【短編小説】曲がった橋は時を刻む (1441字)
「どうしてこの橋はまっすぐじゃないの?」
「それは右手に重要は建物があるからだよ。」
「そうなんだ。まっすぐのほうが格好いいのに。」
「道路だってまっすぐだけだったらつまらないだろう。」
ー そっか、そういうものか。
父親にそんなことを言われて育っていったが、この年齢になってくると昔父親が僕に言った通り、まっすぐで緻密な計算をされた建造物だけが美しいとは限らないのではと思ってくる。
駅から市役所をつなぐこの橋は、僕が子どもの頃に出来たものだった。本当は駅からまっすぐに掛けたかったのだが、途中には江戸時代から続く和菓子屋の本店があり、そこ自体が国の重要文化財となっていた。だからその場所を避けて橋を掛けなければならなかったため、少し複雑な形をしている。流曲線を描く橋は真剣に見てみると美しいのだが、歩いていると何かと不格好だ。
ベビーカーや車いすなんかも決して通りやすいわけではなく、歴史が浅い割にはバリアフリーの考慮不足が感じられるいまいちな建築だった。
そして、この不格好な橋にはさらなる悲劇が起こる。
この橋が不格好となった主な要因である和菓子屋は閉店し、重要文化財であったにも関わらずなんとこの建物を取り壊すことにしたのだ。市としては建物を残したいということだったのだが、店を閉じてしまったのに建物だけ残しても仕方がないと、店主があっさりと建物を取り壊してしまったのだ。
自分が生きた証としてそういった建物は残すのが美学なのではないか、と思った僕も古い人間なのかもしれないが、身軽になった店主は取り壊してからすぐ海辺に移住し、サーフィンや釣りなどをして悠々自適な暮らしをしているらしい。イマドキというか、和菓子の伝統とは何なのだろうか。
結果的に和菓子屋があった場所は更地となり、橋だけが残ってしまったために更に不自然な景観となっている。
「まあ、それでも本人が幸せならいいんじゃないの?」
僕の隣で妻は笑っていた。
妻は一級建築士の娘らしく、家族旅行に行くと父親、つまり僕にとっての義父が窓枠をコンコンとしたりして材料や建物の構造を調べるなど、職業病が出ていて義母と共にあきれていたらしい。
そんな妻の影響もあり、街端の建造物を良く眺めるようになった。歴史のある道路や美術館、役目を終えた船やバスなど、新しい建築物よりも古くからあるもののほうが味がある。年齢を重ねるにつれて僕もそんな風に思っていた。
だけど、本当に一番好きな建造物はこの橋だ。
20年という比較的浅い歴史だが芸術性もない不格好な橋。そして、今は橋を邪魔する建物がない中でなぜか直線でない橋。しかし、不格好な橋は確実に歴史を刻んでいる。
1年に1回のお祭りでは壁にウォールシールが貼られ街を彩ったり、七夕の時期には短冊をぶら下げたりして人々がこの場所で祈りを捧げた。駅と市役所をつなげるために仕方がなくこの形になった橋は、数百万人、数千万人の人たちが渡っていく中で人々の想い出や歴史の一部となっていき、やがてこの街の文化として定着していった。
「アートっぽい建物もいいけど、こうやってインフラとして人々を支えている歴史があるものはいいね。」
僕はそうやって妻に話しかけると、妻も共感してくれているようだった。
そんな僕たちの横では、子どもたちが自分たちの書いた短冊はどれだろうと探している姿が映る。
「ママ、見つけたよ!」
そう言うと子どもたちの母親も喜んでいるようだった。
彼らも大人になったら僕と同じように思う時がくるのだろうか。また、この橋から見る風景が変わっていく日がくるのだろうか。
例え不本意は始まりであったとしても、そこに人がいる限りこの場所はそれぞれの時代で意味を成していく。そう感じざるを得ない。
だから、僕はこの場所が好きだ。
(1441文字)
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