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何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その6

飛行機の機材トラブルから始まったアフリカへの旅、いくつもの苦難をなんとかかんとか乗り越えて、ようやく念願のサファリツアーに参加できることになったのは出発からちょうど一週間後のことでした。
ここからはアフリカの大地をガイドの運転するワンボックスカーで走り続ける旅、さてどうなることやら。


    〈目 次〉
はじめに
一  アフリカに行こう!
二  怒涛の予防接種
三  タンザニアのビザを取る
四  果たしてアフリカへ行けるのか!?
五  孤島リゾート、チャーレ・アイランド
六  サファリへの戦い
七  とうとう、サファリだ!!
八  アンボセリ国立公園まで

九  マサイの村を訪ねて
十  レイク・ナクル国立公園まで
十一 マサイマラでチータを探す
十二 旅の終わり
十三 戦いの幕切れ
おしまいに

七 とうとう、サファリだ!!

〈十二月十日 金曜日〉
 三時前、起床。最後のパッキング。通常この時間帯は電気が通っていないのだが、起きる時間に合わせて発電機を回してくれる。ホテルスタッフがドアをノックして起こしてくれるし、こんな時間でも朝食を準備してくれる。電話はないし、シャワーも塩水、水道の水も飲めないけれど、いいホテルだ、と思う。
 滞在中の飲み物の支払いを済ませ、荷物を預けて、軽い朝食を済ませてからボートへ。

