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『趣都』アキハバラの誕生(ゼロ年代初頭まで)

1、はじめに

2、オタクと秋葉原の<未来>の喪失

3、オタクとコンピュータの「下方志向性」

4、エヴァンゲリオン・ブームからの「趣都の誕生」

5、秋葉原の都市風景と「建築」の運命

6、結びにかえて


1、はじめに

 現在の秋葉原の風景は、オタクという「趣味」、それと結びついたある特定の傾向をもった「人格」が、秋葉原に「偏在」したことの帰結であり、オタクによる趣味丸出しの「個室」がそのまま都市風景となった結果である点は否めない。それは、「官」や「民」によって主導される「開発」とは全く異なる、まさに「趣都」の誕生である。

 本論考では、秋葉原にオタクが偏在し、秋葉原が『趣都』へと変遷していく系譜に着目したうえで、オタクとコンピュータの関係性、フィギュアの台頭、さらに秋葉原の都市風景や景観も加味し、『趣都アキハバラ』を考察していくことにする。


2、オタクと秋葉原の<未来>の喪失

 秋葉原の〈未来〉の喪失とは何か。秋葉原は戦争直後、近くに現在の東京電機大学があったためにラジオ部品の闇市が栄えたことを発端に、一時期は全国の十分の一の電化製品を売る日本最大の電気街へと成長した。

 しかし、家電製品が輝かしい〈未来〉をもたらすものとしての地位を失い、それを買うことが特別な遠出の理由にならなくなっていくなかで、秋葉原電気街は、80年代末以降は郊外にできはじめた大型量販店に売り上げを奪われていく。家電製品が可能にすると感じられた輝かしい〈未来〉が喪失されることで、秋葉原も電気街としての地位を失ったのである。

 他方のオタクの喪失とは何か。輝かしい〈未来〉の喪失、70年代ごろに起きたとされる科学と技術がもたらす輝かしい〈未来〉というビジョンの喪失にもっとも影響を受けた人々がオタクという集団であり、これが消滅することによってそれまでとは全く異なった新たなオタクが誕生していく。この過程を、オタクの喪失という言葉で表す。

 オタクは、上位の文化的権威に自らが染まるのではなく、それを自己にとりこみ、逆にそれを換骨奪胎して自分色に染めてしまうという「内向的」な人々である。逆に上位の文化的権威に染まるのが「外向的」な人々ということになるのである。(この「外交的」な人々が後に渋谷を中心に彼ら自身の文化的活動の舞台を創り出していく。)

 そのような存在として、(少なくとも初期の)オタクたちは本来、科学や技術を志し、輝かしい〈未来〉を担うような人々であった。だからこそ、〈未来〉の喪失の影響は彼らにはとりわけ大きく、オタクたちはその喪失を虚構―特撮・マンガ・アニメ―によって代償しなければならなかったというのだ。


3、オタクとコンピュータの「下方志向性」

 では、秋葉原が輝かしい〈未来〉をつくりだす家電の街としての地位を失うこと、オタクが〈未来〉を失い、虚構によってその〈未来〉を代償すること、この二つの喪失を媒介するものは何か。それは「コンピュータ」である。

 秋葉原は家電を買う家族連れを顧客として失うことで、マニア向けのオーディオやコンピュータに特化せざるを得なくなった。そうすることで、結果としてコンピュータを好むオタクたちがそこに集まってきていたからだ。

 オタクはコンピュータと親和性が高い。なぜなら、先に見たようにオタクが想定している「技術」や「科学」との親和性、いわば「理系」性からすればそもそも説明不要なのかもしれないが、コンピュータには技術の「下方志向性」が存在するからである。すなわち、コンピュータ、ここではパーソナル・コンピュータ(PC)のことだが、それはそもそもの出自からして反体制的であり、中央集権的な権力、上位の権威を引きずり下そうとする志向と結びついている。

 この点は、たとえば、オーウェルの『1984年』をもじったマッキントッシュ発売時のCM(1949年に発表された近未来の監視社会を描いたジョージ・オーウェルのSF小説「1984年」では、「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる監視者が人々を縛り付ける世界を描いている。) では、当時、圧倒的シェアを誇ったIBMのビジネス用コンピュータを「ビッグ・ブラザー」として描き、閉塞感に満ちた世界を破壊する革命的存在としてのアップルを描いている、と語り継がれている。

 そしてオタクは、このような「下方志向性」と親和性をもつ「内向的」な人々であったために、アキハバラというダイクシスにおいて独自の世界を構築することになる。そもそもオタク文化、その中心にあるアニメにしても、「上位」に位置するアメリカ文化たるディズニーに、それが徹底して排除した「性」と「暴力」を再注入し、自らの支配下に置こうとする手塚治虫の志向から生まれたのだと考えることができる。


