何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その5
さっきからずっと電話が鳴っているのにどうして誰もとらないのだろう? われわれはこんなにも旅行代理店からの連絡を切望しているのに・・・。じょじょに諸々の謎が解けてきた今、サファリツアーは自分の力で勝ち取るしかない。こうなったらもう戦うぞ、しかしどうやって。
〈目 次〉
はじめに
一 アフリカに行こう!
二 怒涛の予防接種
三 タンザニアのビザを取る
四 果たしてアフリカへ行けるのか!?
五 孤島リゾート、チャーレ・アイランド
六 サファリへの戦い
七 とうとう、サファリだ!!
八 アンボセリ国立公園まで
九 マサイの村を訪ねて
十 レイク・ナクル国立公園まで
十一 マサイマラでチータを探す
十二 旅の終わり
十三 戦いの幕切れ
おしまいに
六 サファリへの戦い
〈十二月七日 火曜日〉
六時前、蚊の襲撃にあい目が覚める。蚊帳の中に蚊が紛れ込んでいるようだ。ここの蚊には日本の蚊取り線香が効かないのだろうか。すでに三箇所ほど刺されている。やばい。すぐに起きて戦う。一匹つぶした。その後は眠れずそのまま起床。
六時すぎに朝日が昇る。
七時から朝食。通常、この島の朝食は八時からなのだが、ダイビングなどで朝早く出発する場合にはそれに合わせて準備してくれるとのことだった。そういうところも家庭的だ。
七時半、島の沖合いに大きなダイビングボートがやってきた。ボートまで手こぎのカヌーで渡してもらう。ボートはすでに三十人くらいのお客でいっぱいだったが、半数以上がシュノーケリング客のようだ。乗客のなかに一緒に苦難の長旅をしてきたドイツ人数名を発見し、再会を喜び合う。
ボートに乗るとすぐ、ディアニ ・マリンのスタッフからブリーフィングがある。イギリス人男性とドイツ人女性で、ふたりとも英語とドイツ語を話す。今日行くところは、ケニアとタンザニアの国境付近にあるシモーニという島だと言う。その一帯は、自然保護地域になっていて、タンザニアからくる密漁船を取り締まるため常に警備隊がいるという。ダイバーに対しても厳しい監視の目が向けられているらしい。きつい口調ではなかったが、やはりここでも「手袋はするな」と言われる。やはり「手袋をしない」という行為は、自然保護意識を表現する手段であるようだ。手袋をしていると珊瑚などに平気で触れるため環境を破壊するからという理由らしい。どれほどの効果があるかについては疑問に思うところではあるが、従うほかはない。
島に向かう途中、イルカ四頭の群れが船についてきた。小さな子イルカも混じっている。客はみんな興奮している。しばしボートの上からイルカウォッチング。一緒に泳ぎたいと言ってみたが、残念ながら水中には入れてもらえなかった。
シモーニ島付近の浅瀬がシュノーケリングとダイビングのポイントだった。最大でも六メートルくらいの水深しかない。一年前に世界中で起こった海水温度の異常上昇で、ここのサンゴもかなり死んだようだ。魚も少ないし、透明度も悪い。魚種としてはモルディブにいるものとほぼ同じだ。久々のダイビングでそれなりに楽しかったけれど、二本も潜るともうここはいいやと思ってしまう。
二時ごろ、チャーレに戻り、乗船していた他のお客さんともども昼食。他の人たちは昼食後少し島に滞在して三時くらいにモンバサへ帰っていった。どうやらわたしたちのホテルは「野生の島・一日探検コース」というのになっているらしい。
島に戻ってすぐにフロントに訊ねてみたが、ネッカーマンのスタッフはまだ来ていないとのこと。無線でネッカーマン事務所に伝言してもらい、夕方までずっと先方からの連絡を待つ。しかし今日も連絡はなかった。
サファリツアーのページだけ切り取って持ってきていたパンフレットには、明日の水曜日に出発するタンザニア・サファリというのが出ていて、今日のうちに連絡がつけばひょっとしたらそれに参加できるかも、というかすかな希望を抱いていたが、それもあえなく消滅した。
絶望感で押しつぶされそうになるのをこらえつつ、明日のダイビングを予約する。明日はディアニ近くのポイントに潜るらしく、帰りは船でなくディアニから車で帰ることになるようだ。
それはちょうどいい。ディアニの事務所からネッカーマンへ電話させてもらおう。あっちからの連絡を待っているだけでは、胃が痛くなってしまう。とにかくなにか行動を起こすしかないのだ。
かぜをひいてしまったかもしれない。鼻がずるずるする。海でピアスを片方無くしてしまったことに気づく。なんだかついてない。
夕食は今夜もコースメニュー。ビーフサラダ、チキンソテー、デザートはクレープ。
