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コミュニティ「そもそも論」

  • 人が集まるといろんな機会づくりができる

  • だから人を集める仕組みを作る

  • さらに集まりが永続的に続く環境を整備する

この発想からなのか「コミュニティマネジメント」「コミュニティマネージャー」という言葉を目にすることが増えた気がします。

しかし、これってどこか「顧客囲い込み的マーケティング」の匂いが漂い、誰のためのどういう目的の集まりなのかが、今一つハッキリしないことがあります。
集まった人ではなく、集めている人の都合で物事が進められていることが往々にしてあるからです。

これまでいくつかのコミュニティを経験してきた中で、空虚な集まりに過ぎないことになったものや、有機的な高め合いの集いとなっているものを比較して「そもそもコミュニティとは」を言語化してみることにしました。

◆集まると集うの違い

有機的な運営になっている特徴プロセス

  1. 参加者全員が能動的かつ主体的である

  2. 言い出しっぺはいるがリーダーは不在

  3. ヒエラルキーと迎合なき心理的安全性

こう考えると、当然のごとく組織論という意味合いとは異なります。
主体性がある組織に人が「集まる」のではなく、コミュニティというのは、それぞれが描く未来に主体性がある個人が「集う」ことが肝要となります。

「集まると集うの違い」は、主体性がどこにあるかの違いかもしれません。

つまり上記のプロセスでは、一番目が最も重要であるということです。
主体性は、組織ではなく個人に求められるものということです。

極論、コミュニティ形成のキッカケとなる言い出しっぺは、自分の描くビジョンを実現するためには、仮に独りであっても敢行する実践力があるということになります。

ただし、自分の描くビジョンを実現させるためには、自分の感性だけでは足りないからこそ、自分とは違う感性・価値観・思考アプローチに触れることで、自らの日々の暮らしの中に磨きをかける実践力を高めます。

つまり「知識の共有」ではなく、相互に主体性が明確であり実践力が高い人達による「体験の共有」をする柔らかいつながりを感じることが「集い」になっていくものが有機的なコミュニティであるいう仮説を立てています。


◆見返りを求めるならば…

また、上記プロセスではなく、それぞれの承認欲求を満たすための集まりに過ぎないのならば、本質的には成果に対する評価…つまりは「見返り」を求める関係性にしかなりません。

個人的な経験則では、コミュニティというのは、集まりの中に成果を求める事業組織とは違い、集う人それぞれが、日々の実践力(リアリティ)に基づく失敗経験を分かち合い、違う感性や価値観から気づきや勇気を与え合うだけに留まります。

つまり、集う場面ではなく、集いの外の各個人の日々の活動に活かされていくものです。
そこには未来に活きるクリエイティブ性や、小さく芽生えるイノベーションへの可能性をいつも感じます。

見返りを求める「集まり」と、見返りを求めない「集い」の違いですね。

何かの恣意的かつ打算的な意図が働いて人が「集まる」のではなく、主体的に「集う(つどう)」からこそ、コミュニティが有機的なものになっていくのでしょう。

学校のPTAや、マンションの管理組合なども、主体的な「集い」ではなく、世間一般では仕方なく「集まる」という傾向が強くなるのかもしれません。

「こちらが元気よく『おはようございます』と挨拶をしても無視されることにカチンとくる」…この感覚が、まさに「見返りを求める集まり」となっている象徴かもしれません。

地域住民のつながりをつくるイベントとは名ばかりで、運営スポンサーへの見返りとして「イベント当日の集客数」が目的となってしまい、イベント実施後には地域住民のつながりが大して増えていないことも多々あります。


◆相手よりもまず自分

よく目にする「人間関係のクオリティが、個人のキャリアや企業の命運を握る」という言葉は、確かにその通りかもしれません。

しかし、人間関係の本質は、他者との関係性の前に、自分自身が見返りを求めているのか、それとも分かち合い与え合うことを楽しもうとしているのかを見定めないと、結局テクニックや処世術に頼ってしまうことになります。

時を超越した普遍性は…いつの時代にも通用するもの。
人間は、お互いに弱いものだし、不完全であるもの。
だからこそ、それを認め合って、日々の自分の暮らしや活動の中にこそ、普遍的な美意識が宿る。

生きたいように生きる!っていう人達が集うコミュニティが有機的なものになるのは、集まる相手やコミュニティ自体に見返りを求めるのではなく、日々の自分の実践力を高めて、数多くの失敗を笑顔で分かち合うために集うのでしょう。
傷のなめ合いではなく、傷の高め合いといったところでしょうか。(なんか違うか)

なお、このコラムは、決して「コミュニティマネージャー」という肩書きの人達に対する揶揄で言語化したのではありません。

そもそもコミュニティって何?ということを俯瞰的に自分で振り返ることで、10年続けてきた「BusinessCafe関西」という個人事業主の高め合いのコミュニティの未来を見据えて行きたいと感じたのです。
このコミュニティは、神戸と大阪で運営してきた「JimdoCafe」でした。

この春から「BusinessCafe関西」は、集う人達が笑顔で「失敗の体験」を持ち寄り合うことで、各自の実践力を高めることを中心とした運営にシフトしようと心に決めたこのタイミングで、言語化に挑戦してみました。

いずれそのコミュニティのWebサイトの表現も変えていきます。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

#キレイゴト上等
#勝ち組より価値組
#自分を活かして生きる者こそが生活者
#この国の常識を疑ってみる
#子供達は大人のウソを見抜く天才達


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