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会計を知るのは外国語を学ぶのと同じ

[要旨]

会計の言葉は、文字として読めるので、それを読むと理解できたと勘違いしてしまうものの、会計の言葉は、財務状況を表現することに特化した「記述言語」なので、会計を学び、本当の意味を理解していなければ、それは英語を学ばずに英字新聞を読むのと同じことと言えます。

[本文]

今回も、前回に引き続き、嘉悦大学教授の高橋洋一さんのご著書、「明解会計学入門」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、高橋さんによれば、不良債権とは、自社の資産で、取得したときの価額より価値が下がってしまったとき、その下がった価額をいいますが、これは時価会計の考え方であり、資産を取得価額だけでなく、時価でも評価するという考え方を持つことは、銀行との融資取引の関係を深めるためにも大切ということについて説明しました。

これに続いて、高橋さんは、会計を知ることは、外国語を学ぶことと同じということについて述べておられます。「『不良債権』は日本語であり、日本人なら読むことも書くこともできる。しかし、『意味』を正確に理解しているかというと、怪しい。(中略)会計の言葉は、財務状況を表現することに特化した『記述言語』だ。日本語であって日本語ではない。そこまでいっては大げさかもしれないが、財務書類を読めるようになるためには、それ専用の言葉を勉強しなくてはならない。そういう意味では、会計を知るのは外国語を学ぶのと同じである。

なまじ、日本語として読むことも書くこともできるから、わかっている気がする、理解したつもりになっている。それがもっとも厄介なのだ。新聞で経済記事を読んでも、結局、何を読んだのかわからない、という経験はないだろうか。その理由は、恐らく2つだ。まず1つは、そもそも、記者のリテラシーが低いせいで、記事がしっかり書かれていないこと。記者自身がふんわりした理解に基づいて書いているから、ふんわりした記事になる。

あるいは、財務官僚のレクチャーそのままに書くせいで、まるで伝言ゲームのように核心がぼやけた記事になることもあるだろう。このように、記事そのものが怪しい場合は、自分ではどうしようもない。しかし、もう1つの理由は、記事を読む自分のほうに非がある。要するに、会計という『記述言語』がわかっていないから、読んでも理解できないのだ。会計を知らずに経済記事を読むことは、ろくに英語を勉強せずに英字新聞を読むのと、本質的には変わらないのである」(29ページ)

高橋さんのいう「ふんわりした記事」で思い浮かべるのは、内部留保に関する記事です。ちなみに、内部留保は会計の正式な言葉ではなく、貸借対照表の「利益剰余金」を指していると言われています。この利益剰余金については、しばしば、批判の対象になっており、例えば、2023年11月27日の読売新聞の社説では、「日本企業の内部留保は、2022年度に約555兆円と、11年連続で最高を更新した。好調な業績の中で、投資ではなく、内部留保が増え続ける現状への批判は強い」と主張しています。

この社説は、投資が増えない原因を内部留保の増加と説明していますが、簿記を学んだことがある人なら、利益剰余金が増加することが投資の妨げになるどころか、逆に、投資を増やす要因になり、社説の説明が誤りであることはすぐにわかります。100歩譲って、内部留保とは、手元流動性(現金、預金、短期有価証券など、すぐに支払いできる資産)を指すものとして使っているのだとすれば、それは投資を減らす要因になりますが、前述の社説では、「日本企業の内部留保は、2022年度に約555兆円と、11年連続で最高を更新した」と記載しており、やはり、利益剰余金を指しています。

とはいえ、この記事の主旨は、新聞記事の批判ではありませんので、話を戻すと、内部留保という文字のイメージから、内部留保という言葉は、利益をたくさん得た会社が、内部に貯めこんでいる資金と勘違いされ易いのだと思います。したがって、ビジネスパーソンが、もし、会計の知識を持っていなければ、正しい状況分析や判断ができないということが理解できると思います。だからこそ、高橋さんのご指摘しておられるように、会計を学ぶことはとても重要だということが言えるでしょう。

2024/6/10 No.2735

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