〈十二月八日 水曜日〉
六時半起床。やっぱり鼻風邪だ。喉の痛みなどはない。
七時半朝食、八時には、海岸付近まできたボートに乗る。今日は六名ほどのダイビング客だけなので、昨日のものとはちがって小型のボートだ。昨日一緒だった人はだれもいない。連日潜るような客はあんまりいないらしい。
一本目は、チャーレから少し北にあるキノンドというポイント。やや深めのところにサンゴの根がある。入ってすぐは水が濁っていて暗かったが、後半は冷たくて透明度の高い水が流れ込んできた。べラの幼魚がたくさんいる。ウミウサギ貝がそこらじゅうにいた。
少し船を北に移動させながら一時間ほど休憩して二本目。バオバブというポイント。ちょっと体調が悪かったため、珍しく船に酔ってしまった。一本目もこれといったものはいなかったし、吐きそうなので今回はカメラを持たずに入った。すると皮肉なことに、一メートル以上あるヨコシマサワラの群れの捕食シーンに遭遇。結構ずっとぐるぐる回ってきていたので、カメラを持たずに入ったことが本当に悔しい。透明度もややよくなってきた。今回はまったくいろいろついてない。まあ、人生とはこんなものだ。
二本潜った後、お昼近くにディアニ・マリン・ダイビング・センターへ到着。すぐに事務所で電話をかけさせてもらう。しかしなかなか回線がつながらない。ケニアでは電話はなかなか通じないものらしいことをはじめて知る。
電話が通じずにわたわたしていると、ここのオーナーらしきイギリス人がやってきた。
「明日も潜るのか?」
わたしたちの事情はすでにラシッドから聞いているらしい。
「今からネッカーマンに電話してその結果次第だ」
と答えると、オーナー自ら電話をかけてくれることになった。何度目かのトライでようやく回線を確保することができて、ネッカーマンの事務所に電話が通じた。
電話に出たのは、あいかわらず何もわからない秘書だった。またしても担当者は不在。あなたたちが連絡をとりたがっているというのは伝えてあるから、担当者から連絡があるまで待ってくれ、の一点張りである。
「昨日もチャーレでずっと待っていたのだけれど、担当者は来なかったよね」
「昨日担当者は休みで、連絡はとれませんでした」
このままでは埒があかないので、直接担当者と話をするにはどうしたらいいのか訊ねる。
「今日の夕方にはネプチューンのデスクに行くので、そこに行けば会えるでしょう」
OK、と言って電話を切った。
ことの次第をオーナーに話すと、憤慨した様子で、
「なんで三千マルク以上の金を払って、困らせられている客のほうからわざわざ出向いてやらなくちゃいけないんだ! 普通なら旅行会社のほうから手もみしてご機嫌伺いにくるもんだろう!!」
とまくしたてる。理屈ではたしかにその通りだけどね。
しばしオーナーと立話しする。タンザニアのサファリは、本当に本当にいい(bloody goodとオーナーは言った)らしい。くっそー。
ひとまずタクシーでチャーレの渡し場まで戻る。タクシー代八百ケニアシリング(約十二USドル)と聞いていた。ケニアシリングを持ってないので十二ドルを出した。ドライバーが無線でタクシー会社になにやら確認している。ドルで払うならもう少し高くもらわないとお前は首だと言っている、とドライバーが言う。しかしわたしたちが持っている現金はそれですべてだったので、あきらめてもらうほかない。
トラクターで海を渡りチャーレに戻って急いで着替えて昼食をとると、モンバサに戻るというスタッフといっしょにまた海を渡る。その先はスタッフが運転するミニバスに乗せてもらって、ネプチューンへ。
担当者が来るのは五時だと受付のデスクに表示があった。それまで少し時間があったので、プールサイドのバーへ行くと、苦難の旅を共にしたドイツ人の一人がいた。とてもエンジョイしている様子だ。一日到着が遅れた分、一人あたり六十マルクの払い戻しがあるし、とうれしそうに言う。わたしたちのところには何も伝えられていないので驚いた。
バーでお勘定をお願いすると、宿泊客なら飲み物が無料のホテルのようで、わたしたちも宿泊客だと思われたのかお金を払わずに済んでしまった。
五時十五分前からロビーの受付デスクの前に座って担当者を待った。こちらの要求すべきことを箇条書きにしてまとめておく。
五時ちょうどに担当者が現れた。わたしたちが来るのを知っていたらしく、すぐに話を始めることができた。
話し始めてすぐに、この担当者は、わたしたちが本当に困っていてずっと連絡を待っていたのを知りながら何も具体的にはアクションをとっていないことがわかった。残念ながらサファリツアーはどれも満席で、あなたたちが参加できるものはないのだ、とふぬけたことを言う。きっと初めから、わたしたちのほうからやってくるまで何もしないつもりだったに違いない。
