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好きこそものの上手なれ。 

 去年noteを書くことを目標に掲げていたにも関わらず、全く書かないままで、気付いたら今年も目標に掲げたのに、もう今年も半分を終えてしまった上に、前の投稿から軽く1年が経過していた。去年下書きを書いていたものを投稿せぬまま放置してたのも一因だろう。

 

 改めてnoteを書こうと思ったのは、Twitterがちょっとおかしなことになりつつあるのと、津村記久子著「苦手から始める作文教室」(ちくまQブックス)を読んだからでもある。文章を書くことを、定期的にやっていた10代から、年を追うごとにどんどん書かなくなっていっていることに気付き、文章を書くことでまとまっていた思考というものがあったのではないか、という考えに思い至ったのもある。いやTwitterで瞬時に思ったことをメモみたいに書いてしまうので、本来メモとして残しておくべきことや、逆にメモだけで済ませないといけないことも、直接的に書かないまでも、つぶやくことで少しさっぱりはするものの、やはりどうしてもモヤッとした感覚が自分の奥底のどこかしらに残ってしまうような気がするし、その内容がいかに論理的に書けてあったとしても、脈略のない違和感のある言葉がぽっと投げられるので、文字数的にすべてが伝わる訳ではないし、すべてを伝えたいのかというとそうでもないし、でもこれを発しないとなんだかなという感情が付きまとうという葛藤があったりなかったり。『ま、つぶやきなんだからそれでいいんじゃね?』に結論はなるんだけど、そんなことを「メモをする」ということの記述を読みながら思ったのだ。

 

 で、なんで今更またnoteなのってことやけど、元々noteが始めてすぐくらいから、音楽について書こうとずっと思っていたのに、継続できないままになっていたので、それを残していきたいな、というのが狙いではある。昨今サブスクで音楽を聴くようになり、たまにネットの音楽記事をちらっと読むくらいで、雑誌のインタビューとかもあんまり読まないし、新たなアーティストとの出会いは、サブスクで組まれているリストだったり、シャッフルでかかってくる曲だったりが多くなってきている。たまに、好きになったアーティストのライブ告知で対バンとして書いてあるバンドが気になって聴くという昔ながらな出会いもあるにはあるのだけど、それも以前よりは導入ではなくなっている感じがある。じゃ、なんで業界の人でもない私が音楽について書くのか、と問われれば、単純に好きだから、というのもあるけど、Twitterで発信しても即時性や即効性があっても、そのアーティストやアルバムやらについて書いたことは残らない。なので、ただの音楽好きが、本気で好きなものをどんどん書いていくうちに、信頼度が上がったりしたら嬉しいな、くらいの気持ちでやってみようかなと。


 知識をひけらかしたい訳ではなく、松重豊さんみたく、本業じゃないけど、本業の上を行くくらいな一般人になれたらなっていうのが密かな願望である。前述の「苦手から始める作文教室」に『好きなものについて書いてみるといい』というような内容が繰り返し出てくるのだけど、文章というものは、そういうものでいいよな、という気持ちになったことは確かだ。『作文くらいの気持ちで書いたらいいではないか』と思うと、少し楽になったというか、何も専門性がなくても、ただの音楽好きが聴いてこう感じたんだってのをつらつらと書くのもいいじゃないか。駄文も、書けば上手くなるかもしれない。聴けば聴くほどに、よい音楽と出会うように、書けば書くほどに、自らが思うような文章を書ける自分になれるかもしれないな、とか調子のいいことを浮かべながら、継続するためのことわざが頭の中を過る深夜である。 

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