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コロナで転んだ。しかし、タダでは転ばない。

コロナショックは半世紀後、どのように歴史として記述されることになるのだろうか。

2020年の日本、そして世界はコロナにつまずき、転んだ。はい、見事にコケました。人類衛生上のみならず、政治的、社会的にも西暦2020年に起こった災禍として、年表上に間違いなく記されるだろう。起こった事実は変えられないが、付随する形容詞や副詞にはまだ変化する余地がある。それは、これからどうするかにかかっている。

放送作家、タレントであり、占い師としても有名なゲッターズ飯田氏のブログにこの状況をまるで予見していたかのようなメッセージが書かれてあった。これより引用しつつ考察してみたい。

「転んでもただでは起きない」 ゲッターズ飯田氏のブログより

・転んでみる

※読みやすくなるよう(当社比)に改行、助詞等を一部付け加えています。

「転んでもただでは起きない」
そう本気で思って生きている人に運は味方する

転んでみるもんなんですよね。
それで転んだままにしない。

どう立ち上がるのか、どう起きるのか、人生はそこが大事で、転ばないように転ばないように生きるよりも、転んで見て、その経験を後に「結果的に転んでよかったね~」と言えるようにどう生きるのか。

飯田さん、今、世界まるごと転んでしまっているんすけど。。。

・転んだことに気づく

転んでいるのに気がついていない人がいる、転んでいることを認めない人がいる。自分の生き方だけが正しい、これで間違っていない、そう思い込んで実は転んでいる人が沢山いる。

人生が上手くいかない不満や愚痴や文句が多い人は常に転んだまま、立ち上がろうとしないで転んだままでいるから不満が溜まる。

転んでますよ~、つまづきどころか、地面にお尻や膝がついてる。
東の隅にあった痛みが、西の方へジワリと拡がってきたため、やっと脳らしきものに「アレ?病院いかなきゃダメかな?!」と感じられた様子(2020年3月15日現在)

・転んだ事実を受け止める

どう起き上がるのか?よりも、まずは「あ!自分転んでいるんだ!」と気がつかないと、そのままではいけないと気がつかないと、立ち上がることも起きることもできない。

現実をしっかり見る
現状をしっかり受け止める

飯田さん、イイこと言うねぇ~。

コロナショックは、現代世界を前提なしのゼロベースで見つめ直してみる良い機会だと思う。

それは各個人にも当てはまるし、そうしたい。日本を覆う自粛ムードも静かに自分を見つめることについて後押ししてくれそう。

例えば、時間の「使い方」、仕事の「捉え方」と「携わり方」、お金の「稼ぎ方」と「遣い方」、そして家族や友人の「存在」と「思い」。これらを分解して、解釈、認識し、再度統合する。

どのように見て、考え、行動しているのか、各要素の相関関係と優先度を把握する。そして、どうありたいのか、と本心を問う。これは社会、そして自己と誠実に向き合うことである。

転びまくって、学校一斉休校だ、イベント自粛だ、オリンピック延期もしくは中止だ、大変だ、大変だと騒ぐ世間様は一旦わきに置こう。垂れ流される情報を遮断し、思考力、想像力をフル稼働させて「なぜ大変なの?」「どこでだれがどう困るの?」を見つける。

・タダでは起きない

今の頑張りが未来を作る
どう立ち上がるのか
どう起きるのか

もっと考えて行動する
転んでもただでは起きない
本気で思って生きるといい

ただ
そう思っただけ

そして、「だからこれからどうするの?」をテレビニュースやネットの受け売りでなく、主体的に捉え、行動できるかどうかだ。「今を生きる我々」が試されている。

不謹慎かもしれないが、ネットサーフィン中にふらりとこちらを立ち寄った方々にとって、少なくとも現時点でコロナウイルスが「最悪の事態」をもたらすものではないと思われる。だからこそ、ちょっと余裕をもって、冷静に居られるし、考えられる。テレワークで仕事がノラない時にでも、ご一考いかがですか?

最近、晴れた昼間、近所の公園はボール遊びをし、走り回る子供たちと、その保護者で賑わっている。実に穏やかで、人間らしい風景に見えるのは、わたくしの単なる皮肉だろうか。

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