
今までのように徹底して英語を排除することが、海外と対等にお付き合いのできる国になり、そういうことのできる人材を育てるということにつながるはずがないからです。
せめてカタカナ英語で書かれていればまだしも、無理に日本語にしようという発想は多くの英語アレルギーを生んでいる元凶なのだと、僕は言いたいです。

僕の経験から

僕は中学生の時に Paul Simon というシンガーソングライターの存在を知って、ギターを覚えました。
彼が歌う歌はどれも主張があり、哲学的だったり世の中を風刺したり揶揄するような曲も多く存在しています。
だから、英語の歌詞の一つ一つを噛み砕いて意味を理解するようにして聴き、感動も与えてもらいながら聴いていました。
ですから、英会話には不慣れでも決して英語に対する苦手意識はありませんでしたし、英語が上達することは嬉しくもありました。

外資系企業で仕事をするようになったのがきっかけで英会話教室に
1年ほど通ったことがあります。
費用は25万円くらいかかったように記憶していますが、この英会話教室に1年通った成果を ”1” だったとすると、
仕事の都合でシンガポールに1ヶ月滞在したことで 英語力としての成果は "10" だったと言えます。

学習や勉強より環境

繰り返しますが、日本人が英語にアレルギーを持ち、英語のできる人を見ると「凄い」「頭がいい」 とか、英語のできる人を特別な人のように思ってしまうような国になったのは環境のせいです。
英語を覚えるのに頭の良し悪しなどまったく関係ありません。

もっと英語に接したい、生きた英語を聞き、生きた英語を話したい
それを願ったとしても
それが実現できる場所を見つけ(英会話教室とか)、高いお金を払い、
そのための時間を作らないと英語に触れることさえできない現状があります。
そんな馬鹿みたいなことをしないと英語に触れることもできない環境の国、
僕は日本以外にそんな国を知りません。

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