第50話 悪役をボッコボコにしたいという衝動

 続、悪役ネタ。

 前話では、悪役を書く難しさを書いた。
 ボクにはまだ「THE悪役」が書けない。

 ただ、願望はあるのだ。
 悪役をギッタンギッタンのボッコボコにする光景を。
 なんなら、

「一滴の血も残らぬと思え」

 的なセリフを発して、悪を真っ二つにしたい。

 こういった妄想は、よく湯船に浸かっているときにする。
 お風呂の気持ちよさと悪を断つ気持ちよさがシンクロしているのかもしれない。
 とにかく気持ちがいい。

 しかし、いざパソコンを目の前にすると、そうはいかない。

「あのさぁ、俺って…そういうキャラじゃなくね?」

 主人公たちがそうボクに訴えてくる。
 彼らのおっしゃる通りだ。

 物語の主人公は、基本性格がいい。
 聖人君主ばりの性格の良さだ。
 そんな人間のできたキャラたちは、悪役を真っ二つにしない。
 そもそもそういう世界観で創ってないからね。

 もしそれを無理やり実行しようものなら、その後の世界観が崩壊してしまう。
 キャラの整合性がつかなくなってしまい、収拾が付かない。
 敵が真っ二つになる妄想は、妄想のままに終わるのだ。

 そんなことを学んだボクは、ちょっとだけ心情の変化が起きた。
 それは世に出ている作品を読んだときだ。
 展開は悪役を追い詰める主人公たち。

「やっちゃえ!!やっちゃえ!!」

 と期待するが、その後、

「後は裁きが下るのを待ちましょう」

 という無難な着地点に行きつくと、ちょっとガッカリしていた。

「なんでそうなっちまうかな~」

 と愚痴をこぼしていた。
 しかし今は、

「まぁそうなるよね。それがいいよね」

 と勝手に共感するようになってしまった。
 どの口が言うんだろう?(笑)

 ただ、あの悪役だったキャラを許して仲間になる展開。
 あれだけはいつも拒否反応をしてしまう。
 特に異世界モノ作品は、自分を主人公に投影しやすいから、

「そいつ…お前を殺そうとしたんだぞ!?なんで仲間にするんだよ!!俺だったら死んでも仲間にしねぇぞ!!」

 と、いつもそんな感情を抱いてしまう。
 だから自分の書く作品では、この展開だけは絶対にやらないと思う(笑)

 兎にも角にも…「やっちゃえ」をやっちゃっていいのは日産だけである。

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