 三時四十五分、対岸に着く。車でモンバサ空港へ。まだ暗い道を走っているうちに寝てしまった。目覚めるとフェリー乗り場だった。こんな早朝にもかかわらず、車の横の通路は、これから勤めにでかけるらしい人たちで満員だ。フェリーがモンバサに着くと同時に、勤め人たちは、降りる車に轢かれそうになりながらもいっせいに走り出す。乗り継ぎのバスに乗るためらしい。やはり勤め人の人生は厳しいのだ。
 五時半モンバサ空港着。ここでベルギーからくるメンバーと合流するらしい。まだネッカーマンの人も来ていなかったので、空港のベンチでぼんやりと待つ。
 夜が明けてきた。車の中に虫刺されの薬を忘れてきたと言って車まで戻っていた夫が戻ってくる。ずいぶん探したがみつからなかったと言う。もう一度、今持っているかばんの中を確かめたらみつかった。かなり寝ぼけている。
 六時半、A&Kという会社のドライバーがやってきて、「あんたたちは、どこのサファリに行くのか?」と訊く。
 A&Kは、ネッカーマンから依頼を受けてサファリツアーを取りしきっている会社らしい。いくつものツアーの車がここでお客をピックアップすることになっているようだ。
「行く先はケニアだということしか知らない」
 と話すと、ドライバーは車の無線でネッカーマンのオフィスに連絡をとってくれた。わたしたちがどのサファリに入るのかを確認してもらう。
 われわれが参加するのは『ケニア・ハイライト』という名前のツアーであることがわかる。その無線で、ベルギーからの飛行機が二時間以上遅れることがわかった。到着を待たずにわたしたち二人だけ先に出発しましょうということになった。
 しかしそれにしてもわたしたちはまだバウチャーもなにももらっていない。そのことを訊ねると、A&Kの人は
「アクナマタータ、ノープロブレム。ダイジョブ、ダイジョブ」
 と言うだけだ。
 今日はこれから、午前中に宿泊地までの二百九十キロを車で行く予定だと言われる。ドイツのパンフレットに書かれた同名の『ケニア・ハイライト』のスケジュール表には、ここから飛行機でナイロビに向かうことになっているのだが。どうやらドイツ向けとベルギー向けでは、同じ名前のツアーでも内容が違うらしいことがわかった。
 となると、これから七日間、どういうコースを回るのかはおろか今日の目的地すらわからない。わからないまま、わたしたちは車に乗せられモンバサ空港を出発した。
 モンバサからナイロビ方面へ向かって走る。明るくなって、町の様子がよくわかるようになった。道端にひしめくように建っているバラックに圧倒される。トタンと廃材を張り合わせ隙間を泥で埋めたような、まさに『掘建て小屋』という感じの建物が軒を連ねている。ほとんどは生活雑貨やら食料品を売る店で、まわりにはたくさんの人々や家畜がひしめき合っている。その雑踏の中で火をたいて、料理をしたりゴミを燃やしたりしている人もいる。なんともこれはすごい風景だ。いままでいくつか旅をしてきた発展途上国でも、ここまで混沌とした風景というのは見たことがなかった。太平洋の真中にある小国のパラオの町ですら、ここの町並みと比べたら格段にきれいで豊かに感じられる。
 ナイロビまでの道は、かなりの部分がすでに舗装されているのだが、未舗装道路よりもでこぼこが激しい。大きな穴があちこちに開いていて、まっすぐに走ることができない。時には舗装したところを走るよりも、未舗装の路肩を走ったほうがいいところもある。
 ドライバーによれば、この路面の悪さの原因は過積載のトラックらしい。時には百トンを超えるようなトラックも走っているとのこと。政府は、過積載に罰金を課して規制しようとはしているのだが、車の数が絶対的に少なく輸送にお金をかけられない環境の中では、過積載の車を無くすことはできないのが現状だ。
 実際に、ものすごい量の荷物や人をあふれるほど乗せたトラックが何台も走っている。地元の人の利用する公共の足『ケニア・バス』は十一人乗りのワゴン車だが、これは決して『満員』にはならないらしい。それは乗る人が少ないからではなくて、もともと定員オーバーが普通なので、どんなにいっぱい人が乗っていても乗りたい人がいたら場所を作って乗せるという意味なのだ。十一人乗りのワゴンにはいつも三十人以上の人が詰まっていた。
 街なかを抜けると草地になり、バラックに代わって土と藁葺きの小屋の集落がところどころに現れる。頭に物を載せて運んでいる人も多く、おお、アフリカだ、と実感する。
 道端には、カシューナッツなどを売る人も立っている。時々ボディに『加茂ホテル』とか『山形屋のてっぽう漬け』などという日本語の書かれた車が走っている。日本から中古車を買ってそのまま使っているのだろう。そこに書かれている文字とアフリカの風景になんの脈絡もないのが面白い。
 途中トイレ休憩のため土産物屋に寄る。こういうところではお決まりのように、売り子がしつこくつきまとってくる。参考までに木彫りのキリンのブックエンドと木彫りの動物たちがテーブルを囲んでいる置物の値段を聞いてみた。こちらは初めから買う気はないのだが、一度値段を聞くとかなりしつこくせまってくる。最初に吹っかけた値段の四分の一くらいまでは落とせるようだ。「いくらになっても、とにかくいらない」といってバスへ戻る。値段交渉というのは苦手だ。どうしても好きになれない。
 手元には今自分が参加しているツアーについて何にも資料がないので、目的地の地名を聞いても場所がわからない。ドライバーに頼んで地図を買ってもらう。四百シリング(約五六〇円)の地図だったが、五百シリング札を渡すと当然のようにおつりは返ってこなかった。

 ヴォイという町を過ぎてしばらくすると舗装道路は終わり、サイザル麻のプランテーション農園などが続いた後、いかにもアフリカらしい草原に入った。道は、ツァヴォ・ウエスト・国立公園を横切る形で続いている。
 公園に入ると時々野生動物が道を横切ったりするようになる。リスから始まり、マングースの群れ、ディク・ディクという小さなアンテロープ(* 注)などが現れ、興奮する。
(* 注)アンテロープ:「偶蹄目ウシ科の哺乳類のうち、ウシ亜科、ヤギ亜科を除いたものの総称。れい(羊編に令)羊。日本ではカモシカと混称されてきた。」(小学館・大辞泉)カモシカと書いたほうがわかりやすいので、この旅行記では、以後「カモシカの仲間」という表現にする。

