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コピーライター事務所をはじめて15年経ったんですけども……

久しぶりの投稿になりますが、今日(3月31日)は特別な日なので、仕事めちゃ片付いてないですけど筆を執りました。

何が特別なのかと言えば、会社員を辞めて「Rockaku(ろっかく)」というコピーライター事務所をつくってフリーランスで活動し始めてからまるっと15年目かつ法人化10期目の最後の日なんですよ。

我ながら、よくぞ生きてこれたなあと思います。

だって、独立する前、2年以上勤務できた職場、なかったんですよ?
辞めるときも、なにかアテがあって辞めたわけじゃなくて、
上司と言い合いになって勢いで即日逃げ出したんですよ?

(当時の様子を書いた記事↓)

家でヒザを抱えていたら、2階をシェアしてた先輩的なデザイナーから「仕事手伝え」って言ってもらえて、住所同じだから名刺ができてて、「はい、自分でも仕事獲ってこようね!」みたいなノリでスタートしたのが2007年4月くらい。

で、気がついたら15年過ぎていました。

15年……15年すよ?書いてて手が震えてきました。
28歳だった僕が43歳ですよ?
子ども2人もいますよ?法人化してから丸10年ってことは、
120回の給料日+家賃の支払いを乗り越えてきたってことですよ?

別に会社が大きくなってるわけではないし、めちゃくちゃ儲かっているわけでもないですけど、10年潰れなかったし、まあ、新年度もある程度は見通し立ってることを思うと、少しだけ自分を見直してもいいような気がしてきました。いや、褒めてもいい気はするぞ。誰か褒めてください……

と、書きたいことを書きながら整理していくと、こういう散らかった文章になるんですが、基本、ただ15年経ったことを書きたかったので、どうだろう?ここで終わる?

いや、せっかくなので、フリーランス⇒法人化という流れの中で15年も生きてきて、多少なりとも知見が貯まってきてはいると思うので、少しその辺を整理していこうと思います。


1 「仕事なんかないよ」はそんなに信じなくもていい


別に悪意とかじゃなくて、なんだろうな、心理的安全をこじらせた感じなのかな?「会社勤めはもううんざりだけど、フリーになる勇気がない」みたいなステータスあるじゃないですか。僕はまさしく最初それでした。で、同じような状態の仲間とキズをなめ合うわけですよ。

「独立しても仕事なんてなかなかないって」
「だよねー」

あとは、なんとなくキャリアが上の人とかが、アドバイスしてきたりもします。

「コピーライター?仕事なんてないよ?」
「ですよねー」

この会話ね。なんか安心するんですよ。冒険しない自分を許せる感じ。いや、冒険しろとは全く思わないし、しなくてすむならそれがベストなんですけどね。でも、経験上、これだけは言えます。

本当に仕事がないかどうかを確かめる価値はある。

と。もっと言えば、確かめ方を模索するだけでも価値があるんです。もちろん、当時、そんなに自分のことも周りのことも見えてなかったけど、「まあ、なくて元々だけど、あったらラッキーだし、名刺刷ってもらったから配りきるまでがんばってみっか!」くらいのノリで、営業経験ゼロの僕は、ポートフォリオを担いでまちを歩き回ったり、200社くらいにメール出したり、イベントに鼻っ面をねじ込んだりしながら、「本当に仕事はないのか?」を確かめに行ってました。

そしたらね、けっこうあったんですよ。しかも、当時の僕の知識や認識の外側……つまり、広告業界とは少し違った領域のニーズがどんどん見えてきました。


2 競争しなくても生きてはいける

ウェブ制作におけるディレクションや構成・編集・ライティング。
商品開発におけるネーミング。
クレドやブックなど、ブランディングに関わるデザイン周辺。
メーカーのデザイン部の監修……

独立後に出会った印象的な仕事って、よく考えたら、会社員時代、そんなところにコピーライターの仕事があるなんて全く知らなかったし、そもそも前任者がいるとかでもないケースがほとんどでした。

でも、「言葉全般の扱いが理論的・技術的にある程度できる」というコピーライターの職能を当てはめると、意外なほどに仕事はあったんですよ。

何がよかったかって、見渡す限り同業者がほとんどいないんです。誰とも競わなくていい。勝つためではなくて、その仕事のために自分のペースで注力できる。それは、完全に「負けて」独立した僕にとっては、大きな救いであり、恵みでもありました。


3 ブランディングよりマーケティング視点を持つ


この話は、下記の記事に詳しく書いてますが、当初、僕はセルフブランディングに必死だったと思います。

相手にどう思われるか?
どう知られるか?

