見出し画像

好きなものが無い

こんなツイートを見かけて、揺らいでいる。

そういえば父。『教養を意識して身に付けなさい』と口煩く言うので理由を尋ねると『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』と言われ、おーっとなった。具体的な方法を聞くと『好きなものを見つけろ、あと好きなものに囲まれている人と繋がれ』と言われ更に納得。
https://twitter.com/senseiwakame/status/1483392094140264449?s=21


だって、私は好きなものが無い。
このジャンルなら深く語れるってものが無い。

訂正、全く何も無いわけではないのだ。
好きなバンドはサカナクションっていえる。
でもそれだってきちんと語れるかと言われたらできないし、そのほかの趣味で、そのくらいの熱量で語れるものはない=「趣味が無い」とみなしてしまう。
そして自分はこういう人間ですって示せるような手持ちがあまりに少ないから、私は中身が空っぽの人間なんだと思ってしまう。コンプレックスのひとつである。

だから、語れるくらいの趣味を持つ人に強く惹かれてしまう。何かのジャンルについてたくさん語れて、駆け回っている人がとてもキラキラして見える。だから焦って、そういう人についていって、楽に新規性を享受しようとしてしまう。でも結局深くハマることはできないまま、なんとなくそばにいて、共感してる風を装うだけなのだ。

このツイートだって、趣味を突き詰めて、このことについてならめちゃくちゃ語れるというタイプの友達がいいねして私のTLに流れてきたものだ。そりゃあなたはこれにいいねするよね。趣味にどっぷり浸かる自らを肯定するツイートだもの。でも趣味とか好きなものが無いことがコンプレックスの私にとっては焦燥感を覚えるツイートだった。

別に趣味はなくても良いんだと思う。
新規性を獲得するのを億劫がって、同じ刺激を繰り返す私の場合は「あったほうがいい」んだろうな、くらいのもの。焦って見つけなくてもいいんだろう。

でも私は軸がないとやっぱり不安だ。軸が欲しい。
自分のことがわからないから、知って安心したい。
自分のいいところがずっとわからない。人に言われても違うって思ってしまう。今の自分にも、将来の自分にもずっと不安があって、人の意見で簡単に「私らしさ」を捨ててしまう。簡単にアイデンティティの足場が揺らぐ。
だから自分はこれが好きなんだ!って少しでも自分を知って、安定を得たい気持ちがある。

あと私は好きなものについても、深く知ることを億劫がる。だから知識が趣味を語るまでに至らなくて、たくさん語れる人に憧れているのだと思う。
ほんとにめんどくさがりなんだなあ。あと深く知って傷つくのが怖いのもあると思う。

好きなものが無いという話をずっとしてきたけれど、
うーん、好きなものをつくるというより、落ち着きたくて、傷つきたくなくて、内へ向かってしまう私の性質に対抗したい。本質はそこのような気がする。
今年の目標は外へ外へと手を伸ばすこと。
一つのことにどっぷり浸かりそうになったときこそ、色んなものを観て聴いて、外の空気を吸う。

大学を卒業して、地元に帰る年です。
せっかく広くなった視野を地元という世界だけで完結させない。外を見る目を忘れずにいるぞ。外と内をつなぐ架け橋でいてほしいと言われてとても響いた。

そして地元を選んだことに自虐的にならないでいたい。
帰りたくて帰るのに、ずっともやもやがある。
自分のやりたいこともわかっていないのですよ。何が好きで、何をやりたいのかわからないから、地元に貢献することが一番に位置して、帰ることを選んだ。

自分のことがわからないから、私の外にある何をみても輝いて見える。自分の持ち物を見つめて探さないと。これもずっと思って、繰り返し言っているけれど変わらない。
見つめることは自分を大事にすること。

外に触れて、自分を大事にしようね。今年は。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?