1900年以前の出版産業の日中欧比較


問題提起

  • 江戸時代の日本は出版大国だった

  • 江戸時代後半の日本では蘭学が流行した

  • 中国では1868年、江南製造総局に翻訳館が設置され、欧米人(例えば、イギリス人John Fryer)が雇われて、清国の科学技術書翻訳で大きな役割を果たした

というような記述は、歴史の教科書ではありふれているものの、単なる主観だったり、断片的な出来事でしかなかったりする。

江戸時代や明治時代の出版量や翻訳量のデータで裏付けを取って比較したい。

世界各地の出版前史

単なる印章のようなものは、紀元前からあり、これも印刷の一種と言えなくもないが、現存する最古の印刷物は、新羅木版の『無垢浄光大陀羅尼経』と奈良時代の『百万塔陀羅尼経』とされている。どちらも8世紀の印刷物とされているが、木版印刷技術そのものは、おそらく中国から来たものだろう。従って、遅くとも唐代には、木版印刷が存在したと思われる。

どちらも、経典らしいので、仏教界隈の人が開発に携わったのかもしれない。文字の読み書き出来る人が少ない時代にあっては、仏教僧は、大きな一角を占めていただろう。鎌倉、室町時代にも、日本では仏教寺院で、春日版や高野版のような印刷物が出版されるようになっている(もちろん、非営利)。

北宋の沈括による『夢渓筆談』の"技芸"の巻の記述は、畢昇が1040年代に活版印刷を発明したことを書いていると解釈されている。活版印刷も、元や高麗などでは、使われていたらしい。商業出版も、宋代に始まり、民間の手工業者が出版したものは、坊刻本と呼ぶそう。

ヨーロッパでは、植物紙の製造が始まったのが、12世紀のスペイン、13世紀のイタリアなどと言われている。紙の用途の一つに、紙幣があり、紙幣の出現は、印刷技術の存在が前提となる以外に、製紙産業発展の目安にもなるだろう。

中国では、北宋の時代に紙幣が出現した(交子と呼ばれる)そうで、中国の製紙産業が、この時代に活発だったと推測できる。李氏朝鮮では、1400年代初頭に、楮貨という紙幣が導入されたそうだ。比較すると、ヨーロッパで紙幣が発行されたのは、1661年、ストックホルム銀行によるそうで、東アジアに比べると、大分遅い。


グーテンベルグは有名なので飛ばすとして、16世紀には、様々な地域で、宣教師が活版印刷を伝えたが、意外と普及はしてないように思われる。

理由は色々あろうが、例えば、インドでは、植物紙の生産は広まってなくて、書写材料には、貝葉が用いられていた。インドのゴアには、イエズス会士によって1556年に印刷機が持ち込まれたが、印刷機がベンガルに持ち込まれたのは18世紀になってからだそうだ。

ヨーロッパの近隣にあったオスマン帝国だと、宣教師によらず印刷技術の存在は知られたようだが、1485年に、ムスリムがアラビア文字を印刷することは禁じられ、ムスリムの印刷所が現れたのは1727年のようであるが、18世紀の印刷数は、ごくわずかに留まったとされる。他のイスラム教圏でも同様だったのかは分からないけど、ムスリムが印刷に積極的だったという話は聞かない。

東南アジアの中でも、中国からの影響が強いベトナムでは、15世紀初頭には、仏典の木版印刷が行われたようである(cf. 近世ベトナム北部地域における仏典刊行事業)。仏典以外には、1697年に木版印刷された大越史記全書が現存しているそうである。ただ、商業出版を行うまでになったのかは不明。

李氏朝鮮では、1400年頃に、官営の活版印刷所が誕生した。その後、秀吉の朝鮮出兵で燃やされた書籍を復元するのに、官営のみでは対応しきれなくなり、民間の印刷所が出現したそうである。

日本には、8世紀頃から存在する木版印刷、宣教師が16世紀に伝えた活版印刷、秀吉が朝鮮出兵時に捕らえた李氏朝鮮の技術者による(活版?)印刷技術など、複数経路から印刷技術が入ってきたらしい。徳川家康も『吾妻鏡』などを印刷させたと言われる。


