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【渡辺省亭】日本画 / 彩色 査定 鑑定 買取 致します

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渡辺 省亭
絹本・墨彩


◎渡辺 省亭の芸術

渡辺省亭(わたなべ せいてい、1852年1月18日生まれ)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家であり、特に花鳥画で高い評価を受けました。本名は吉川義復(よしまた)で、江戸神田佐久間町(現在の東京都千代田区)に生まれました。幼少期から絵に親しみ、16歳で菊池容斎に入門し、厳格な指導の下で基礎を学びました。

省亭は、師である容斎の歴史人物画とは異なり、花鳥画に独自の道を見出しました。明治8年(1875年)、美術工芸品輸出業者の松尾儀助に才能を見出され、起立工商会社に就職。ここで七宝工芸の図案を手掛け、西洋人受けする洒脱なセンスを磨きました。明治10年(1877年)の第一回内国勧業博覧会では、図案や蒔絵の下絵を出品し、三等賞を受賞しました。

その後、パリ万国博覧会への出品を機に、起立工商会社の嘱託社員としてパリに派遣されました。これは日本画家として初の洋行留学であり、エドガー・ドガやエドゥアール・マネの弟子であるジュゼッペ・デ・ニッティスらと交流し、印象派の影響を受けました。特に、ブラックモン風の写実表現を取り入れ、和洋を融合させた新鮮で洒脱な作風を確立しました。

帰国後、省亭は日本画の伝統技法に西洋の色彩感覚を融合させた作品を多数制作しました。明治14年(1881年)の第二回勧業博覧会では「過雨秋叢図」で三等賞を受賞し、明治16年(1883年)のアムステルダム万国博覧会でも銅賞を受賞しました。また、挿絵や口絵の分野でも才能を発揮し、庶民からの人気を博しました。特に、山田美妙の小説『蝴蝶』において裸婦を描き、話題となりました。

省亭は弟子を取らず、画壇にも属さず、一匹狼の立場を貫きました。そのため、言いたいことは歯に衣着せずに言う性格であり、他の画家の作品に対しても率直な批評を行いました。晩年は悠々自適な生活を送り、脳溢血で倒れた後、尿毒症と腎臓炎を併発し、1918年4月2日に66歳で亡くなりました。墓所は台東区浅草今戸の潮江院にあります。

省亭の作品は当時の来日外国人に好まれ、多くが海外へ流出しました。現在、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館、ヴィクトリア&アルバート博物館など、多くの国外美術館・博物館に所蔵されています。その独自の画風と技術は、国内外で高く評価され、近年再評価の動きが進んでいます。2018年には、フランスで開催された「ジャポニスム2018」の公式企画として、パリのギメ東洋美術館での展覧会に作品が出陳されました。また、同年には日本でもまとまった作品が展示され、省亭の芸術が再び脚光を浴びました。

省亭の花鳥画は、伝統的な日本画の技法に西洋の写実表現を取り入れた独自のスタイルが特徴です。その繊細な筆致と豊かな色彩感覚は、多くの人々を魅了し、現在でも高く評価されています。また、工芸品の図案や挿絵など、多岐にわたる分野で才能を発揮し、日本美術の発展に大きく貢献しました。省亭の作品は、時代を超えて多くの人々に感動を与え続けています。

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