 焼け付くような太陽の下、赤褐色の土の道がまっすぐにのびて、その両脇には深い緑の草原が広がっている。所々に巨大な蟻塚がある。ああ、いかにもアフリカの風景だ。
 公園のゲートを出るとすぐに、牛や山羊の群れを連れたマサイ族を見る。写真などで紹介されている通り、真っ赤な布をまとって、じゃらじゃらとたくさんのアクセサリーを身につけているので一目でわかる。本当に普通にそういう格好をしているのだ、と興奮する。

 十一時四十分、今日の宿泊地のツィワニ・テンテッド・ロッジ到着。タヴェタという町の北二十キロほどのところで、タンザニア国境のすぐ側だ。タンザニア側にはキリマンジャロがあるらしいのだが、あいにくこの日は曇っていて姿が見えなかった。
 宿泊施設は、テンテッド・ロッジという名前の通り、チャーレにあったようなテント。土台と屋根の部分はきちんとした建物になっていて、テントの中は、ベッドが二つある寝室とは別にシャワー、トイレ、洗面所がついている。電気はないので、オイルランプの照明だ。
 わたしたちを連れてきてくれたドライバーは、これから再びモンバサへ引き返すらしい。これから先サファリを案内するドライバーを紹介される。フセインという名前で、ケニア人なのにどことなくインド系のような顔つきをしている。だがインドに縁があるわけではなく、彼の部族はもともとはエチオピアに近いケニア北部にいたという。
 しばらくして、同じツアーに参加するベルギー人二名が到着した。この人たちは到着の遅れた飛行機に乗ってきたわけではなく、昨日までタンザニアのサファリに参加していて、そこから直接このキャンプまでやってきたのだという。六十歳くらいの、痩せて背が高くいかにもサイエンティストといった雰囲気のギドと、五十歳半ばくらいのどことなくカバを思わせる堂々とした体格のミーケ。二人とも教師だと言う。アントワープからきたという二人は、フレミッシュ(ベルギーのオランダ語圏の人々)だったため、英語が上手で助かった。
 フセインはフランス語が得意なのでベルギー組の担当をしているのだが、フレミッシュの人たちは、フランス語はもちろんできるけれど、フランス語よりは英語で話すほうを好む。そこにわたしたちが加わるのだから、当然英語を話してくれたほうがいい。
 フセインは、苦手といいながらも英語でガイドしてくれることになった。ケニアでは公用語ということもあり、観光を仕事にしている人はほとんど英語を話す。わたしたちにはとてもありがたいことだ。
 考えてみると、ドイツ人グループに入っていたらすべてドイツ語だったはずなので、ベルギー組に入れられたことはかえってよかったのかもしれない。
 レストラン前の池のほとりには、クロコダイルの他、コウノトリやペリカン、ウィーバーという鳥が見られる。ヒヒなどもやってきている。
 椅子に座って動物を眺めていると、ウェイターがやってきて、
「ケニアケーン(ケニアのラム)とケニアのコニャックを使った特製カクテル・キリマンジャロはいかがですか」
 と声をかけてきた。物腰は柔らかだが、とにかく何か飲めよな、という押しの強さも感じられる。
 お薦めのキリマンジャロは高そうなので「もうちょっと手頃なのはないの?」と訊ねる。ケニアケーンに蜂蜜とライムを合わせたもの(値段は半額以下)を注文。すっごく甘い。 
 ギドとミーケから、タンザニアのサファリの様子を聞く。チータがインパラをハンティングするところや、木の上で熟睡するレパード、二十四匹ものライオンの群れなんかを見たらしい。本当だったらわたしたちだってそれを見ていたかもしれないと思うとくやしい。でもこれから同じようなものを見られるかもしれないのだから、希望を持とう。
 わたしたちも予定通りであればタンザニアのサファリに行ってたんだという話をする。飛行機の故障で出発が遅れて間に合わなかったのだというと、ミーケが驚いた。
「あら、わたしたちは偶然ドイツのツアーに二人分の空きが出たからっていうので参加できたのよ」
「えっ、それってわたしたちのことじゃない?」
 うっそー、と思わず叫んだ。わたしたちが参加するはずだったサファリでわたしたちが見るはずだったものを、この二人が見てきた。運命のいたずらに頭がくらくらした。

