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【短編小説】引退する橋 (2327文字)

 あの橋はバブル期に建てられたものらしい。

 長きにわたって都市開発の計画が進められ、ようやく花開いた瞬間のことだったようだ。建設された当初は国内から観光客が集まりフィルムのカメラで写真を撮り、そのあとは外国人観光客が渋滞を作ってカメラ付きの携帯電話で写真を撮る風景が見られた。日本人も負けじと美しい笑顔と共に写真を撮り、誰かの想い出の地としてその橋は存在していった。

 そんな橋も、今日で終わりを迎える。

 昨今日本国内で老朽化した建物は多く、地震や大雨などの自然災害も増加傾向であることから、国は補強工事をする場所、建て替えをする場所などのリストアップをしていたようだった。

 しかし、この場所はどちらのリストにも残ることはなかった。

 理由はいくつかあるが、やはり人口と観光客の減少、その二点に尽きるのだろう。都心から電車で3時間かかるこの場所は飛行機や車のアクセスもあまりよくないし、インバウンド消費を視野にいれた観光開発なども他の地域と比較すると劣っていたのだ。
 この町は自然豊かであり食事も美味しい土地なのだが、人口が減少している中で訪れる人たちを確保するには相当な戦略と努力が必要だった。しかし、その努力もむなしく、諦めざるを得ないところまで来てしまった。

 このような事態となるまで町の人々は何もしなかったわけでなない。地域の観光課の人たちが商店街を見てまわったり、時には都心から観光業や都市開発のコンサルタントが足を運び町おこしのイベントを人々と一緒に考えた。最初は頭の固かった町の住民たちも徐々に自分たちの子どもや孫のためにと次第に歩み寄っていった。町おこしのイベントは鉄道会社などのキャンペーンなどに掲載されることになり、町の人それぞれが観光客をもてなすための準備をしていた。

 そんな中、大きな事件が起きた。
 町のシンボルであるはずの大橋から飛び降り自殺をしてしまった人が現れたのだ。

 自殺したのは商店街でコンサルタントたちが提案したカフェを経営することになった店主であった。彼は自分のお店である定食屋を家族の反対を押し切り閉店した、という噂だった。
 なぜ自殺をしたのかは誰もわからない。
 しかし、過剰な町おこしのために住民を追い込んでしまったのではないか、そんなことをメディアは報道し、バッシングを始めた。
 鉄道会社も急遽キャンペーンを中止し、この場所から1時間ほど離れた都市とタイアップをすることとなった。鉄道会社の彼らも町に対して歩み寄ってくれた。反対をされつつもこの場所にも足を運んでみませんか、というPRを必死にしてくれたのだ
 しかし、死の匂いがする場所には生気を求める観光客が訪れることはない。足が遠のくのは時間の問題だった。
 
 住民たちは失望した。
 自殺した店主の遺族に対して「水を差すな。」と心無い怒号を飛ばす人間もいれば、どうせうまくいかないと達観しはじめた人、町を去っていく人など様々だった。僕は子どもだったけれでも、町全体がそうした失望感に包まれていたことを今も覚えている。

 それから20年が経ったある日だった。
ー 輸送用のトラックのドライバーたちが橋を渡ることを拒否している。
 東京で開催された同窓会で話をしていた。
ー ついにか。
 あの橋は町の象徴だったが、車で通ると橋老朽具合が激しいという噂はすぐに知れ渡っていった。ただでさえ長時間運転という危険にさらされている運送業の人間たちは、その場所を避けるようになる。そして、輸送時間が余計にかかってしまうという不満も多かった。

 すると役所はすぐに新しい橋を建設した。観光業の発展が難しい中、町を支える農業品や工業品の輸送が出来なくなっては、町の存亡に関わる。そうした危機感を持った人間たちが必死に建設にこぎつけたのだ。
 その新しい橋の利便性は高く、運送業の人たちからも輸送の効率化が出来たという感謝の声が上がった。そして、町の外からも訪れる人たちが少しずつ増えるようになった。ドライブ、ツーリング、釣りなどのレジャー。何年も前に取り組もうとしていた観光客の誘致が、ひょんなことから実現できている。遠い道のりであったがやりたかったことの一部が出来ている。不思議な事象だった。
 町として喜ぶべき出来事であったのだが、ますます以前からあったあの大橋の存在感は日に日に薄れていった。

 そして、今日という日を迎えてしまったのだ。

 その日は橋の解体式が行われるということだった。
ー そんなに大大的に実施するものなんですか。
ー あの橋自体はこの町のシンボルだったから、解体すると決まった時にこの町の出身の人たちに一斉に広まったんだよ。
 広場ではそんな話声が各所で聞こえるほど賑わっていた。僕が生まれて初めて見る光景だった。
 僕はこの町を出てしばらく経っていたのだが、この解体式の話を聞きつけて町に戻ってきた人間たちを見渡すと、二度と会わないと思った顔ぶれもいた。いち早く都心への憧れを抱いており、都心で同窓会があった時にも「あの町には戻らない。」と公言していたからだ。

 そんな故郷を捨てたはずの彼が「あの橋がなくなるのか。」と寂しそうな顔をしている。都会の人間も田舎の人間も、地元を愛していると話していた者も地元を捨てると話していた者も、同じ方向を見つめていた。

ー お別れというのは、ばらばらになった心を一つに戻すことでもある。

 この景色を見ていると、そんな考えが頭に浮かんできた。寂しい気持ちもあるが、とても落ち着く空間だった。そんな皆の気持ちを汲んでいるのか、橋の先に見える海はとても穏やかな表情を浮かべている。

 大型クレーンが両端に準備されたあと、発破技士たちが爆弾に手をかけた。さようなら、そして、この空間を作ってくれてありがとう。そんな言葉が思い浮かんだ瞬間だった。

(2327文字)

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