役に立たないのに死ぬほど長生きをした、ひぃおばあちゃんの話


 わたしの母方のひぃおばあちゃん(みちこ)は、112歳まで生きた。みちこは、生活にも社会的にも、全く役に立たなかった。なんと、家族の誰も、みちこの娘である祖母(やすこ)すら、家事をしているところを一度も見たことがない、らしい。本当に全く動かず、人を顎で使っていた。私が知ってる限りでは、家のことは全てやすこが。その前は、どうしていたかはあんまり知らない(戦争だったのもあり)。まあ、やすこはよく、やすこのおじいちゃんの話をしてくれるのできっと、おじいちゃんが面倒を見ていたのだと思う。
 私が生まれた時から高校生になるまで、みちこは、リビングの奥の部屋でずっとプレステ(囲碁や花札)をしてた。寝る前には、1時間くらいお経を読んでいた。食事の時間になると、部屋から出てきて、ニュースや政治、その日のご飯などに対して文句を言ってお茶を啜っていた。外に出かけるのも、中で動くのも嫌、疲れるのだといつも言っていた。たまにやすこに連れられて銭湯に行った。どうやら、40年くらいそのような生活を送ったらしい。耳が悪いには悪いんだけど、基本的に都合の悪いときに聞こえなかった。絶対に聞こえないふりだった。他にも、幼い私の好物だった魚の目を、自分がたくさん食べたいからと、私からサッと奪い隠し、コソコソ食べたり。オセロで対戦する時も、(結構私も強かったからいい勝負で)みちこは負けそうになると、私が見てない時に自分が有利になるよう白と黒をひっくり返したり。
 母親(あきこ)から、みちこおばあちゃんのことを聞くと、「あ〜みちこはねえ、まじやべえよアレは。私が小さい頃、みちこと2人の日があって、その時に、みちこはご飯作りたくないから、鍋と材料抱えて、隣の家の人のおばさんに、これでこの子にカレーを作ってくださいとお願いをしたの、私本当に恥ずかしかったー」
 母の姉(もとこ)に聞くと、わたしね!昔小さい時、おばあちゃんに、千歳飴をあげたら硬くて、テレビ台で叩いても、何で叩いても割れなくって。そしたら、おばあちゃんがスネを出しなさいと言うから、言う通り出したら、その硬い千歳飴で思い切り、スネを叩きつけられたの。大泣きよぉ〜。そのあとおばあちゃんに叩いた理由を聞くと「弁慶の泣き所」を試したかったと言ったの!本当に痛かった…。絶対に忘れない!と、孫にこの仕打ち。ちなみにこのエピソードで毎回私の母親、あきこは「イーヒッヒアハハハハあ〜おかしい」と言って笑ってた。
 祖母に聞くと、「お母さんは、昔から長生きのためならなんでも食べる人で、山に行った時に長生きを信じて色々な虫を食べていたよ…」と教えてくれた。そのおかげか、驚くほど長生きをした。役に立たないのにも関わらず、とにかく長生きという理由で、県知事から表彰を受けた。(新聞にも載った)
 わたしの家族は、みんな役に立たないおばあちゃんのことが大好きだったし、なぜか役に立たないことに対して誰も文句を言わなかった。それどころか、わたしは大きくなるまでおばあちゃんが役に立たないことについて疑問にも思ってなかった。ただ息を吸って吐く。飯を食い、文句を言って、寝る。
 わたしが高校3年になったあたりから、ひぃおばあちゃんは、心臓に水が溜まってしまい、歩くことが難しくなったので、入院をした。そこから半年と少し、入院生活を送り、みんなに見守られ息を引き取った。全く苦しむことなく。寂しくはなるね、でも、みちこに対して、言いたいこともやりたいこともやったし、年も年なので、皆後悔もなかった。亡くなったあとは、思い出話などで盛り上がった。みちこがいかに役に立たなかったか、という話で皆泣きながら、笑ってた。どこか憎めない、かわいいひとだった。私は「世界で1番、役に立たたないまま長生きをしたであろう人間」としてみちこを心から讃えたい。

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