 一時近くなって昼食。やはりブッフェ。サファリというのだから、まったく食事には期待していなかったのだが、野菜の種類も多く、メニューも豊富でおいしい。ヨーロッパ人観光客が多いせいかデザート類も豊富だった。たくさんの料理なかでもマトンのカレーがおいしかった。でもどうしてアフリカでカレーなのだろう? 
 午後のティータイムにもケーキ類が出される。観光客の食生活はかなり豊かだ。
 昼食後、ちょっと昼寝。かなり疲れていたようで、気絶するように眠る。

 三時ごろ、フセインがやってきて、ツアーの詳細についてのブリーフィングを受ける。これから回るコースなどを聞く。やはりドイツの同名ツアーとはまったく違っていた。
 とりあえず今日これからのスケジュールは、ゲーム・ウォークとナイト・ゲーム・ドライブ。『動物観察の散歩』と『夜の動物観察ドライブ』という意味らしい。『ゲーム』という言葉のこういう使われ方を初めて知る。『狩猟』と言う意味の『ゲーム』に由来するのだろう。初めは狩猟の対象を『ゲーム』と呼んでいたものが、『鳥獣類』そのものを『ゲーム』と呼ぶようになったのではないだろうか。なんにせよ、少し前までアフリカでは、鳥や獣は狩猟の対象だったことを強く感じさせる言葉だ。
 四時半からゲーム・ウォーク。飛行機が遅れてさっきようやく到着したらしい同じグループのメンバー全員と初めて顔を合わせた。わたしたちを入れて総勢十一人、これから七日間この人たちと、車二台に分乗して同じコースを回る。
 サファリツアーで回る自然公園内では、車から降りて歩くことと夜間のドライブは禁止されている。その二つができることが、このキャンプの売りなのだろう。
 ゲーム・ウォークでは、キャンプで働くレンジャー二名が解説をしながら引率してくれた。とにかくアフリカの自然の中を歩けるのがうれしい。動物の足跡や糞をみつけ、なんのものか、それによってわかる生態などを説明してくれる。植物などについても詳しく教えてくれる。とても勉強になる。
池に続く川の中にカバがいた。カバの鳴き声はとてもうるさい。象やインパラなどの骨があちこちにころがっている。バブーン(ヒヒ)、トムソンガゼル、ハートビースト、インパラ、ブッシュバック、ウォーターバック(以上カモシカの仲間)、ブラックフェイストモンキー、ギニア・フォウル(雉の仲間)、エジプシャン・ダック、ゼブラ、バッファローなど、これからのサファリでごくごく普通に見られる基本の動物について教えてもらった。
 一時間半ほどの散歩だったが、とても楽しかった。サファリツアーの一日目としては、とてもいいプログラムだと思った。
 すっかり汗だく埃まみれになったので、帰るとすぐにシャワーを浴びる。シャワーは、蛇口をひねればお湯がきちんとでてくるけれど、このお湯は昼間火をたいてドラム缶で暖めていたものだ。だから夕方六時以降でないとお湯は供給できないらしい。
 日が暮れて薄暗くなったので、ランプの灯りでシャワーを浴びた。
 七時半からはナイト・ゲーム・ドライブ。フセインが運転する車に、わたしたち夫婦のほか、公園のレンジャー一名、ギド、ミーケ、それに後からきたやはりフレミッシュのジャーナリスト一名が乗る。
 レンジャーは強力なライトを持っていて、動物がいそうなところを照らし出す。夜活動的になるカバを始め、ホワイトテイルドマングースの群れ、夜行性のネコの仲間セルボやジェネットキャットが見られた。やっぱりネコ科はかわいい。それにしてもレンジャーの人は、真っ暗なところでよく動物を探し当てるものだ。
 池のほとりでは、カジカ蛙のようなきれいな声の蛙がたくさん鳴いていた。その声を録音するジャーナリスト。一時間半ほどで終了。

