妄想その9

 週明けの月曜日。
 今日からまた私は社会の渦の中に身を投じる。
 自然と腰が重くなる。
 しかし、世の中にはこの一週間の始まりを楽しみにしているドMな人間がいるらしい。
 そんな人間、世界中に一体何人いるのだろうか?

 週初めの私が最初に行う仕事はゴミ出しだ。
 会社へ出勤するときにアパートに指定された場所へ可燃ごみをダンクシュートする。
 これが私の一週間の始まり。

 いつも電車ギリギリに家を出る私なのだが、今日は割かし余裕を持って家を出ることができた。
 別に意識したわけじゃない。
 たまたまのたまたまだ。

「時間に余裕を持って」

 これは本来褒めるべきことなのだが、今日はそんな自分を叱りたい。
 なぜギリギリまで家でくつろいでいなかったのかと…


「おはようございます」

 さわやかな笑顔で挨拶してくるのはお隣の佐々木さんだ。

「あ、おはようございます。今日も暑くなりそうですねぇ」

 佐々木さんとの関係は良好だ。
 プライベートで一緒になることはないが、ばったり会ったときは立ち話などをすることが多い。

「本当に…暑くなりそうねぇ」

 彼女の年齢を聞いたことはないが、多分私より上だろう。
 2つ…3つくらいかな?
 ちょうど彼と同じくらいの年齢だろう。

「駅まで一緒に歩きましょうか?」
「ぜひぜひ、そうしましょう」

 私たちは一緒に出勤することになった。

 彼女を一言で表すとデキる女と言った感じ。
 恰好もインテリ系だ。
 掛けてはいないが、インテリがしそうな四角いメガネが似合いそうだ。
 佐々木さんはカッコいい女性だ。

 駅まで交わす会話はこれと言って他愛のない話。
 これはいつもそう。
 大半の話題は時事ネタだ。
 女性らしいファッションやメイクの話はあんまりしない。
 社会人っぽい人間が社会人っぽい話をする。
 そんな感じ。
 だがそういった会話がつまらないわけでも嫌いなわけでもない。
 近すぎず、遠からず。
 お隣さんの関係を続けていくにはちょうどいい会話なのだ。

 しかしそんなちょうどいい会話も、駅までの距離を半分超えたところでいきなり終わりを告げた。
 佐々木さんは私のプライベートゾーンにいきなりずかずかと上がって来たのだ。

「そうそう、この間の土曜日。なんだか向田さんたち面白いことしていたわよね?」
「えっ?」
「ベランダで彼氏さんがあなたに告白してなかった?付き合ってくださいって」

 えぇーーーー!!ちょっとちょっと!!待ってよ!!
 この間のあれ、聞こえてたの!?
 確かサッカー部でキャプテンのモテ男先輩が高値のハナである私を校舎裏に呼び出して告白したシーンだ。

「でもあなた断ったよね?ごめんなさいって…あれは劇か何か?」
「そ、そ、そんなことありましたっけ?ちょっとよく分から——」
「そう?あなたナレーションみたいなのもやってなかった?なんかモテ男先輩はびっくりした——」
「——止めて!!それ以上言わないで!!」

 思わず声を上げてしまった。
 周りの通行人の注目が私たちに集まる。
 私はその場を去るように早歩きになる。
 それに佐々木さんもついてくる。

「ごめんなさい、向田さん。そんなにびっくりするなんて」
「…聞こえてたんですか?」
「えぇ、ちょうど私もベランダにいたから。それに…前にも外でやっていたわよね?」
「————!!」

 あのオオカミ男のときだ(※第1話参照)
 私は恥ずかしくて全身が熱くなった。
 まだそんなに気温が高くないというのに…全身から汗が吹き出しそうだ。

「………そのこと誰かに言いました?」

 私はばつが悪そうな顔をして佐々木さんの顔を見る。

「誰かに言うなんて…そんなことしないわよ」

 窮地には変わりないが、私は少しだけほっとした。
 あんなのがアパート中に広まっていたら…今すぐに引っ越しを考えなければいけない。

「ありがとうございます」
「そんなお礼を言ってもらえることなんてしてないわ…ただ…」

 ただ?
 タダ?
 ダダ?
 この人、今ただって言った?
 えっ?何か要求されるの?
 お金?
 さすがにそれはちょっと…

「…私も混ぜてほしいの」
「へっ?」
「あなたたちの劇に私も混ぜて欲しいの。楽しそうだなぁって」

 いつの間にか…私と佐々木さんは足を止めていた。
 駅前で人がたくさんいるというのに…大げさかもしれないが、その場にいるのが私と佐々木さんだけのような感覚に陥った。

「強制はしないわ、彼氏さんの意見もあるだろうし。でも一度聞いて欲しいの。隣の寂しい女があなたたちの遊びをうらやましいと思っていて、それに参加してみたいって思っていることを。お願い、一度聞いてみてくれない?」

 そのときの佐々木さんは全くインテリ系という感じがしなかった。
 1人のか弱い女性がそこにいた。
 寂しそうで何かを求めるような顔をしていた。

「…わかりました。今日帰って彼に聞いてみます」

 それを聞いて嬉しそうな顔をする佐々木さん。
 しかしそんな顔も、私や佐々木さんが乗ろうとしている電車が駅に近づく音で現実に引き戻される。
 止まっていた時間も止まっていた世界もそして私たち自身も遅れを取り戻すかのように忙しく動き出す。

「電車!!急ぎましょう、佐々木さん!!」

 私たちは駆け足で駅へと駆け込んだ。


 ―その日の夜—

 私たちは夕飯を食べながら、今日の朝の出来事を彼へ告げる。
「ん゛あ゛―――!!」
「ん゛あ゛―――!!じゃないわよ。こっちのセリフよ!!」

 顔を両手で抑え、恥ずかしそうにする彼。

「私も死ぬほど恥ずかしかったんだから。全身汗が吹き出したんだよ」
「やっぱり外でやるのは危険だったかぁ」
「だから言ったじゃない!!中でやろうって」
「でもリアリティを追求するためにはベランダでやることが必要だったんだよ」
「何がリアリティよ!!もっと追求すべきところはたくさんあるでしょ!!」

 深くため息を吐き眉間に皺を寄せる。
 弱々しい声で彼が話しかけてくる。

「それで…ハナちゃん断ってくれたんでしょ?」
「いや、それが…彼に聞いてみてってお願いされたから、その場では断らなかったの」
「にゃんですと!?そんなの断れば良かったじゃん」
「私もそうしたかったわよ。そうしたかったんだけど…そのときの佐々木さんの顔を見たらなんだか切なくなっちゃって…」
「あ~、ハナちゃんの優しいところが仇になった」
「それ褒めてるの?貶してるの?それで、一体どうする?」
「どうするってそりゃお断り一択でしょ」
「やっぱそうよねぇ…問題はどっちがそれを言うかよね」
「えっ?それはハナちゃん——」
「——なんで私なのよ。不公平よ」
「だってボクそんなに佐々木さんとしゃべ——」

「ピンポーン!!」

 会話を遮るように呼び鈴がなる。

「まさか…」

 私は席を立ち上がり、インターホンに近づく。

「夜分にごめんなさい。お隣の佐々木ですぅ」

 私と彼は顔を見合わせる。
 お互いにギョッとした顔をしていた。

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