何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その3
準備万端整えて、いよいよアフリカへ出発だ! と思ったのに・・・
まったく思いがけないことが起こるのが旅というもの。
とはいえさすがにこれはあんまりでは・・・
出発からたちこめる暗雲、はたして未来に希望はあるのか。
〈目 次〉
はじめに
一 アフリカに行こう!
二 怒涛の予防接種
三 タンザニアのビザを取る
四 果たしてアフリカへ行けるのか!?
五 孤島リゾート、チャーレ・アイランド
六 サファリへの戦い
七 とうとう、サファリだ!!
八 アンボセリ国立公園まで
九 マサイの村を訪ねて
十 レイク・ナクル国立公園まで
十一 マサイマラでチータを探す
十二 旅の終わり
十三 戦いの幕切れ
おしまいに
四 果たしてアフリカへ行けるのか
〈一九九九年十二月三日 金曜日〉
朝からものすごい強風。家の前の巨大なゴミ箱が風でとばされ何度も倒れている。このような天候で飛行機は無事飛ぶのだろうか、不安になる。出発予定は夕方なので時間にゆとりはあるが、出発前にやるべきことが気になって寝ていられず、朝早くから起きて活動開始した。
最終的なパッキングを済ませて、留守宅の防犯対策のため照明やラジオのタイマーをセットする。植木の水やりを隣家の人にお願いしているので最低限の部屋の掃除も済ませる。銀行に行っていくつかの送金手続きをし米ドルを購入する。飼い猫をペットホテルに預ける。ペットホテルの主が休暇中のため代理の人が受け取ることになっており、受付時間が一番早くても午後三時という連絡があった。遅くとも四時には空港に向かうために家を出なければいけない。やや不安だったが、約束の時間に問題なく猫を預けることができた。
家に戻りタクシーを呼ぶ。タクシーもすぐにきて、四時少しすぎには空港に着き順調にチェックインまで終えることができた。順調に行きすぎて恐いくらいだ。
今後のスケジュールは以下の通り。
17:15 デュッセルドルフ発(ルフトハンザ)
18:40 フランクフルト着
19:40 フランクフルト発(コンドル・チャーター便)
翌06:10 モンバサ着
到着後すぐに飛行機を乗り継ぎ、タンザニア・アルーシャ空港へ(サファリに参加)
出発まで時間があるので、ルフトハンザのラウンジにて過ごす。心配だった諸々が全て無事に片づいたのですっかりリラックスして、無料の生ビールやワインを飲みつつ楽しく過ごす。
搭乗時間が近づいてきたので、搭乗ゲートへ向かった。しかし時間になっても搭乗開始のアナウンスがない。肝心の飛行機が来ていないのだ。
そのまま出発の予定時刻も過ぎてしまった。フランクフルトで乗り継ぎの時間があまりないので、ここで大幅に遅れたりすると大変だ。心配になって旅行会社のネッカーマンに電話をかける。わたしたちの他にも十人ほどモンバサ行きに乗り継ぐ人がいるので一時間程度の遅れならチャーター便の出発を遅らせる、という返事だった。
十八時近くなってようやく飛行機が来た。十八時二十五分、搭乗開始。さっきの電話から、このくらいの遅れならなんとかなるだろうと胸をなで下ろした。
しかし飛行機はなかなか出発しない。機械のトラブルのためしばらくお待ちください、というアナウンスがあった。これ以上遅れたら乗り継ぎが間に合わないかもしれない。いらいらしながらもおとなしく待つしかない。
そのまま三十分ばかり飛行機に閉じ込められた状態が続いた。十九時近くになって、「機体故障のため、このフライトをキャンセルします」というアナウンスが入る。他の乗客は、直後のフランクフルト便に振り替えて出発ということになった。
しかしモンバサに行くツアー客は、乗り継ぎ便が出発してしまっていたら、今からフランクフルトへ行ってもしかたない。スケジュールの調整が必要ということでデュッセルドルフに残された。ルフトハンザの係員の指示があるまでどうにも動けない。
残されたのは、わたしたち二人の他ドイツ人九人、オランダ生まれで今はドイツで働いているというイタリア人女性一人の総勢十二名だ。みんなサンダル履きで真夏の海へ行くような格好で、トレッキングシューズなどを履いてサファリに行くような姿はわたしたちだけだ。待っている間に訊ねてみると、他の人たちはみなモンバサから海辺のリゾート直行のリピーターで、誰もサファリには行かないらしい。こういう人たちは一日遅れでもとにかく現地に着きさえすればいいのだから気が楽だろう。