 夕食は、池のほとりの庭で、バーベキュー・ブフェ。さっき同じ車に乗ったメンバーは同じテーブルに座ることになっているようだ。ジャーナリストは、ベルギーのラジオ局に勤めていて、世界のあちこちを旅行して番組を作り放送しているらしい。今回の旅行も仕事ということだった。
 テーブルに、沖縄の調味料『こーれーぐーすー』(泡盛に島唐辛子を漬けこんだもの)にそっくりなものが置かれていた。ウェイターに聞くと、シェリー酒に唐辛子を漬け込んだものらしい。さっそくトマト味のスープのかけて食べてみる。味のほうも『こーれーぐーすー』そっくりでおいしい!! そうか、泡盛が手に入らない時には代わりにシェリーを使えばいいのか。ドイツに戻ったらやってみよう。
 夜十時半、就寝。ランプを消してしまうと真っ暗だ。トイレに行くにも、ランプ持参で行く。
 標高が高いせいか、とても涼しい。蒸し暑くて寝苦しかった海岸沿いとは大違いだ。屋外のテントだというのに蚊もいない。久々に快適な夜でぐっすり寝た。
 明け方鳥の声で目覚めて腕時計を見ると、止まっていた。四年前に買ってから初めての電池切れ。なにもこんなタイミングで切れなくても。なんとも今回の旅のめぐり合わせの悪さを象徴しているように思える。

八 アンボセリ国立公園まで

〈十二月十一日 土曜日〉
 六時起床。パッキング。サファリツアーは基本的に移動の連続なので、毎日朝が早い。結構ハードな旅になりそうだ。七時から朝食。
 七時半出発。フセインの車に、ギド、ミーケ、ジャーナリストと乗る。昨日合流した他のメンバー六人は長いつき合いの友人グループで一緒に行動したいとのことで、これからずっとこの組み分けでサファリを続けることになった。

 今日はアンボセリ国立公園までの移動だ。タンザニアとの国境沿いの道をたどっていけば百ロくらいの距離なのだが、その道はかなりの悪路だということ。さらに今は雨季で、ぬかるみがあると途中スタックするおそれがあるということで、当初の予定を変更して、やや遠回りであるがツァボ・ウエスト国立公園内の道を通って行くことになった。公園内のほうが格段に道がいいらしい。
 サファリの車というと、四輪駆動のオフロード車を思い浮かべるが、わたしたちが乗るのは、動物観察用に天井が少しばかり改造されてはいるが、本体は日産の十人乗りワンボックスカー、後輪駆動しかもディーゼルだ。A&Kで使っているのはすべてこのタイプの後輪駆動車だとのこと。4WDの車は、高くてとても商売用には使えないらしい。それにサファリの悪路とはいっても、よほどの場合以外二輪駆動でも十分走れるのだそうだ。よほどの場合というのは完全な雨季のみで、シーズンオフだからお客もいないらしい。日本の立派な舗装道路で馬鹿でかい4WD車を乗り回している『アウトドア』野郎どもに、ぜひ聞かせてやりたいせりふである。
 キャンプを出るとすぐに公園の入り口のゲートがある。しかし、ゲートを開けてもらえない。他のツアー会社の車は次々に入っていく。どうしたことだ。
 ゲートの係官とフセイン、もう一台のドライバーのアブドラが、なにやら口論している。どうも係官は、おまえらのツアーは公園の入園料を払っていないので入ってはいけないと言っているらしい。フセインたちが、公園を通ることはA&Kとの間で話がついているはずだし実際これまで何回も通過していると言って話が対立しているのだ。
 結局アブドラの車に積んである無線を使って係官がA&Kオフィスと直接話し合い、ようやく通過を許される。しかし「おまえらは入園料を払っていないから、通過は許可するが、ゲームドライブはだめだ」と係官が言う。動物を見るために車を止めたりわき道に入ったりしてはいけないということだ。アフリカでもやはり、こういうところの係官は四角四面ということか。
 ゲートのなかに入ると、さすがに動物が多い。マングースの群れ、ゼブラ、インパラ、バブーンの大きな群れなど、次々に現れる。林の中には、たくさんのキリンの姿も見えた。
 けれどわたしたちにゲームドライブは許されていない。走る車のなかから「おお!」「うわあ!!」と叫びつつ通過するだけである。
 突然フセインが道路端の茂みを指差して、「チータ!!」と叫んだ。見ると、茂みのなかにチータのお尻と長い尻尾がゆっくりと消えていくところだった。
 ほ、ほんとうにチータ、いるんだ! わたしと夫の今回一番の目的は、チータ、レパード、ライオンなど大型のネコの仲間、なかでもチータは、かわいらしい顔つきと美しい体型で一番見たい動物だった。
 それなのに、今のわたしたちにゲームドライブは許されていない。ちょっと茂みに車を入れさえすれば、全身まで見ることができただろうけれど。くやしい思いでその場を過ぎる。
 その後もディックディック、ウォーターバック、カバなどを見る。
 公園内は道がいいとは言っても、すべて未舗装のでこぼこ道である。日本ではかなりの山奥に行ってもまず出会わないような悪路だ。
 途中、川が増水して橋の上まで水があふれているようなところも通った。かなりスリリングなドライブだ。これで公園内を通らなかったら一体どんな道だったのだろうか。