結局、西暦1700年頃の時点で、商業出版がある程度以上の産業として成立してた地域は、ヨーロッパと東アジア諸国(清朝中国、李氏朝鮮、日本)を除けば殆どなかったようである。

1800年以前の新規タイトル刊行数

印刷技術以前から、"新刊"は出ていたわけだけど、現代に近づけば、新刊の大部分は印刷によるものと見て良いと思われる。また、新刊数の数え方は、通常、現存している本のみを対象とするので、紛失された本は、除外される(データベースによって、登録されている数に、違いがある場合もある)

国が滅んだり、独立する場合もあるので、ある国の新刊数というのも、厳密には定義しにくい。例えば、独立以前のアメリカの出版をどこに入れるかは曖昧である。他に

  • 複数の巻に分かれている場合の集計

  • 再版、復刻版の集計

  • 新聞や同人誌の集計

なども考えだすとキリがない。しかし、あくまで目安なので、深く気にしないことにする。出版規模を把握するのに、タイトル数ではなく、総部数で測ることもできるだろうけど、データを集めるのが難しい。

  • 1454〜1800年までのヨーロッパの国ごとの新刊数については、Global Historical Bibliometrics

  • 日本については、国書データベースの書誌検索を利用。成立年が全てはっきりしてるわけはなく、"文政頃","文政年間","文政末","江戸末期"などと書かれてるものは、除外しているので、実際の数より少ない可能性がある

  • 中国のデータの代替として、日本の全國漢籍データベースで集計して、重複を機械的に処理して除いたもの。

  • 李氏朝鮮については、データを見つけられなかったので割愛。

以上の方法で、1600〜1800年のタイトル数を集計すると以下のようになる。集計したデータは1600〜1800年の期間あるけど、200年分の表は長いので、適当にピックアップした。

イギリス・フランス・ドイツが多いのはいいとして、オランダ・スウェーデンも人口比で見れば、多い。

日本については、国書データベースで、1600〜1867年の間で出版年が確定できたものは、約11万点ほどあった。勿論、1600年以前の刊行物は、印刷によるものではないだろう。更新履歴に

"2023.6.19 ・書誌レコード824,459件、著作レコード503,339件、著者レコード74,194件にデータを更新しました。"

とある。この中には、江戸時代以前の書籍、漢籍や明治本もある。しかし、800〜1600年までの間に、年平均50点の著作があったとしても、合計で4万点ほどであるから、大部分は江戸時代の著作と思ってもいいだろう。

実際の数は、はっきりしない。江戸時代(1600〜1867年)の総出版数が40万くらいあったなら、1/4くらいしか集計できてない計算になる。仮に4倍あっても、イギリス・ドイツ・フランスには及ばないが、イタリア・オランダには並ぶ可能性がある。

漢籍が、どれくらい中国の新規タイトル数を反映しているかは分からないが、いくつかの参考になる記述を収集した。

清代の中国については、論文Charting the “Rise of the West”: Manuscripts and Printed Books in Europe, A Long-Term Perspective from the Sixth through Eighteenth Centuries

For Qing China much less recent work has been done; the only estimate available is that a total of about 126,000 new editions were published from 1644 to 1911, which means that the average annual output was 474

とあり、特に19世紀に、出版数の大幅な増大が起きたので、1800年以前の年間新刊数は474より小さいだろうとされている。従って、江戸時代後期の時点で、日本の方が、新規タイトル数が多かったのは確かだろう。

漢籍の点数でも、1800年以前は100点を超えることは稀だが、1800年以降は100点を割ることは稀になっていて、19世紀初頭から、緩やかな増大が確認できる。

明代中国は、それより少なく、

Other recent estimates by Lucille Chia for the whole of China during the 1505-1644 period indicate a level that is almost double this estimate, i.e., 47 titles annually.

などと書かれており、多い方の推計で、(1505〜1644年の間に)年間47タイトルとしている。私が集計した1573〜1644年の漢籍は、年平均58.5タイトルだったので、概ね一致していると見ていいだろう。漢籍データベースには、中国で出版された本の殆どが含まれているのかもしれない。

総合的に見ると、新規タイトル数で測る場合、商業出版が成立していた国の中では、日本は出版大国と言うよりは、中堅という位置付けが妥当に思える。フランス・イギリス・ドイツが強すぎる

19世紀の新規タイトル数

以下の表は、いくつかのデータベースから、19世紀を中心として、各年に言語ごとの新規タイトル数を集計したもの。重複除去が殆できてなくて質が低い

メインは、日本と中国、それから、19世紀に世界最大の出版量を誇っていたイギリスになる。それぞれ、2つのデータベースを元にして集計している。


データソースは以下の通り。

  • 大英図書館: 言語はEnglishで、MaterialはBooksを指定。重複はないっぽい?

