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何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その4

飛行機の機材トラブル、通信システムの故障など相次ぐトラブルに見舞われつつ、なんとか1日遅れでアフリカに到着したものの、予定していたサファリツアーには間に合わず。その後のスケジュールもわからないまま、わたしたちが連れて行かれたところは・・・。


    〈目 次〉
はじめに
一  アフリカに行こう!
二  怒涛の予防接種
三  タンザニアのビザを取る
四  果たしてアフリカへ行けるのか!?
五  孤島リゾート、チャーレ・アイランド
六  サファリへの戦い
七  とうとう、サファリだ!!
八  アンボセリ国立公園まで
九  マサイの村を訪ねて
十  レイク・ナクル国立公園まで
十一 マサイマラでチータを探す
十二 旅の終わり
十三 戦いの幕切れ
おしまいに

五 孤島リゾート、チャーレ・アイランド

 〈十二月五日 日曜日〉
 早朝、滝の音で目が覚める。「そうか、庭に滝があったのか。夕べ遅かったから気づかなかったんだな」と思い再び寝る。
 おそろしく疲れていたけれど、十時に迎えの車がくることになっているので八時に起床。ドイツ時間で朝の六時だ。かなり辛い。庭をみるが、どこにも滝はなかった。地面が濡れていてあちこちに水溜りがあるところをみると、あれはスコールだったのか。
 朝食をとりにレストランへ。朝の八時だというのに、すでにプールでは元気いっぱいのドイツ人たちが泳いでいる。
 ホテルの庭には野生のサルがいて、ホテルのスタッフをからかっている。この時間ですでにものすごく蒸し暑い。リゾートの朝食らしいバイキングだが、これといって食べたいものがない。どぎつい色の着色料と人工甘味料たっぷりというかんじのオレンジジュースしかないのが、発展途上国に来たという気分にさせる。
 十時少し前にチェックアウトする。しかし、わたしたちはここのホテルのバウチャーを持っていない。ネッカーマンからのレターを見せて事情を説明する。ホテルのスタッフは、このレターをくれと言う。わたしたちも今はこの手紙だけが頼みの綱なのだから、渡してしまうわけにはいかない。コピーをとってくれるように頼む。しかしコピー機が壊れていて取れないという。とにかく手紙は渡せない、と言い張る。幸いこのホテルには、ネッカーマンの現地スタッフがほぼ毎日巡回してくるらしいので、その人に確認するよう頼み、なんとか手紙を渡さずに済んだ。
 昨夜の運転手に言われた場所で迎えを待つ。二十分ほど待ったとき、フロントにわたしたちあての電話がかかる。出るといきなり、「さっきからずっとあんたたちを待っているんだから、早く来い」と言われる。なんのことかさっぱりわからない。「あんたは誰? どこから電話してるのか?」と訊ねる。いろいろ聞いてようやく、迎えの車が別のところでずっと待っていたことがわかった。このホテルは、ネプチューン・パラダイスとネプチューン・ヴィレッジという二つのホテルが同じ敷地に建っていて、運転手はヴィレッジのレセプションで待っているらしい。
 わたしたちはパラダイスで待っていた。昨夜到着した時間が遅かったため、パラダイスのレセプションしか開いておらず、わたしたちはこちらにチェックインしたのだった。夕べの運転手はわたしたちをこっちに降ろして、「明日十時にここで」とたしかに言ったのだ。
 ちょっとむかつきながらヴィレッジのレセプションに向かう。レセプションに着くと、フロントのスタッフがチェックアウトしろという。また事情の説明をしなければならないい。さすがにもううんざりだ。
 迎えにきた運転手は昨日とは違う人だった。それで行き違いがあったようだ。
 十時半にようやくホテルを出発。車にはすでにもう一組若いカップルが乗っていた。オランダ人らしき二人に、とりあえず「待たせてごめんね」とあやまる。
 昨夜通ったホテルまでの道はなんとか車が走行できる舗装がしてあったが、ホテルの建ち並ぶエリアを過ぎると未舗装のでこぼこ道になった。大きな穴があちこちに開いている道を、車は砂煙をあげて走る。でこぼこのたびに体を激しく揺さぶられながら走っていると、途中「ボコ・ボコ」という名前のレストランをみつけて笑ってしまった。
 やがて道の両脇はジャングルのように植物が生い茂った畑になった。三十分ほど走って、畑がとぎれたところにいきなり、チャーレ・アイランド行きの渡し場があった。渡し場と言われたが、舟はない。
 わたしたちが宿泊する予定のチャーレ・アイランドは、モンバサの海岸線からほんの数百メートル沖にある小島で、島がまるごとホテルになっているのだ。しかし島との間の海はとても浅いため、満潮のときしか船で渡ることはできない。このときはちょうど干潮だったため、トラクターで島に渡ると説明された。
 トラクターに乗るのは生まれて初めてだ。トラクターの揺れは、今来た車よりも激しかった。それでも海を目にしたとたん、がぜん元気がでてきた。ここに来るまでのごたごたで溜まった疲れも潮風に飛ばされていくようだった。

