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「あ、私もそう思っていました」というセリフの脆さ

プロだからって秀逸とは限らない


先日、仲間内の集いでこんなことがありました。

某氏が自分のビジネスに関するお話をしました。
それなりに納得できるものであったものの「なんか、どこにでもあるお話だな」と思いました。

そんなとき、同じ論点についてAさんが発言しました。

Aさんは某氏とは異なる業界の人。
専門家ではないものの、広く深い知識があるので、その発言には周囲も思わず耳を傾けてしまう、そんな存在です。

Aさんのお話は
「仮説でしかないんだけど」
「〇さんの本で書いてあったんだけど」
みたいな謙虚コメントを挟みつつも、とってもクリアで説得力があり、ついでに印象深いものでした。

ぶっちゃけますと。
専門家であるはずの某氏より、はるかにプロフェッショナル感ある。

どちらかと言えば、なんか、その業界の件もAさんにお願いしたほうが良いかも…そんなこと思ってしまった次第です。


Aさんに対する某氏の発言が気になる


Aさんすげぇな。
って思わずみんなが思った瞬間でした。

某氏が一言。

「あ、そうなんですよね。私もそう思ってていて…
私も同じ意見です」

ぬぬ?
そうなのか…

ただ、それはなんか違和感。

それなら、ド素人の私も言うよ。

「私も、頭のどっかでそうは思っていて。
だから納得できていて。
私も同じ意見です!」


思っていた、じゃない


某氏が教えてくれたことは、そう思っていたかどうかなんざ、
「影響を受けたい!プロの格言をぜひ!」と待っているaudienceには何ら関係ない、ということ。

相手に届くプロフェッショナルとしての発信は、
「言語化できたことがすべて」
なのだ、と。

「そう思っていました」
という無邪気な発言には、某氏の純粋さを感じました。
本当にそう思っていたんだろうな。

たぶん某氏じゃなければ
「ほんまかいな」
って写真のネコみたいな顔になっただけだったかも。

同時に、言葉にできる否かという、ただ一線の大きさというか、隔たりの厚さを、ド素人は感じていたのでした。


私は驚くほど考えていない事実


ボスとお仕事をしていると「言葉にできること」の威力を感じる日々。
そして「自分が驚くほど考えていなかった事実」を思い知りました。

漠然と感じていたり、脳が動いている(この辺の明確な線引きは置いておいて)状態はもちろん非常に長いのですが、3分後には何も残っていない。

ありゃ?
けっこういいこと思いついたはずだんだが…

ということがしょっちゅう起こるのです。

だからよく「メモを取れ」とか「アウトプットがすべて」とか言われますけど、習慣化されていないと、とっさのアクションができないんですよね。

で、気づいたのです。

このふわふわした何も残らない状態は、
実際のところ考えちゃいない、ということなのだ、と。

では、考えているか否かの違いとはなんだろう?


今のところ、コレ


これもボスの頭の中をときどき聴かせてもらって気づいたことです。

考えていると言える状態と、言えない状態の違い。

それは
「問を立てているか否か」
なのではないか、と。

自問自答が成立しているか、みたな感じです。

その結果。
私は驚くほど考えられていなかったと、自分を理解しています。


今度、私からお願いして、ボスオリジナルの「問の設計ワークショップ」をリリースしていただくことになりました。
ちょっと、ステージ上げてきます!


ということで。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


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