  • Victorian Books : 数値データのみ。データソースはGoogle Booksらしい(?)が、内容の詳細は分からない

  • 中国OPAC : 文献の所在が異なる場合、別扱いになるようで重複がある

  • 中国語: Webcat Plus。重複がある

  • 日本語: Webcat Plus。重複がある

  • 国書: 国書データベース 明治時代より前の文献が主。重複は殆どない。出版年が確定できないものを多数含み、実数より少ないと思われる

  • オランダ: WorldCat。オランダ語でBookフォーマットにあるものの総数。重複がある

  • ロシア: WorldCat。ロシア語でBookフォーマットにあるものの総数。重複がある

  • スペイン: WorldCat。スペイン語でBookフォーマットにあるものの総数。重複がある

英語文献に関しては、大英図書館で検索して得られたデータ数とVictorian Booksの数値が大きく違うけど、どちらが、イギリスの出版量を正しく表してるのか分からない。

中国語の書籍に関しては、Webcat plusのデータと中国OPACの2つのデータを参照した。OPACの方は、文献の所在が違うと、別件にカウントされてるようなので、重複が多く、実数としては、Webcat plusのデータが近いのでないかと思われる。

データソースによる差が大きくて、何とも言えない部分が多い。改善が望まれるが、中国の新規タイトル数増加が、かなり緩やかなのは確かだろう。

中国と日本の翻訳洋書数

明治16年(1883年)に出版された"訳書読法 (国立国会図書館デジタルコレクション)"という本の冒頭には、"方今訳書出版ノ盛ナルヤ其ノ数幾万巻、"と書いてあって、当時、既に訳書の数が、とても多いと考えられていたようだ。

国書データベースから、江戸時代に出版された蘭学書/洋書を集計しようと試みたものの、出版年が不明だったり、原書がヨーロッパのものか確信が持てない(漢訳洋書というパターンもある)などの理由で、350件〜1800件程度の蘭学書が江戸時代にあったということまでしか分からなかった。一件ずつ精査できなくはない分量だけど、人力で確認するのは少し大変なので実行していない。

350は江戸時代に出版されたと確定できた数で、1800の中には、明治に出版したものや、蘭学書でないものが(少数であろうが)含まれている。蘭学書が出版されたのは、江戸時代後半の100年ほどだったことを考えると、年平均10くらいは翻訳書が江戸時代に出版されていたかもしれない。基本的には、時代が下るほど、その数も増加したと考えられる。

明治時代初期の日本での欧米書籍の翻訳数をWebcat Plusのデータを基に、機械的に集計したのが、以下の表。

Webcat plusのデータ自体には、翻訳書かどうかという情報は含まれてないけど、日本語書籍の内、書籍の詳細の"著作者等"という項目に、ヨーロッパ人らしい名前(名前がアルファベットやカタカナのみで表記されてる場合)があったら、翻訳書と見なしている。複数巻に分かれている場合もある(原書と巻数が一致しない場合も多いだろう)けど、Webcat plusで別のデータになっていれば、一冊としてカウントしている。

重複判定は、タイトルが同一かどうかのみに依っている。若干の重複らしきデータが見られるものの、数は多くなさそう。

年度によっては、出版された本の一割以上が翻訳書だった時もあり、明治16年(西暦1883年)に、"幾万巻"とはいかなくても、数千巻は翻訳された洋書が存在してたらしい。


中国での翻訳書の総数をカウントするための良いデータベースを見つけられていないけれど、1956年の古い論文Western Impact on China Through Translationには、いくつかの時代区分で、中国語に翻訳された書籍数が記載されている

