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人はウソをつくが数字はウソをつかない

[要旨]

嘉悦大学教授の高橋洋一さんによれば、最低限の会計の知識は、社会人として身につけておくべきだそうです。なぜならば、お金の本当のところが読み取れるようになると、世の中の見え方も変わってくるからということです。すなわち、会計的な知識がなければ、適切な経営判断が困難になるということでもあります。

[本文]

元財務官料で嘉悦大学教授の高橋洋一さんのご著書、「明解会計学入門」を読みました。同署で、高橋さんは、ビジネスパーソンは最低限の会計の知識を身に着けるべきだということについて述べておられます。「日本人は、一般教養として、最低限の会計の知識を身につけていない。これは、実は、私が長年、憂えていることである。会計というと、会計士や税理士などの専門職を思い浮かべる人も多いだろう。『一種の特殊特殊技能だから、自分は会計の知識なんで身につけなくてもいい』と思っているのかもしれない。

確かに、特殊技能は、専門職の人たちのものだ。例えば、髪を美しく切りそろえたりする技術など、私たちすべてが身につけなくても差し支えない。定期的に髪を切ってもらいに行けばいいのだ。しかし、会計の知識は違う。細かい簿記の知識はともかく、世界では会計の原理原則は、『知っていて当たり前の常識』だ。それを『特殊技能』として、“自分とは無関係のもの”、“知らなくていいもの”としているようでは、社会人としてお話にならない。会計とは、お金の出入りや財産を記録するためのものだ。機能は単にそれだけのことだが、その記録から読み取れる情報は大きい。

しかも、上場企業であれば、財務書類はオープンであり、誰でもネットで簡単に閲覧できる。人はウソをつくが、数字はウソをつかない。会計の知識をもって財務書類を眺めてみれば、本当の『金の流れ』がわかる。そして、金の流れからは『権力関係』なんかも見えてくる。金と権力は、つながっているものだからだ。こうした『お金の本当のところ』が読み取れるようになると、世の中の見え方も変わってくる。今より賢く、的確に、世の中をとらえられるようになる。だから私は、『最低限の会計の知識は、社会人として身につけておくべきだ』といっているのだ」(17ページ)

私は、学生時代に会計学を専攻し、その専門性を活かしたいと考え、地方銀行で働くことにしました。銀行で働き始めてからは、会計面から融資相手の会社のご支援をすることに仕事のやりがいを感じていました。そのため、融資相手の会社の経営者の方が、会計にあまり得意でない場合は、銀行職員がご支援すれば、その会社の発展につながると考えていました。

もちろん、このことについては今も変わらないのですが、経営環境の変化が激しくなりつつある中において、経営者自身が会計についても詳しい方が、競争上、より有利であると考えるようになりました。そして、財務キャリア官僚であった高橋さんでさえ、会計学の知識があれば視野が広がると述べておられます。高橋さんは、旧大蔵省で働き始めてから会計を学んだそうですが、旧大蔵省にキャリアとしてご勤務できるほどの能力を持っておられる方でも、会計を学ぶだけで、それだけのインパクトがあるということです。

確かに、会計については、向いている人と向いていない人がいるということも、私も経験的に理解しています。ただ、経営者の方が会計に詳しければ、経営者の方は、より的確な経営判断ができ、そのことは会社を強くするということに間違いはありません。そして、高橋さんは、「最低限の会計の知識は、社会人として身につけておくべきだ」と述べておられます。会計はあまり得意ではないという方は、ぜひ、会計を学んでいただき、経営者としての視点を広げていいただきたいと思っています。

2024/6/8 No.2733

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