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この国の常識を疑ってみる散文

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物事の捉え方や、言葉の意味を自分なりに掘り下げてみると、自分の思い込みだったことだけでなく、多くのオトナが誤解していたり、歪んだ常識に無関心になっていることに気づく。
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#子供達は大人のウソを見抜く天才達

コミュニティ「そもそも論」

人が集まるといろんな機会づくりができる だから人を集める仕組みを作る さらに集まりが永続的に続く環境を整備する この発想からなのか「コミュニティマネジメント」「コミュニティマネージャー」という言葉を目にすることが増えた気がします。 しかし、これってどこか「顧客囲い込み的マーケティング」の匂いが漂い、誰のためのどういう目的の集まりなのかが、今一つハッキリしないことがあります。 集まった人ではなく、集めている人の都合で物事が進められていることが往々にしてあるからです。

習慣の質(男子トイレの実情)

この実情は、過去何度となくFacebookでもTwitterでも、その昔はmixiでもアウトプットしているが、やはりあらためて記述せざるを得ない。 この年末年始は、公共のトイレを使う機会が多かった。 高速道路SA、アウトレット施設、ショッピングモール…数日の間に公共トイレを使うことは10回以上あったが、今から伝えることは紛れもない事実だ。 小さな用を足した人で男性の大半が… トイレから出る前に手洗いをしていない特に小便後の手洗い無しの人は9割以上 (この年末年始での公

つなぐ つなげる つながる

手をつなぐ 手をつなげる 手がつながる これ…表現次第では、シチュエーションが大きく違ってくる。 「手をつなぐ」 本来切り離れるものではないことが、何かしらの事情で離れている時にひと続きにするもの。 人の絆や家族関係みたいなものか。 「手をつなげる」 はじめは別々のところにあったが、ひと続きとなったほうが良いと意思決定したもの。 恋愛関係やチームづくりだったりみたいなものか。 ケンカの仲裁なんかもそうかもしれない。 「手がつながる」 これは自分の意思とは別に、切

暮らしをデザインすることから学ぶ

1.学ぶべきもの晩年の渋沢栄一も巻き込み、関東大震災後の救済と復興に貢献した医師であり政治家である後藤新平。彼が遺した心響く言葉がこれです。 後藤新平は、「最大の経済対策は、人育てである」と唱えていたそうで、街づくり・価値づくり・潤いのある経済も、全て「人が育つ土壌づくり」からという原理原則を否定する人は、今もほとんどいません。 その「人育て」の根本となるものが、個々の「主体性の育み」であると、ボクは考えています。 その主体性を形成する「美意識」や「心の潤い」のような感性

均質化社会から自分を解き放つと次世代を育む土壌づくりとなる

1.芯はしっかりしてる彼の「主体性」 先日、もうすぐ社会に出る一人の学生が運営するワークショップに参加しました。趣味の域を超えた彼の表現特技を、実際に体感できるワーク内容に関心があったからです。(そのワーク内容の詳細は端折ります) ワーク参加後に認識したのですが、その学生さんのお母さんの表現を借りると、彼は「適応障害も起こして不登校になったHSP」だそうです。 HSP(Highly Sensitive Person)は、生まれつき感受性が強くて人一倍敏感な気質のある人で

失敗の経験が活きたコミュニティ運営

平成の後期くらいから、巷SNSなどでも「コミュニティの重要性」「コミュニティマネージャー」「コミュニティビジネス」という言葉を、随分目にするようになりました。「コミュニティ」は、随分前から存在するものでしたが、この数年、急に着目されているようです。 そうした中、ボク自身も、いくつかの「コミュニティ」を運営する立場となることが長く続く中で、個人的に感じていることを一度したためておくことにします。 有機的に長く続くコミュニティ ボク自身が絡むどのコミュニティも、気づけば結果