「とりあえずクレーム・レター(苦情報告書)というのを書くから、ドイツに戻ったらこれをネッカーマンに送って払い戻しを受けてくれ」
という話になった。
「払い戻しで思い出したけど、一日遅れた分の払い戻しがあるっていう話ですね?」
と水を向けると、
「ああ、そうでしたね」
という。
「わたしたちは何も聞いてませんけど?」
「それは知らせようがなかったんだよ。会う機会も電話もなかったし」
おまえ、チャーレに電話が無いことぐらい、担当者なら知ってるはずだろ、こっちからはずっと連絡くれって無線を入れてたじゃないか、と激怒しそうになるのを、ぐっとがまんする。
わたしたちは、飛行機が飛ばなかった時点でネッカーマンのオフィスに電話して、「なんとかサファリに追いつけるよう手配します」という話だったからここにきたのだ。サファリに参加できないとわかっていたらこのツアーはキャンセルしていた。なんとしても代替のサファリを見つけてくれと、夫が激しい口調で迫った。
以前ベルギーに住んでいたわたしたちは、ネッカーマンがドイツだけではなくオランダやベルギーにも会社をもっていて同じようなツアーを開催していることを知っていた。このホテルにも各国のツアーのポスターが貼ってある。
そこでわたしたちは彼に次のようなオプションを提示した。
A.ベルギー組の金曜日出発の八日間タンザニア・サファリに参加。これならぎりぎり帰国便に間に合う。
B.土曜日出発のドイツ組タンザニア・サファリに参加する。ただしこの場合、帰国便に間に合う様に日程の調整が必要。
C.どの国のツアーでもタンザニアが無理な場合、タンザニア以外のどれでもよいからとにかくサファリに参加できるよう手配する。
ドイツ人の担当者には、ドイツ以外のツアーをあたることなど思いもよらなかったようで、ここまできてようやく「わかった、他のサファリも探してみます」という返事をもらった。明日事務所に行ってチェックし、結果を無線でチャーレへ知らせてくれることになった。とりあえず、おおきな進展である。
話し合い終了後、彼に車でチャーレまで送ってくれ、と頼んでみたが「帰りは逆方向なんで」と断られる。車代くらい出してもらってもよさそうなものだが、それもなし。
しかたなくフロントでタクシーを呼んでもらうと、クラシックなロンドンタイプのタクシーがやってきた。乗りこんではみたものの、値段が心配になり確認してみるとチャーレまではなんと二千シリング(約二千八百円)だという。
「さっきは八百シリング(約千百円)だったよ」
と言っても、
「これは決まっている値段だ」
と言って価格表を見せられる。
「チャーレまでは道が悪いからね」
などと言う。すでに畑のなかの道に入ってしまっていて、ここで降りるわけにもいかず、仕方なく二千シリング払うことになった。
六時すぎ、チャーレ到着。テラスでラシッドがわたしたちの帰りを待っていた。ビールを飲みながら結果の報告と、その他いろいろな話をする。
ラシッドはディアニに非常勤のような形で雇われているらしい。お客がなくなると突然「明日からこなくていい」と言われてしまう立場なのだそうだ。ディアニはイギリス人とドイツ人が経営しているお店で、ヨーロッパ人のスタッフは優遇しているけれど、ケニア人のラシッドは非常に弱い立場にあるらしい。しかし他の店に移ったとしても同じような不安定な雇用しかないのだという。
それで外国に行って働きたいと思っても、ケニアではパスポートを取ること自体がすごくたいへんらしい。そうとう働いて稼がないと払えない金額らしいのだ。神戸にいる友人を頼って、いつか日本に行ってたくさん稼ぐのが夢だ、と言う。その夢を実現するのはきっとものすごく難しいだろうなあと思ったけれども、口には出さなかった。
とりあえず明日移動することはないので、ダイビングに行く事にする。明日は、行きも車でディアニに行くことになった。八時にディアニに着いていなければいけないということなので明日も早起きだ。
鼻水が出るので、風邪薬を飲んで寝る。それでも、とにかく明日になればどういう形であれスケジュールがはっきりすることになったのでとても気分が楽になった。
〈十二月九日 木曜日〉
五時半起床。まだ夜が明けていない。ダイビング機材などの準備をして六時十五分から朝食。
六時四十五分、ボートで本土へ渡りタクシーでディアニへ。町に出たいというクラウスとその彼女のオーストリッドも一緒の車に乗っていくことになった。ドライバーを入れると六人になってしまったので、一番体格のよい夫が荷台に乗る。