航空会社から次の指示が出たのはすっかり夜になってからだった。もはやその日のモンバサ行きの便に乗れないことが確定した。
実は直後のフライトで一般の乗客たちと一緒にフランクフルトへ飛んでいれば間に合う時刻までは、乗り継ぎチャーター便が出発を遅らせて待っていてくれたらしい。しかしいまさらそれがわかったところでどうしようもない。航空会社間の連絡の悪さに腹が立つ。
デュッセルドルフ空港に取り残されたわれわれ十二人は、次の方策を検討するため、ルフトハンザのカウンターでそれからさらに長いこと待たされ続けた。
ようやくルフトハンザから代替のオファーが出る。明日の早朝アムステルダムへ飛んで、そこからナイロビへ飛び、そこからモンバサへ行くというもの。モンバサに着くのは、明日の深夜だという。それではタンザニア・サファリに間に合わない。
サファリができないのなら、アフリカに行ってもしかたない。ふたたびネッカーマンに電話をかける。タンザニア・サファリに間に合わないなら旅行はキャンセルする、代金は全額返金して欲しい、と伝えると、「一日遅れか二日遅れでサファリの中継点で追いつけるように、現地スタッフが手配するから大丈夫だ。とにかく現地に行ってくれ。その後のスケジュールは、到着後に現地スタッフから伝える」という返事だった。
果たして本当に途中から追いつくことなどできるのだろうか。ものすごく不安だが、今はそれを信じて先に進むしかないようだ。
翌朝早く出発するため空港のホテルに宿泊することになった。宿泊代、四十マルクまでの夕食、朝食付きというバウチャーをルフトハンザからもらう。
チェックインしたのは、二十一時を回っていた。英語を話すイタリア人女性と一緒に夕食をとる。他のドイツ人たちはほとんどドイツ語しか話さないので、なかなかコミュニケーションがとれない。ホテルのレストランであんまりおいしくないワインと食事をとり、二十三時半就寝。くたびれ果てた。
〈十二月四日 土曜日〉
五時起床。七時出発の便なので、六時にはカウンターに行かなければならない。五時半にレストランが開くと同時に入って大急ぎで朝食をとる。チェックアウトを済ませてから十二人そろってKLMのカウンターへ向かった。
本日のフライト予定はこうなっている。
07:00 デュッセルドルフ発(KLM)
07:50 アムステルダム着
10:45 アムステルダム発(KLM)
21:25 ナイロビ着
22:30 ナイロビ発(ケニアエアウェイズ)
23:30 モンバサ着
昨日の説明では、十二人を一グループとしてブッキングし、KLMのカウンターでモンバサまでのチケットをまとめて受け取ることになっていた。ところがなかなかチケットがでてこない。コンピューターの不調か、回線が混んでいるのか、システムの不具合なのかよくわからない。出発の時間がどんどん近づいてくる。
しかたないので、とりあえずアムステルダムまでのチケットだけを受け取り、それ以降のフライトのチケットについてはアムステルダムのKLMカウンターで発券してもらうことになった。
セキュリティチェックを受けるまで、最終呼び出しアナウンスで自分の名前を二回ほど聞き、後は一気に搭乗ゲートまで走る。結局飛行機の出発を十分ほど遅らせてしまった。すでに着席している人々の目つきが険しいが、でもわたしたちの責任じゃない。
無事定刻アムステルダム到着。すぐにまたぞろぞろとKLMカウンターに行く。しかし、ここでもチケットの発券ができないと言われる。昨夜のルフトハンザ係員からの説明によれば、すべてビジネスクラスに予約を入れてコンファームも済んでいたはずなのだが、なんと昨夜コンピュータートラブルがあり、オーバーブッキングになっているとのこと。十二人のグループで予約を入れたはずなのに、六人分しか席がないといわれて愕然。搭乗ゲートが開くまで待ってキャンセルなどであいた分のチケットを受け取るしかないようだ。当然ながらビジネスクラスではない。
時間があったので、もう一度ネッカーマンに今後の手配を確認する電話を入れてみる。しかし昨夜の担当者はおらず、電話に出た人も「現地の手配状況については、こちらからでは何もわからないのでとにかく現地へ行ってくれ」というだけ。不安は増すばかりだ。