One for All よりも One for the future

One for All , All for one これは、「全てがチームのために」という合言葉に置き換えられがちで、「個」の犠牲を美徳化してしまう同調圧力的な危険な言葉になりつつある。 「One for All」ばかりを虐げられ「All for one」の見返りなどほとんどない。そういう場面は、少年スポーツでも、職場でも蔓延している。 「個」が活きること。 自分を活かして生きる者こそが、「生活者」だ。 だから、ボクらはこう思うんだよね。 One for the f

「やればできる」を空回りさせない

やってみたものは、「本当に自分がやりたいことだったのか…または、自分がやりたいことに、どうつかながるのか」の意味を、自分に問う機会をつくること。 これを怠ったままで「やればできる」と背中を押しているばかりというのは、言われている本人には、空回りが起きやすい。 やりたくもないことを、無理矢理やらされ続けているなのなら…できたとしても、本人はそれほど嬉しいわけでもないし、できなかったとしても、周りに残念がられるほど気にはしていないからだ。 要は、やらないといけないよと「人の説

学校でも家庭でも…反省よりも内省を!

反省ばかりさせないでもらいたい学校や家庭での教育現場で、子供に「反省」はさせても「内省」の機会を与えられる所が、なかなか無い。 これはのちのち、社会人と成った時も、価値創造力を高めるチームづくりにおいて、大きな弊害の要因となっていることを実感している。 「反省」はするが、日頃から「内省」をしない人ばかりが集まっても、その組織はクリエイティブ性には欠け、イノベーションを起こすなど、程遠い話となる。 ボクらは、「内省」とは「自分の行動にどんな意味があったのかを振り返ること」

醜いアヒルの子なんて言わなくてイイ

童話タイトル自体がまあまあ酷自分は持ち合わせていない異質なモノを、他の人にはあると初めて認識した時…抵抗なく受け入れていれば、その先も理性が働くようになる。 ところが、初めてそれを認識した時に、心身に何かしらの苦痛があると、その先には違和感というよりも、嫌悪感に近い苦痛なものが働いてしまう。 そして、その時の苦痛というのは、自発的な感覚のものよりも、周りの人達のエゴと先入観に染められてしまう影響が大きいこともある。 そう考えると… 童話の「醜いアヒルの子」というのは…

「宇宙を動かせ」~セレンディピティを磨いて人生を楽しむコツ

序章:セレンディピティ 「無意識の作用によって、偶然的な幸運に巡り合う力」…そういう理想的なチカラがある人。 これを「セレンディピティが強い人」と表現される。 「それは、特殊な能力の持ち主の話で、自分はそういう夢物語とは無関係」と諦めている人がとても多い。 そればかりか…「自分が楽しいことばかりしていると、マジメな人達に後ろめたい気になる」と罪悪感に近いものを感じてしまう人も然り…。  そう感じている時点で、「セレンディピティ」は芽生えないと断言できる。 一方で…

0歳児からのインターンシップ制度

「次世代に繋がる価値づくり」をテーマにして、長年ボク自身が企画運営に関わる交流会があります。答えのないものに対し、世代・業種・経験・役職の壁を越えて、いろんな価値観のアプローチの体験を共有しています。 先月、「オトナの可能性をデザインしてみよう」というテーマで、いろんな思考が交わされてきた中で、終盤には尊敬する方から「もう学校をなくしてしまっても良いんじゃないか」という投げかけがありました。 言葉尻だけをとらえるとドキッとするご発言ですが、その日から「学校が無い替わりに…

子供達の主体性を育む土壌を奪う大人達

「自主的」に動く大人。 「主体的」に動く大人。 「その言葉の違いなど、どうでもいい」と言われがちだが…この二つの言葉の違いは、どうでも良いことではない。 能動的姿勢としては似ているが、何に対しての動機付けなのかが全くが違うからだ。 もちろん、それも大切なことだ。 だから、全く否定はしない。 一方で… 「やってみるからこそ、その先のことは見えてくるものがあるし、やったことの先の意味は自分で見出す」という気構えでもある。 そのため、周りからの満足や賞賛を得たいのではなく、