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「何か足りない町」に住むということ

「BACK TO SCHOOL!」というフジテレビの番組で、ローラが愛媛の三崎高校に体験入学をしていた。三崎高校は界隈の人には知られている、地域おこし活動が盛んな高校。実際にローラも地域おこしに取り組む「せんたん部」の高校生と一緒に地域の新名産品作りに取り組んでいた。

そこで注目された裂織り。
使わない、または使えなくなった布を細く裂いて織る伝統工芸で、江戸時代から続いているという。ローラと高校生はこの裂織りを使って新名産を作ろうと決め、地域の過程を回りいらない布を集めていった。(そのあとの展開もすごくいいお話しだったので気になる人は調べてみてください)

そこで出会った一人の男性の言葉がすごく印象的だった。
限界集落である愛媛県伊方町のことを「何か足りない町」といっていたのだ。


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これは決してマイナスな言葉ではない。
何か足りないからこそ、ないものを作りだす。お金で買えないものを人々のアイディアやセンスで乗り越える。そんな魂が込められている。

これを聞いた時、なんて地方をうまくとらえたワードなんだろうと思わず感激してしまった。若い子に言わせてみたら「何もない」だけど、ここにしかないものがある。ふと育った町を思い出す。

遠くに見える山は夏になると生き生きとした緑に染まり、冬には雪が積もり白くなる。そして春に足をツッコんだ瞬間花粉をばらまくのだ。田んぼに囲まれた通学路を通りおばあちゃんちにいくと、花粉症の私をみておばあちゃんがティッシュを差し出し、おじいちゃんが「お前は本当に鼻をかむのが下手だなぁ」とケタケタ笑う。

あのときの何もない日常にも何かがあった。


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近いうちに地方と首都圏を隔てる壁は無くなっていく。
スマホの使い方が分からないお年寄りにも的確な情報が届くようになるし、お好みのメニューを冷蔵庫が提案して、足りない食材はスマホでポチっと買えばドローンが運んでくれる。進学校の授業を遠隔で受けて単位を取得したり、無駄な通勤時間などないリモートワークが主流になる。あげはじめたらキリがないほど、IoT、AI、ロボットなどの最先端技術が日常の様々な格差を消し去っていくだろう。

それでも私は、何かが足りない町であってほしい。
若者が「この町最高!なんでもある!」なんて言える町を目指して町づくりなんかしちゃいけない。あの子たちはいつまでも不満を言いたいお年頃なんだから。そうじゃなくて「この町に足りないものがある。だから自分たちが持っている技術でどうにかできないか」と思わせることのほうが重要なのではないか。技術をもって格差に立ち向かう戦士は大人だけじゃない。子どもたちこそ適任なのだ。


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いま私の住んでいる久米島の子どもたちは素直で新しい物には興味津々。外のモノ・ヒト・コトをすぐ受け入れる。親戚が多いから幅広い年代とのコミュニケーションにも長けていて、助け合いや補う力が身についている。
彼らがもしテクノロジーを使いこなせるようになればもうこれは鬼に金棒だ。大人なんか比べ物にならないほど優秀で柔軟な発想で島を変えてしまうんじゃないか。(素直すぎるからAIに惑わされないような判断力くらい身に着けてほしいなとは思うが)



彼らがテクノロジーを使いこなす未来を想像すると希望しか感じられない。いま私が大人としてできることは、そんな未来を創造できるよう視野を広げることなのだろう。


そんなことを最近少し考えている。

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