TABLE II "PROTESTANT TRANSLATIONS AND COMPILATIONS, 1810-1867"には

  • Chrisitianity(キリスト教関係):687

  • Humanities(政治、経済、言語、歴史、地理):46

  • Sciences(数学、天文、物理、薬学、暦学、植物学):47

  • Miscellaneous:15
    となっている。この時期は、宣教師が自発的に行った翻訳が中心だろうから、キリスト教関係書が多いようである。キリスト教関係書も含めれば、数自体は、日本と差がないようにも見えるが、宗教関係を除けば、年平均2タイトル程度でしかなく、日本では、キリスト教関係の本は出ていない。

TABLE III "TRANSLATIONS ANALYZED BY SUBJECT AND LANGUAGE ca. 1850-1899"(データソースは『東西学書録』というものらしい)では、総数567の内、原書が日本語、Others and unknownのものが155ある。これらを除けば、年平均8タイトル程度。

ジョン=フライヤー『江南製造局翻訳事業記』訳注には、ジョン・フライヤーが担当した分について、出版開始が1871年で、1880年に98部(98タイトル?)が既刊となっている(表6参照)。大体、10年で、100タイトル程度なので、上記論文のデータは正しいのだろう。ジョン・フライヤー以外にも人員はいたが、ジョン・フライヤーが圧倒的に多くを手がけている(表2参照)。

TABLE IV "TRANSLATIONS ANALYZED BY SUBJECT AND LANGUAGE 1902-1904"では、総数533のうち、日本の書籍の翻訳が321となっている。

TABLE V "TRANSLATIONS UNDER THE REPUBLIC, 1912-1940"では、総数5299で、日本語原書のものが969。1912〜1940年には、ざっくり、年間100〜150程度は、ヨーロッパの本の翻訳が出てた計算。

このように比較してみると、明治時代の日本と洋務運動期の清では、翻訳書の数が、文字通り桁違いだということが分かる。勿論、質も重要だから数が多ければいいわけではないというのは確かだし、専門性の高い学術書と大衆小説・娯楽小説の類では、訳者と読者への要求水準も異なる。別に、どっちが上とか下という話ではないが、一般的に後者が読めて前者が読めないという人はいても、逆はいないだろう。

清も、洋務運動初期から、欧米へ留学生を送り込んでいたので、徐々にヨーロッパの言語を習得した中国人も増えてはいったのだろう。しかし、上記データに基づけば、20世紀初期になっても、中国の翻訳量は、明治初期の日本に追いついていなかったと思われる。

外国語に関しては、江戸幕府は、19世紀初頭には、オランダ語だけでなく、英語やロシア語を解する人材の育成を開始している。

清の方は、多分、そういう対応をしなかったと思われる。歴史的に置かれてきた立場の違いによるものではあるだろうが、結果としては、権力者の采配の差異によるところが大きいと言っていいかもしれない。

江戸時代の本代

少し視点を変えて、本の値段が、どの程度のものだったか調べる。庶民が本を読んでいたなら、値段も、相応に手頃なものでなければならない。

現代日本でも、本の値段は、相当に幅がある。漫画は置いておくとして、娯楽小説なら1000円未満、数学・物理系の大学教科書(線形代数、古典力学、熱力学など)だと1冊2〜3000円前後、通俗科学書の翻訳なども2000円前後、生物・化学・医学系の大学教科書だと、ページ数も多く、10000円前後することもある。広辞苑のような辞書も、10000円前後らしい。多分、中央値は、一冊2000円くらいじゃないだろうか。大体、一日の食費と同等程度と思っていいだろう。

江戸時代には、貸本屋があったそうなので、レンタルの場合と、買取の場合では、値段も異なってくるだろうが、買取の方に注目したい。

日本近世を中心とする書籍類の流通と価格についての研究というほしいデータを調べた研究はありそうなのだが、"上記データベースにデータを付加し、最終的にそれを CD に収めて研究者に広く配布した。"とあって使えない。

近世節用集の価格というPDFがあって、"節用集"というのは、辞書や辞典の類らしく、レンタルするようなものではないだろう。で、元禄9年(1696年)に、ページ数で換算すると、美濃判100丁(丁は、紙の表・裏で、100丁は200ページ相当。美濃判は、B6くらいのサイズらしいので、現代の文庫や新書くらい?)あたり平均(銀)2.5匁とある。天保12年(1841年)に、同様の換算値で5匁前後。