 島に渡るとすぐに、ウェルカムドリンクが出た。レセプションからすぐに海が見えて気持ちがいい。海風に吹かれながら、マネージャーらしき人から食事の時間とか娯楽プログラムなどの説明を聞く。電気は自家発電で、夜中の十二時から朝の五時までは発電機を止めるとのことだった。
「何か問題があったらいつでもわたしに言って下さい」
 マネージャーはまだ若そうだったが、落ち着いた話しぶりでとても感じがよい。
「ダイビングはどこで申し込んだらいいでしょう?」
「今日はスタッフが休みでいないけれど明日十時にくるから、スタッフに伝えておきます」
 ダイビングが主目的だったら一日でも早く潜りたくていらいらするところだが、今回はサファリツアーのおまけくらいに思っていたので特に不満はない。
 そう、サファリが一番の目的なのである。まずはそれを解決しないといけない。
 そこにレセプションのスタッフが宿泊のバウチャーをください、と言ってきた。これまでのいきさつを話し、宿泊のバウチャーは来週から七日の予定になっていると伝える。
「ここにいつまで滞在するかは、月曜にネッカーマンと話をしてからじゃないとわからないんです」
 夫が言うと、中年の男性スタッフは「アクナマタータ」と言って、笑顔を見せた。
 今なんて? と聞き返すと、
「スワヒリ語で大丈夫・心配ないという意味ですよ」
と教えてくれた。
「月曜日に担当者と連絡がとれるようにしてあげましょう」
 頼りになる言葉が返ってきた。このスタッフもとても感じが良い。
 やっぱり大規模なホテルよりもこういうこじんまりした素朴なリゾートのほうが肌にあう。ようやく少しほっとして、気持ちが和らいだ。