搭乗開始直前になって、なんとか全員エコノミーのチケットを手に入れることができた。
しかしここでもらえたチケットは、またしてもナイロビまでだ。ナイロビからモンバサまでのチケットについては、またナイロビで交渉しなければならないという。しかも、ナイロビでの乗り継ぎ時間は一時間ほど。入国手続きやらなにやらを考えるとまた頭が痛い。この上さらにナイロビに泊まるというパターンだけはなんとしても避けたい。
十時四十分搭乗。やれやれ、である。しかしナイロビでの乗り継ぎがギリギリ間に合って無事今日中にモンバサに着けたとしても、その後のスケジュールは一体どうなっているのだろうか? 不安が押し寄せてきて、やっと飛行機に乗ったというのにとてもくつろぐ気分ではない。
いろいろ不評を聞いていたKLMの機内サービスだったが、思ったよりもよかった。昼食はかなりよかったし、途中アイスクリームがサービスされたのもうれしい驚きだった。しかしよかったのはそこまでで、夕食はブリトーひとつだけ。せめて暖かかったのでよしとする。
二十一時四十五分ナイロビ到着。予定より二十分ほど遅れた。時間がないのでモンバサ行きの人を先に飛行機から降ろしてくれたのはよかったが、荷物を受け取ってから国内線にチェックインしなければならないとのこと、だがその荷物がなかなかでてこない。チケットももっていないので非常にあせる。空港係員に事情を説明して、チェックインカウンターに話を通しておいてもらうようお願いする。
ようやく出てきた荷物をカートに載せて、国内線のカウンターまで走った。カウンターに行くと、やはりというかまたしても「チケットは?」と聞かれる。まったく話が通っていない。汗をかきながら事情を説明、どうにかチケットを出してもらって搭乗。またまた走る十二人。わたしたちが最後の乗客だったので、もう適当に空いている席に座る。飛行機は定刻どおり出発。
二十三時三十分、無事モンバサに到着した。ここまでくればとりあえずは安心という気持ちと、これから先一体どうなるのかという不安と半分半分である。
空港を出たところに、ネッカーマンの出迎えの人がいて「どこのホテルか?」と聞く。やはり何も聞いてないらしい。タンザニア・サファリに行くはずだったのだが飛行機が飛ばなくて間に合わず、これからの予定は現地で聞くように言われている、と説明する。
それで出迎えの人が空港内のネッカーマンのカウンターをチェック、わたしたち宛ての手紙を発見した。それには、今夜は遅いので途中のネプチューン・ヴィレッジ・ホテルというところに泊まり、翌日、サファリの後に宿泊予定だったチャーレ・アイランドへ移動するように、という指示があり、その後のスケジュールについては月曜日の午後に電話してほしい、ということが書かれている。ということは、少なくとも月曜日まではサファリに行くことはないということになる。もともとの予定だったタンザニア・サファリに遅れて参加するという計画はまず無理だろうという気がしてきた。
まったくここまできても、ちっとも不安は解消されていない。
ネプチューンに行く他の人たちと同じ車に乗せられる。ここが最終目的地だった彼らは、もう開放感いっぱい、元気はつらつではしゃぎまくっている。
途中でバスごとフェリーに乗るのを知ってびっくりした。そうか、モンバサは島だったのかあ、何も知らないで旅行に来てしまったのだなあ、とつくづく思う。
午前二時ごろ、ようやくホテルへ到着。バスを降りると頭上には無数の星が降り注ぐような夜空が広がっていた。
とにかくお腹もすいていたし、のども乾いていたのだが、こんな時間で当然レストランもバーも閉まっていた。部屋にはミニバーなどという洒落たものはない。しかたなく飢えも渇きも我慢して、冷たいシャワーを浴びてさっさと寝てしまうことにする。
しかしベッドに入っても蛙の鳴き声がものすごくうるさくて寝られない。たまらないほど蒸し暑いのだが、窓に網戸がなく蚊が心配なのでエアコンをつけて寝る。しかし、今度はエアコンがうるさい。まったくもって不快な夜である。
<その4に続く→>
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