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エッセイを書きます。
わたしの人生を単調にしてきたのは、どうやらわたしのようです。
感情が揺さぶられることもすくないし、いろんなできごとが心に残らずすぐに記憶から抜け落ちてしまう。自分が人としてなにか欠けているのでは?と思うことも少なくありませんでした。
エッセイにまつわるすてきな本を読み、日々に取り入れたことで、この単調な人生は、自分の物事のとらえ方ゆえだったのだと気がついてしまいました。
その方が言うに、「エッセイとは『うれしい』『悲しい』と感情が揺れたことについて考えをめぐらせ、言葉にして、ストーリーにまとめたもの」だそうです。
わたしは自分の心がすこしでも動いたら、素通りせずにとらえることを意識して時間を過ごしました。それはまるで、目の端に一瞬うつったガラスの破片のきらめきを探すような感覚でした。
たとえば、洋服を試着したときの高揚感。はっとさせられる文章に出会ったときの驚き。夫から期待する言葉が返ってこなかったときの落胆。
どれもこれも、これまでの日々では素通りしてしまうようなものたち。でもその瞬間を思い出して、なにを感じたのか深掘りしていく。時間をかけてそのできごとを見つめることで、あぁたしかにわたしの心は動いている、と実感することができたのです。
そして今度はできごとを自分の言葉で再現するため、さらに思い返す。そうしてくり返していくうちに色が塗り重ねられ、濃い記憶へと変換されていくのです。
自分の言葉であらわしたそのできごとは、他のことよりはるかに強く心の中に想い出として残っています。
エッセイとして綴るために、心が動いた瞬間を捉え、思い出し、考えをめぐらせ、言語化することで、その瞬間の濃さが何倍にも何十倍にもなる。
自分の人生が色鮮やかになり、単調だなんてきっと思えなくなる。そんな気がしています。
単調なわたしの人生にはお別れを。感情や思い出がたくさん詰まった人生を生きるために、わたしは今日からエッセイを書くことにします。
祈りをこめて。
📖エッセイストのように生きる / 松浦弥太郎さん
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