 島には、シャワーやトイレのついたテントと、アパートメントタイプの部屋があり、どちらも同じ料金だった。わたしたちはアパートメントタイプを予約していたが、結構テントに泊まっている客もいる。一、二泊だったらテントでもいいが、長期滞在となるとアパートメントのほうが快適だろうと思った。
 アパートメント内部のインテリアはアフリカの民芸調で、木彫りがふんだんにつかわれるなどしてかわいい。ベッドにはきれいな生花で歓迎の文字が飾られていた。ベッドにはきちんと蚊帳もついている。海を見渡せるテラスには、昼寝用の立派なベッドも置かれている。
 初めに通されたのは二階の部屋だったが、上の階のほうが風通しがよさそうなので、四階に替えてもらうことにした。ついでに最上階のペントハウスをみせてもらう。百七十平米もあるゴージャスな部屋で、壁には大きなカジキの彫刻、屋根裏部屋にはビリヤード台も置かれていた。こんなところに泊まる人ってどんな人たちなんだろうと夫と想像してみる。まあ、われわれには関係のない話である。
 一時から昼食、ブフェ形式だ。スープから始まり、メニューも豊富でカレーなどもありおいしい。久々にきちんとしたものを食べた気がした。昼食後、部屋のテラスで海風に吹かれながら昼寝をした。最高に気持ちがいい。
 夕方、シュノーケリングに出かける。島の裏手にあるビーチは波があって砂が巻きあがり楽しくなかったので、船着場のある辺りへ移動した。来たときより少し潮が満ちてきて膝くらいの深さになっている。あたり一体、マングローブが生えている。共生ハゼや地味なスズメダイ、コトヒキやブラックスポット・スナッパーなどの群れがいる。木に登るハゼもいた。
 海からあがって、島を散歩する。「キィーウィ」と鳴く鳥、「グリーンペッパー」と鳴く鳥、耳が割れそうなくらい大声で鳴いてるセミ。自然のなかは、都会人が考えているよりずっと音に溢れている。遠くでずうっと電話が鳴っていたが誰も出ないようだった。わたしたち宛ての電話かもしれないのに、早く取ってよ、と思う。
 夕食前、バーでビールを飲む。ケニアのビールを三種類試してみた。ピルスナーというのはドライすぎて好みではなく、ホワイト・キャップというのは発泡酒みたいな薄味だ。象のマークのトゥスカーというのが一番美味しい。以後ビールを頼むときは「トゥスカー」と注文することにする。
 夕食もブフェであった。昼と同様、おいしかった。南アフリカのワインを飲む。しかしやはりワインは残念な感じだ。エジプトでもモルディブでも、リゾート地の高くてまずいワインに閉口していたのに、地元アフリカのものなら大丈夫かもと期待してしまったわたしたちが悪い。グラスワインならそれほどの金額じゃないのがエジプトよりもましか。
 部屋に帰る途中、空を見あげて、ものすごい星の数に圧倒される。昨夜のホテルの比ではない。真っ暗な空いちめんにぎっしりきらめく星々、あまりの数に恐ろしくなるほどだった。
 疲れがたまっていたので、十時には寝てしまう。
 だが夜中に夫が起きだしばたばたと動き始めた。蚊がいる、という。持参した蚊取り線香をたいていたにもかかわらず蚊帳の中に入り込んでいたようだ。刺されてはならじと格闘を始める。