江戸時代の生活費を検索すると、『文政年間漫録』という本を出典としているデータが沢山出てくる。文政は1818〜1831年。原文をどこで見れるのか不明だけど、大工の日当が、5.4匁で、飯代1.2匁が引かれるということが、よく書いてある。

本代は、大工の日当と同水準で、庶民の食費にして数日分という程度だったと思われる。江戸時代には、農村から都市部への出稼ぎも多く、農民も、出稼ぎに来れば、同程度の稼ぎは得られたようである。江戸幕府が規制をかけたりしていたことからすると、農業よりも稼げたのかもしれない(勿論、農家は、食費や家賃が安く済むなどの事情もあっただろうが)

イギリスと比較してみる。まず、本の値段だけど

THE COST OF READING IN EIGHTEENTH-CENTURY BRITAIN: AUCTION SALE CATALOGUES AND THE CHEAP LITERATURE HYPOTHESIS

に色々と(18世紀の)例が挙がってるものの見づらい。

Novel readers could acquire a 1750 edition of Henry Fielding's Tom Jones in four volumes for 10s. (5179) and a two-volume Roderick Random for 4s. (5020)

などと書いてあって、小説1巻あたり2〜3シリングといったところのようだ。

賃金の方はThe Industrial Revolution in England was not All Bad 3.2. Monetary Income Levels

Monetary system Pounds (£), shillings (s.), pennies or pence (d.)
1 Pound = 20 shillings, 1 shilling = 12 pence
Wage of farm labourer = 9 to 12 shillings per week
Wage of male worker in textile factory = 20 to 30 shillings per week
Dry weight measures 1 bushel wheat = 60 lb., 1 quarter = 480 lb.
Price of 4 pound loaf of wheaten bread = 6 to 8 pence
Energy supplied by 4 pound loaf = 4,500 calories
Price of butcher’s meat = 4 to 6 pence per pound

というのが載っている。18世紀中盤のランカシャーの賃金水準っぽい。繊維工場で働く男性労働者の賃金が、一週間で2〜30シリングとあるので、一日3〜4シリング程度だろう。

熟練工とか、そういうのがあったか分からないけど、こうしてみると、本の値段が、イギリスと日本で、極端に違ってたということはなさそうに思える。どちらの国でも、読めるかどうかは別にして、価格自体は、庶民に手が出ないような水準ではなかったらしい。

日本の場合は、貸本屋などがあったということで、レンタル代は、もっと安かっただろう。草双紙のように、絵と仮名のみの本もあったにせよ、そういう商売が生まれたこと自体、本を読む庶民というのが、そこそこいたことを示唆してはいる。


展望

古くから出版産業がある中国で出版量が全く伸びなかった理由は分からない。人口比を考えれば、その出版量は、相当に少なかったと言っていいだろう。紙の製造や流通の問題とは思えないので、疑われるのは、識字率の問題だろうけど、データで裏づけを取るのは難しい。義務教育が始まるのは、日本もヨーロッパも19世紀末なので、それ以前に、大多数の庶民教育がどうなってたのかが問題になる。

日本の場合、江戸時代には、寺子屋が有名だけど、それ以前にも、寺が村の教育を担っていたという話もある。検索すると、出典不明ながら、明治初期には、寺院が9万ほどあったと出てくる(2009年には、7.7万ほどだそうな)。「旧高旧領取調帳」は、明治初期の村名目録で、9.7万ほどの村があったらしいので、大体、一つの村に一つくらいは寺があったということで、寺院が教育を担ったというのも、ありえない話ではない。

ヨーロッパの方も、教会で初等教育を行うのは、割とあったようだ。17世紀末のフランスでは、カトリック信徒育成を目的として、初等学校を作ろうと試みたとされる。

中国の村に、そういう仕組みが存在したのかは分からない。宗教関係でいうと、儒教か道教ということになりそうだけど、Googleが言うところでは、現代中国にある道観の数は1500強だそうだ。

ある検索結果には、8000くらいの道観があり、33000の仏教寺院があるとも書いてある。どちらにせよ、道観は、一つの村に一つ存在するような類のものではないんだろうし、仏教寺院も、日本より少ないので、初等教育普及に期待はできなかっただろう。

ただ、世の歴史書は、権力者の記述に偏っていて、これらの点については、詳細が分からないことが多いので、何かしらデータがほしいところではある。



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