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初夏に眠る祖父

祖父の四十九日法要が終わりました。
一つ、区切りがついたのかなという気がしています。

祖父の葬式についての記事はこちらです。
内容は特別続いている訳ではないですが、お時間許しましたらどうぞ。


実家は山の中にある。
我先にと陽の光を求める草木はより一層緑を濃くし、眼前に山が迫ってくるような錯覚を与えた。
七月の頭、初夏である。
夏の山は、命の気配がとても強いことをご存じだろうか。
風に擦れる木々、流れる川の冴え渡る冷たさ、凛とした鳥の鳴き声、草の伸びる速さ、大木に巻き付き伸びる蔦、せっせと飛び回る虫達。
皆が、秋へ向けた実りのために暮らしている。
山も川も空も全ての色が濃く、しっかりと網膜に焼き付く。
私の実家は、そうした自然豊かな山の中にある。
周囲に自然があった暮らしをしてきたので、私は四季を匂いや音や色で感じる人間に育った。
皆さんはどのように、四季を感じるだろうか。

そんな中、祖父の四十九日法要が行われた。
遺影の祖父の写真は、葬式で見たときと全く同じである。
だが、少し生命力に近いものを感じたのは、この季節の所為なのかもしれなかった。
幾ら見ていても飽きない顔というものがあると、私は知らなかった。
祖父の笑顔にはそういった類の魅力がある。
家族揃って食事をしたときの祖父を思い出すのだろう。
故人、と呼ぶには、まだ時間が足りないと私は気付いていた。

田舎の墓場は集落を見渡せる小高い丘の上にある。
子供の頃はしょっちゅう遊んでおり、墓場の近くには近所の人の畑もある。
生きている人間の営みと、眠る個人との物理的な距離が近い集落だ。
そのせいか、墓場に対する恐怖心があまりなかった。
祖先が眠る場所なので、敬う気持ちやゆっくりと休んで欲しいという気持ちの方が強いのである。
勿論、夜中に好んで墓場へ行くことはしない。
暗い場所が怖いという気持ちもあるが、冷やかすような行動はしたくないのである。

生命力のある季節に行われる法要は、どこか不思議な空気を感じた。
真っ青な空にもくもくと積乱雲が浮かび、蝉の鳴き声が辺りに響いている。
喪服を着た我々が、和尚さんについてぞろぞろと墓地へ歩いていく。
伸び放題の草原の合間に、大きめの石が置かれている箇所がある。
「昔の方が眠ってらっしゃるのかもしれません」
誰の墓かも分からないが、和尚さんは道中に石を見付けると静かに手を合わせた。
真っ黒な喪服を着た私達は、どんなに濃い草木の緑よりもくっきりと陽に照らされて浮かび上がっている。
祖父も、祖父の兄妹達も、父も、私も、全員がこの墓場へ続く道で遊んだ経験があるだろう。
幾らか風景は変わったところもあるけれど、地形に大きな変化はない。
三世代に渡り我々が遊び場としていた場所だった。
寂しさや諦観もあるが、祖父が安心して休めるようにと祈る喪に服す影が、舗装されていない墓地の道に長く伸びていく。
共に、祖父も歩いてくれただろうか。

恙なく法要が終わり、祖父母宅で線香を上げて拝んだ。
少しずつ祖父が故人になっていく、そんなことを感じながら目を閉じる。
夏の始まりをはっきりと感じさせる、七月の空や風は青い香りがした。


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