つまり、発信に躍起になっていた気がします。でも、同時にめちゃくちゃ営業もしてました。僕は基本的にあんまり頭がいいタイプではないと自覚していますが、バカなりに必死ではありました。

「必死」というのは、わりと「今、案件とれないと再来月食べるものがない」くらいの度合いですね。まあ、バカでも営業を繰り返して、ぜんぜん仕事がとれてないと、それなりに考えて、それなりに工夫はするようになるものです。

僕はいっこうに成果が上がらない営業活動を、「こりゃ成果は上がらんな」とわかった上でそれでも続けることにしました。目的を切り替えることにしたんです。

仕事をもらうんじゃなくて、会ってもらう。営業先である事業会社、制作会社、広告会社の人の話を聞く。で、9割断られて1割声がかかるケースの差分をねちっこく分析していく……みたいな。

つまり、ブランディング=発信からマーケティング=収集・調査・改善にシフトして営業活動を続けたんですよね。たぶん。

「たぶん」というのは、当時はそこまで意識的ではなくて、でも、後になんであんなことやってたんだろう?と考えて整理していくと、まあ、そういうことだったよな。みたいな、そんな感じではあるんですけどね。

4 小さな事務所の戦略の軸は「持続力」なんじゃね?


「いっこうに成果が上がらない営業」って言いましたが、1年2年と続けていくと、徐々に変化が起きてきます。「忘れた頃に声がかかる現象」が頻発してくるんですよ。

今でもお付き合いがある広告代理店のアートディレクターさんがいるんですけど、彼はもともと小さな制作会社のデザイナーで、僕が営業かけたとき、1回だけ相手をしてくれた人でした。

それが数年後、引き抜かれて交通広告などを手がけるようになり、「コピー書ける人知らない?」って話になったとき、僕のこと(正確には僕の名前ではなく、Rockakuの名前)を思い出して、検索して連絡をくれた。

これって、屋号とか名刺のデザインとかサイトとか、いろんな要因が絡み合った話ではありますけど、大前提として、「思い出されるそのときまで、続けていられていること」があるじゃないですか。


5 「無駄でもいいからやっておく」方がいい

小さな布石しか打てないからこそ、その布石が動き出すまで生き残る。その布石をどれだけたくさん打って、どれかの「当たり」をつないでいくような。

こう書いちゃうとなんだか途方もない感じもしますけど、要するに「やっても無駄」より「無駄でもいいからやっておく」の方が、たぶんいい。少なくともその繰り返しを15年やってきても(さすがに最近は飛び込みはしてないっすけど)、いわゆる「冴えたやり方」なんて全くわからないですけど、15年前にあった漠とした不安はなくなりました。

慣れたと言えばそうかも知れませんけど、僕は信頼しているんです。15年も繰り返して積みかさねてきた「無駄でもいいからやっておく」が、何物にも代えがたい財産になっていることだけはわかってますからね。もちろん、客観的に見たら8割くらいは無駄なことだったかも知れないけど、それが無駄かどうかを知っていることは、間違いなく能力ですから。


まとめ?でもないけど


15年を締めくくるには些か普通なこと書いちゃいましたけど、まあ、実際普通でした。

いや、違うな。

来月再来月……収入や生活どうなっているかを誰かが保障してくれるワケではない生き方です。だから、僕が思っているほど普通じゃあないのかな。改めてこうやって書くと怖くなってきたな笑

でも、それが普通になったし、この普通がいいと思えるようになったんですよね。だから、もし、これから新しいことをしようという人がいたら、「普通じゃない」をそんなに恐れないでください。あなたが選んだ道がどんなに険しくても、10年、15年やったら、そこそこ信じられるモノは増えるし、それがあなたの普通になる。それでいいし、それがいいじゃないすか。

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