七時四十分、ディアニ到着。他のダイバーを待つ間、施設を見せてもらう。ここはダイバー専用ロッジで、立派なダイビングスクールがある。ダイビングだけが目的ならこういうところに宿泊するのがいいかもしれない。ダイビングツアーのスケジュール表が壁に張ってあった。やはり曜日ごとに行く先も時間も決まっているパターンだ。その時の海のコンディションや潮を見てスポットを決めるということはないようだ。ヨーロッパ人がやっているダイビングショップというのは、どうしてもこういう形になってしまうのだなあ、とため息をつく。
八時すぎ、ボートへ。昨日と同じボートだったが、やはり昨日一緒に潜った人はいなかった。ダイビングだけを目的にきている客はほとんどいないのだろう。
今日のポイントは、二つともディアニから近いところ。一本目は昨日潜ったキノンドより少し北のガルというポイント。やはりヨコシマサワラや巨大コッド、イケカツオ、バラクーダの群れなど大物が出た。べラの幼魚が多種多数いて楽しい。特に日本ではまず見られないヒオドシベラの幼魚が掃いて捨てるほどいるのには狂喜。水はあいかわらず濁っているけれどかなり楽しんだ。一時間も休まずにすぐに二本目、シャークアレーというポイント。特に面白いものはいなかったが、なじみのかわいい小物で楽しむ。モンハナジャコが歩いていた。
十一時四十分、ディアニへ戻る。町に出たクラウスたちはすでにディアニに戻っていて、わたしたちを待っていた。
タクシーを呼んでもらう。ディアニが呼んでくれるのは、昨日と同じマリブ・タクシー、ここが一番安いのだそうだ。そのうえ昨日のバカ高いロンドンタクシーよりもかなり乗り心地が良く、しかも速い。
チャーレの渡し場に着くと、トラクターが故障していると言われる。仕方なくダイビング機材一式を担いで島まで歩いて渡ることになった。すっかり潮がひいてしまって、海水がお風呂のように熱くなっている。
島に着くとすぐフロントへ。やった、ネッカーマンからメッセージが入っていた!!
見せられたメモには「明日の朝、四時ピックアップ。帰りは十二月十六日」とだけ書かれている。他に詳細はまったくわからない。
が、しかし、とにかく明日からサファリだ! やっほー!!
急いで部屋に戻り、明日の出発に備えて濡れた衣類などを洗濯して干す。シャワーを浴びるのももどかしく、「ビール、ビール!!」と叫びつつ昼食へ。
今日の食事はいっそうおいしくてついつい食べ過ぎてしまう。もう、絶好調だ!
昼食の後、少しずつ荷物のパッキングを始める。十六日にサファリから戻ってくるということは、その後二泊はまたここに泊まることになるのだろう。サファリに必要なもの以外はフロントで預かってもらうことにする。まだ乾いていないダイビング機材はダイビングショップで干しておいてもらおう。
夕方五時ごろ、再びネッカーマンから無線が入る。明日から行くのは、ベルギー組のケニアを回るサファリツアーだということだ。やはり最後のオプションに落ち着いたということだ。
ネッカーマンのパンフレットの切り抜きをを取り出して眺める。そこに書かれたケニアを回るサファリには何種類かあったが、七日間という長さから判断すると『ケニア・ハイライト』か『グロス・ケニア・サファリ』のどちらかだろうか。どちらにしても、有名なマサイマラがコースに入っているし、面白そうなツアーだった。
だが、しかし。タンザニアには行けないということだ。旅行を決めたときには、特に深い思い入れがあって選んだわけではないが、こちらへきていろんな人からその素晴らしさを聞かされた後では、タンザニアに行けないことがものすごく大きな損失のように思えてくる。
でももうやめよう。いつまでもタンザニアにこだわっていてもしかたない。明日から念願のサファリだ! サファリ自体初体験なのだから、どこに行こうときっと楽しいに違いない。
夕方、これまでのダイビングの支払いをして、テラスでラシッドやオーストリッドとおしゃべり。クラウスとオーストリッドは、今までアフリカ各国をバックパッカーとして旅行してきた人たちで、おもしろい経験や危ない目にあった話、肝炎やマラリアにかかって苦しんだ話など、たくさん聞かせてくれた。出発してからはじめて、心のそこからくつろいだ気がした。
夕食の後、みんなと別れを惜しむのもそこそこに就寝。明日の出発は朝四時である。
<その6に続く→>
<←その4>何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その4|Rock'n'文学 (note.com)
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