 九時半、公園を出た。ゲートをでてすぐのところでタイヤがパンク。道端に車を停めてタイヤを交換する。
 サファリのドライブにパンクはつきものらしく、予備のタイヤ二本が積まれていたが、そのうちの一本はすでに昨日交換したものということであった。残る一本を今交換したので、予備のタイヤはもう無い。
 いつのまにかアブドラの車とははぐれてしまっていた。わたしたちの車には無線がない。もしこの先、途中でまたパンクすることになったら身動きがとれなくなってしまう。公園のゲートを出る直前にあったロッジまで引き返し、そこで無線を貸してもらうことになった。
 立ち寄ったのは、フィンチ・ハットンズという、なにやら高級そうなロッジだった。入り口のガードマンに胡散臭そうな顔つきで用件を聞かれる。事情を説明しお許しを得てロッジ内に入る。
 するといかにも金持ちっぽい上品な白人女性が出てきた。ここのオーナーの一人らしい。フセインは吹き出す汗を拭いながら事情を説明、交渉の末、無線を借りること、さらにガレージを借りてパンクしたタイヤの修理もさせてもらえることになった。
 それを待つ間、わたしたちはロッジ内を散策。レストランの前には池があってカバが何匹もいた。喜んで池のほとりで写真を撮っていると、背後から「早くそこを立ち退け!」という男性の叫ぶ声がして、驚いて振り返る。
このロッジのもう一人のオーナーだった。この池にはクロコダイルもいて、先週お客が噛まれたという。慌てて池から離れ、レストランのテラスから眺めることにした。
 池のほとりには水上コテージ風にテントがしつらえてあって、ゴージャスな雰囲気をかもしだしていた。昼食のセッティング中のテーブルには、高価そうな磁器のお皿と本物のシルバー類が並んでいる。かなりお金持ち向けの高級リゾートらしい。通りかかったウェイターに客層を聞いてみると、「主にドイツ人、スイス人、それとインド人、たまに日本人もくる」とのことだった。
 十一時十五分、パンク修理が終わり出発。
 フセインによると、このロッジのオーナーはドイツ人とイギリス人のカップルで超お金持ちらしい。自分の敷地内に勝手に入るなとかなにかと口やかましく言ってきて、とても感じが悪かったと愚痴をこぼした。
 それでもパンクしたタイヤも直せたし、その間にカバもじっくり見られたし、パンクするには一番いい場所だったよ、とみんなで口々にフセインを慰める。
 バッファローやキリンの群れ。カモシカの仲間を何種類も見る。美しいオリックス、巨大なエアランド、ランドガゼル。トムソンガゼルは小さくて腰にくっきりと縞が入っていてかわいい。ゼブラやヌーの群れ。
 マサイ族の村をいくつか通過。ダチョウやハゲワシ。
 途中に軍隊のゲート。係官がいなくて通れない。フセインが車を降りて探しに行く。
 マサイ族の物売りがどっと押し寄せてきた。みな持てる限りの土産物を手にしていて、「五ドル」「三ドル」などと口々に叫ぶ。半分だけ開けていた窓の隙間から何本もの手が差し込まれ、手作りのアクセサリー類や木彫り、お面、槍などをしつこく押しつけてくる。ちょっと恐ろしい。
 物売りたちは、まずは英語、次にドイツ語、ベルギーから来たとわかると今度はフランス語で話し掛けてくる。マサイ族もかなりやるのだ。でもさすがにフレミッシュ(オランダ語の一種)はしゃべれないらしい。
 わたしたちは、何もいらない、興味がない、と言い張った。すると今度は、こちらが持っている時計やボールペン、Tシャツなどと交換してくれと言ってくる。しつこい物売り攻撃に疲れ果てたミーケが、とうとう木彫りの人形を買わされてしまう。それでも最初の言い値の四分の一以下にまで値切っていた。
 十五分ほどたってフセインが戻ってきて出発、ようやく物売り攻撃から逃れられた。
 十三時四十五分、アンボセリ国立公園入り口のゲートに到着。
 またしてもマサイの物売りが襲来。今度は日本語を話す人もいた。マサイ、おそるべし。

