何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか その1
「情報は古くなる。けれど経験は古びない。」
大昔に書いた自分の旅行記を読み直して、まず感じたのはそれでした。たぶん西暦2000年ごろ、満月かささぎという筆名で、出版人ドットコムという会社から電子書籍で出していただいたものです。当時電子書籍は今のように一般的なものではありませんでした。
もうすぐ四半世紀がたつわけで、時代も大きく変わってしまって、自分のなかではすっかりお蔵入りになっていた旅行記をあらためて読み直したのは、二年ほど前に某出版社が「わたしの旅行記」というようなものを広く募っていて、そこに出してみたらどうかと考えたからでした。
長い時間を経てあらたに読み直してみると、これはこれでけっこう意味のあるものではないかという感じがありました。たしかにこれから旅行に行きたい人にとって必要な情報提供という意味では役に立たないのは明らかです。しかし記録としてはけっこういい。スマートフォン以前の時代、旅というのはどんな感じだったか。遙か遠くの知らない場所で、幾多の困難に遭遇したとき、人はどうやって対処しようとするのか。生まれたときからネット環境があるのが当たり前になってしまった人たちにとってそれは<先史時代>の記録ともいえるんでは。
もうひとつ、初めて目にする風景、生物、文化と対峙したとき人間はなにをどう感じるのかという点。ここに書かれているのはあくまで個人的な体験であるけれど、そこにはやはり普遍的なものがあるのではないか。それが、「情報は古くなる。けれど経験は古びない。」です。
そう思って現在の視点を交えつつ書き直したものでしたが、残念ながら採用には至りませんでした。でもせっかくまとめ直したし、上記のような思いもあって、少しずつ分けてこの場に掲載しようと思い立ちました。
そんなわけで、よろしければ以下本編をお楽しみください。
「何があってもアクナマタータ<アフリカ旅行記>~スマートフォンのない時代に人はどうやって旅をしたのか」 その1
〈目 次〉
はじめに
一 アフリカに行こう!
二 怒涛の予防接種
三 タンザニアのビザを取る
四 果たしてアフリカへ行けるのか!?
五 孤島リゾート、チャーレ・アイランド
六 サファリへの戦い
七 とうとう、サファリだ!!
八 アンボセリ国立公園まで
九 マサイの村を訪ねて
十 レイク・ナクル国立公園まで
十一 マサイマラでチータを探す
十二 旅の終わり
十三 戦いの幕切れ
おしまいに
はじめに
二〇二三年のわたしたちは、スマートフォンという小さな機械を手にしていればたいていの場所に行くことができる。もっとも効率のいい交通手段を検索し、宿も予約し、美味しそうなお店の情報を探して、地図アプリを使えば見知らぬ町の見知らぬ場所まで案内さえしてもらえる。翻訳アプリを駆使すれば、言葉のわからない外国だってさほど不自由なく旅ができる。
これは、そんな万能の機械がなかった時代の旅の記録である。生まれたときからスマートフォンがあって当たり前という世代には、ひょっとしたら信じられない旅のやり方かもしれない。遙か遠い昔の原始的な時代の話のように思われるだろうか。
この旅をしたのは一九九九年。インターネットはあった。でも自宅には光回線はおろかADSLすらなかった。家で使っていたパソコンはウィンドウズ3.1で、動画なんてとても見られる環境じゃなかった。メールはあった。でもテキストのみだった。携帯電話はあった。そのころわたしが使っていたのはおそろしく単純な着信音のノキアの携帯で、アルファベットのショートメッセージは送れたがメールは送れなかった。ネットには繋がらなかったのだ。電話にカメラがつくなんて考えたこともなかった。iPhoneが発売されたのは二〇〇七年。そこからわたしたちの生活は一変したのだ。ちなみに同じ年生まれた赤ちゃんはまだ成人していない。
その程度の、言ってみれば中途半端な過去の時代の話が、果たして面白いのだろうか。わからない。でもなんであれ記録しておくことには意味があると思う。記録しなければすぐに忘れてしまうのが人間だからだ。少なくとも自分は、本当になんでもすぐに忘れる。
二十数年前を、自分の知らない別の世界と思う方も、つい最近のことのように感じている方も、そんな時代にドイツに住む日本人夫婦がアフリカへ旅したときのことを、ともに追体験してみていただければうれしい。
一 アフリカに行こう!