〈十二月六日 月曜日〉
 八時起床。十時間近く寝たのですっかり元気になった。朝食もブフェ。パンケーキがおいしい。
 ここのスタッフは、みんなとても感じがいい。小さい島のリゾートだからということもあるだろうが、すぐに顔を覚えてくれて、名前を呼んでくれる。はにかみながらも親しげな態度で接してくれる。出会えば必ず「ジャンボ~!」と挨拶して、「ハウ・アー・ユー?」と訊ねてくる。でもそれ以上うるさく寄ってくることはなく、ほどほどの距離を保ってくれるのがありがたい。
 実は予約したときに、「こんな辺鄙なところに行ったら、エジプトの二の舞になるかも」と少し不安を抱いていた。以前、エジプトのフルガダというところに行ったときのことだ。オープンしたてのホテルに泊まったのだが、そこで働くスタッフは日本人をほとんど見たことがなかったらしい。ものめずらしげに寄ってきては「ニッポンジン! サムライ!」「握手してくれ」としつこくまとわりつかれた。このチャーレもそれほど日本人がきているとは思えないから、同じようなことが起こるのではと少し不安に思っていたが、取り越し苦労だったようだ。
 十時からプールでダイビングスキルのチェックを受けることになった。実は今回ダイビングのライセンスカードを忘れてきてしまったのだが、チェックダイブをすればOKとのことだった。わたしたちの他に、ドイツ人のカップルが一緒に受けた。
 チェックダイブの後、明日以降のダイビングの申込書を書く。しかし、これからネッカーマンと連絡をとらないと今後のスケジュールがわからない。ひょっとしたら明日からサファリに行くことになるかもしれないので、連絡がとれるまで明日のダイビングの予約を待ってもらうことにする。
 ダイビングスタッフの名前はラシッドといった。ここでのダイビングは、本土の海岸沿いにあるディアニ・マリン・ダイビング・ベースというところがとりしきっていて、ラシッドはチャーレに派遣されてきているとのことだった。
 基本的には、午前中に二ダイブしてお昼前に戻ってくるパターン。週末には泊りがけで、ペムバという島にでかけるツアーなどもあるらしい。ペムバはマンタがたくさんみられるところで、人気のスポットだという。
 昼食後、フロントの人にネッカーマンに電話したいと申し入れた。
「OK。連絡をとれるようにします」
 という返事だったので、午後はずっとバーやフロント付近でうろうろと電話がくるのを待つ。しかし十六時半をすぎても何も言ってこない。手紙に書いてあるネッカーマンのオフィスアワーは十七時までだったので、あせってフロントにもう一度催促することにした。
 手紙をみせて「この番号にもう一度電話してくれないか」と頼んだ。しかし返ってきたのは、
「ここから電話はできません」
 という言葉。
 意味がわからない。電話ができないと威張っていうホテルがあるか。
「どうして? なんで? ホワィ??」
「このホテルには電話がないからです」
 と言われて唖然とする。
「え、じゃあ今までどうやって連絡しようとしてたの?」
 狼煙というわけでもあるまい。まさか伝書鳩?
「無線です。無線でまずモンバサにあるチャーレの事務所に連絡して、そこからネッカーマンのオフィスに電話してもらって、ネッカーマンの担当者のほうからこっちに連絡を入れてくれるよう伝言している。さっきは、ネッカーマンのオフィスには秘書しかいなくて何もわからないと言われました。担当者がつかまるまで待つしかないようです」
 頭が真っ白になった。なんとこの島は、電話すらない、文明とは切り離されたまったくの「孤島」だったのだ。
 しかし変だ。昨日からずっと電話の鳴る音がしていたではないか。どうして誰も電話に出ないのか、ひょっとしたらわたしたちへの電話ではないのか、と気をもんでいたのだ。
 そのとき電話が鳴った。
「ほら、この音。電話だよね?」
「え?」
 スタッフが驚いた顔つきで固まった。真剣な顔で耳を澄ませている。それから突然笑い出した。
「これですか、これは○△○△、虫の声ですよ」
 はぁ? 虫の声。どうりで誰も電話をとらないはずだ。へなへなと足から力が抜けていく。
 どうしても電話したいなら、明日本土に渡って電話のあるところまで行かなければいけないとスタッフがいうのを聞いて、さらにへたりこみそうになった。
「ああ、でも明日は火曜日だから、ネッカーマンの担当者が島に渡ってくるはずですよ」
 という言葉で心に希望の火が点る。
その人と何とか直接話をしよう。「明日、担当者がきたら絶対に捕まえておいてくれ」と頼む。でも、もし明日話ができたとしても、もうタンザニアに行くことは無理かもしれない。悪い予感が頭をよぎる。

 とにかくこの時点で「明日からサファリ」という可能性はなくなったので、明日のダイビングを申し込みに行く。一緒にチェックダイブをうけたドイツ人カップルも来ていた。
 ラシッドも加えた五人そろってテラスでお茶を飲みながら、おしゃべりする。男のほうはクラウスと言って、飄々としていて不思議な雰囲気のある人だ。天然ボケというか、不真面目というか、発言がいちいちちょっと変わっている。ときおりエジプト語を話したりするし、まったくドイツ人とは思えない。
 その日の夕食はコースだった。一皿目と二皿目は二種類のメニューから前もって選んでおく方式だった。夫はオニオンスープとペッパーステーキ、わたしはカニの春巻きと魚のワイン蒸し。わたしのメニューのほうが格段に旨く、当たりだった。
 明日は早い。やることもないので、十時前に寝る。

       <その5に続く→>

<←その3>何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その3|Rock'n'文学 (note.com)


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