 十四時十分、公園内のオル・トゥカイ・ロッジ着。アフリカらしさをふんだんにとりいれたシックで心地よい建物だ。プールもあり豪華。
 部屋のインテリアも洗練されている。ベッドにはやはり蚊帳がある。部屋においてあるパンフレットを見ると、なんとシェラトン系なのだった。
 遅くなってしまったが、いそいで昼食。ブッフェ。メニューも豊富でめちゃうまである。テラスのテーブルまで、鳥やサルがお客の残したものを狙ってやってくる。ウェイターはパチンコでサルを追い払うのだが、これがまったく当らない。サルはすっかりバカにしていて、ウェイターに追いかけられるのを楽しんでいる様子だ。
 ロッジの庭のすぐそばで象の群れが草を食んでいる。なんだか夢のような風景だ。
 このロッジには二泊するので、昼食後、洗濯。着ていたTシャツがほこりで真っ赤になっていてびっくりした。このあたりは赤褐色の土なのである。ドライブ中かなりの埃をかぶっていたのだなあ。そういえば喉もいがらっぽいし、咳も出る。埃もたくさん吸い込んでもいるのだろう。
 次回来るときには、うがい薬と点鼻薬を持参するようにしよう。

 十六時半から公園内のゲームドライブ。ワートホグ(いのしし)、ハイエナ、そしてとうとうライオンだ!! まだ満足にタテガミの生えていない若いオス一頭にメス三頭、子供一頭という小さい群れだった。昼下がりの眠い眠い時間なのだろう、思い思いの格好で昼寝を楽しんでいた。百獣の王であるライオンは何も恐いものがない様子で、車がすぐそばにきてもまったく動じない。
 ブラックスミス、フィッシュイーグルなど鳥類もたくさんいる。
 広大な草原一面に小さなピンク色の花が咲き乱れている。遠くから象の群れが近づいてきた。なかには生まれたばかりの子象も数匹混じっている。背景にはキリマンジャロがかすかに見える。
 車を止めて見とれていると、象の群れがゆっくりと近づいてきてすぐ目の前を横切って行った。

 二十時から夕食。またもやブフェ。メニューは昼食とあまり変わらなかった。日本人らしき家族が何組かいた。
 夕食後、ロビーで地元の若者たちによるダンスと歌のパフォーマンスを見る。
 ホテルのファックスマシーンで、ギドたちの持っていたスケジュール表をコピーさせてもらう。これでやっとツアーの全日程が明らかになった。
 やはり夜はかなり涼しい。半袖では肌寒いほどだ。

        <その7に続く→>

<←その5>何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その5|Rock'n'文学 (note.com)


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