一九九九年 ドイツ
今年も夏に休みがとれなかった。夫は自動車会社の社員で、新車導入など大きなイベントがあると、かなり長期にわたり出張に出てしまう。夏休みどころか、イベント中は週末も休むことはできない。今の仕事が一段落したら、取れなかった夏休みと週末働いた分をまとめて、二週間くらい休みをとることにした。
せっかくの長い休みだ。ふだん行けないようなところに旅行しようということになった。学生時代ダイビング部にいたわたしたちは、いつもなら休みが取れたら何を差し置いても潜りに行くのだけれど、今回はちょっと違うことをしてみたい。たとえば、野生動物を見るサファリはどうだろう。サファリに一週間、その後は海辺のリゾートに滞在するツアーなら潜ることもできる。
もともとアフリカへ行きたいという希望は二人とも持っていた。わたしは、子どものころの愛読書が動物図鑑で一番好きなテレビ番組が『野生の王国』という、今から思えば動物オタクの子どもだった。夫も似たようなものだったらしい。
『野生の王国』の最後には必ず、白髪の小柄な老人が出てきて「こんなに素晴らしい野生動物も、今絶滅の危機に瀕しています。この野生の王国がいつまでも存続するために人間は努力をしなければなりません」と野生動物保護を訴える、というパターンだった。毎週欠かさずそれを観ていたわたしは、「絶滅する前にぜひ一目実物をみなくてはならない!」という危機感を持つようになっていたのかもしれない。
実物を自分の目で見てみたい野生動物のうち、海のものである鯨については実現できた。動物保護団体の調査に参加し、幸運にも水中で一緒に泳ぐという夢が叶った。次はやはり、象、キリン、ライオン、豹など、憧れの野生動物の宝庫、アフリカに行かなければならない。そしてアフリカは、日本からはとても遠い。長い休みも必要になる。それならば、ドイツに住んでいる今のうちに行っておいたほうがいいに決まっている。
そうだ、アフリカに行こう。
そうして夫の仕事の見とおしがついた八月の終わり、旅行の計画をたて始めた。
複数の旅行会社のパンフレットを集めて検討を始めたものの、地名などを見てもいまひとつイメージがつかめない。行きたい気持ちはあってもアフリカについてはほとんど知らないのだ。そのうえパンフレットはすべてドイツ語で書かれている。わたしのドイツ語はまだ小学生のレベルにすらなく、一体どのツアーを選んだらいいのか見当もつかない。
それでも時間をかけて見比べているうちに、だんだんといろいろなことがわかってきた。パンフレットにあるアフリカ行きのパケージツアーは、どれもドイツの主要空港とケニアのモンバサ空港を結ぶ路線が基点になっている。モンバサの海岸にあるリゾートホテルに滞在して、オプションでサファリツアーを申し込むというのが基本形らしいというのがわかった。
オプションのサファリツアーには、ケニア国内だけのものがいくつかと、八日間のタンザニアのサファリがひとつあった。その内容をわからないなりに読解をすすめていくうちに、なんとなくだがタンザニアがよさそうに思えてきた。日程も一番長く金額も一番高いが、セレンゲッティやンゴロンゴロという聞き覚えのある地名がいくつかある。よし、どうせ行くならこれにしよう。
申し込んだのは、ドイツからまずケニアのモンバサに飛び、そこからすぐにタンザニアでのサファリ八日間のツアーに参加し、再びケニアに戻ってケニア南部海岸沿いの小さな島に七日間滞在するというパッケージツアーだった。
申し込みをしてから気づいたのだが、タンザニアに行くためにはビザが必要で(ケニアだけなら不要)、黄熱病の予防注射も義務付けられている。マラリアの予防薬は義務ではないが、服用が望ましい、とパンフレットには記されている。他にも義務付けられてはいなくても受けておいたほうがいい予防接種が何種類もあるようだ。
そういえば以前医者にかかったときに「アフリカ方面へ旅行される方は、早めに予防接種の相談を」という張り紙があったことを思い出した。つい先日ナイジェリアで開催されたサッカーワールドユース大会に、予防注射が間に合わなくて参加できない選手がいたというニュースも記憶にある。
旅行に行くのは十二月だが、早めに医者と相談してスケジュールを組んだほうがいい。というのも、夫は十一月の終わりまで出張の予定がびっしりつまっていてほとんど家にいないのが確定している。はたして旅行に出かける前に必要な予防接種ができるのだろうか。急いで予防接種相談の予約を入れた。
九月の始めのことだった。
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