4、エヴァンゲリオン・ブームからの「趣都の誕生」

 以上の流れの中で、理系的であるオタクたちはコンピュータととりわけて近しい関係にあり、90年代のコンピュータに特化した秋葉原に集まってきていた。

 そして1997年、エヴァンゲリオン・ブームの後で、ガレージキット専門店である海洋堂が渋谷から秋葉原に移転してくる。その店は秋葉原に集っていたオタクたちの支持によって成功を収め、それをきっかけに多数のオタク向けショップが秋葉原に進出していった。

 こうして秋葉原の街の風景は、著者の旧ラジオ会館のテナントについての調査が明らかにしているように一気に塗り替えられていき、アニメや美少女ゲームの広告やポスターに覆い尽くされた「萌える都市」、秋葉原が誕生したのである。


5、秋葉原と渋谷の都市風景と「建築」の運命

 ところで秋葉原の建物を観察してみると、窓が少なく、仮に残存していたとしてもポスターや商品の箱などで覆われてしまっている。そして、店内も、所狭しと、時には雑然ともいうべき仕方で、商品が並んでいることが多い。

 これは典型的なオタクの部屋の特徴でもある。少々戯画化して述べれば、壁や天井はアニメイラストのポスターで覆われ、多すぎる物が乱雑に積み重なって、ついには窓からの光の道筋まで遮ってしまい、部屋全体が薄暗い…。秋葉原はオタクの「趣都」として、オタクの個室がそのまま都市空間となってしまった場所なのである。

 この虚構へと、あるいはディスプレイに映る情報へと関心を集中するがゆえに、空間に無頓着な性格を持つオタクたちの秋葉原のあり方は渋谷の風景と比較することができる。

 渋谷は80年代に「民」の主導で開発されたオシャレな若者の街であり、そこに集う人々は「外向的」な、上位のアメリカ的な文化に染まっていく人々である。

 そこでは外向性の帰結として、消費は自己演出であり、したがって、そこでの建物はガラス張り化していく傾向がある。渋谷の窓は、秋葉原の窓の小ささに比して、非常に大きい。

 以上のことを別様に俯瞰すると、オタクの部屋や都市にあっては、建造物は単に人や物を収容するという「シェルター」機能に還元されて、そのものとしては重視されず、そこに貼られたポスターや、そこに配置されたディスプレイに表示される内容に関心が集中しているとも見ることができる。

 この事態は「建築の運命」と深く関わっており、建築の定義を再考した際、それは「シェルター」機能を持つ建物に、何らかの価値―宗教的な信条、国家の威信等々―を「表象」する機能を合わせたもの、つまり—オタクにおいて分離されているものの統合体—だからである。

 このようなものとしての建築は、建築物は建造に多くの資金や労力が必要な代わりに耐用年数が長いという性質上、広く社会的に共有され、長期間にわたって支持され続ける「価値」を前提とする。そうでなければ建築によって表象するのはコストが見合わず、これが必然的に建築の概念に内在する「建築」が「宗教的な建築」と断定できる所以である。

 他方で、資本主義はそのようなあらゆる長期的な価値を相対化していく運動である。それゆえ、もう一度「喪失」に話を戻すならば、とうとう70年代に科学や技術が実現する輝かしい〈未来〉という共通の信念が失われた後では、もはや建築は可能ではない。

 現在では、シェルター機能と価値の表象機能を統合する「建築」なるものはコストに見合わず、建造物はシェルター機能へと還元され、そのうえで、ポスターや各種ディスプレイがその時々の、いまや必然的に移ろいやすいものである価値の表象を行うのが合理的であると解釈できる。

 この変化は、1970年に催された大阪万博における「太陽の塔 = 表象機能」と「お祭り広場 = シェルター機能」の分離によって予見され、「オタクの連合赤軍」とも呼ばれたオウム真理教の、表象機能を捨て切ったプレハブ小屋のごとき拠点、そのいわゆる「サティアン」に極まる。

 こうして、趣都たる秋葉原の風景は、「建築の運命」をも、ある仕方で表現していたのである。


6、結びにかえて

 本論考では、秋葉原にオタクが偏在し、秋葉原が『趣都』へと変遷していく中で、秋葉原にどのような変化が起こっていったのかを辿ってきた。以上の事実から、秋葉原はオタクという「趣味」、それと結びついたある特定の傾向をもった「人格」が、秋葉原に「偏在」したことの帰結であり、同時にオタクたちの趣味丸出しの「個室」がそのまま都市風景となった、いわば『趣都(オタク趣味部屋としての個人空間の拡張集合場所)』的性格を持ち、電機街からの発展を見た文化的場所であると考えることができる。

 また、秋葉原は主に「アニメ」や「フィギュア」の台頭によって都市としての姿をさらに大きく変容させていったのだが、これが「アニメ」ではなく“別の何か”であったならば、どのような変化を見せたのだろうか。「秋葉原」という都市には未だ考察の余地がありそうである。



参考文献

・『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』森川喜一郎 幻冬舎

・Webサイト『iPhone Mania ちょうど21年前、アップルが放映した初代Macの伝説的CM』
(https://www.google.co.jp/amp/s/iphone-mania.jp/news-60168/amp/)

・Wikipedia『日本万国博覧会』
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本万国博覧会

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