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身近な神さま ~4一銀と現代将棋

・プロらしい一手

 4一銀は実にプロらしい一手だと思う。
 私の考えるプロとは、
 「当たり前のような順路で足を止められる人」である。
 駒が当たっている局面で、何も考えずに取ったり逃げたりするようなプロはいない。そこしかないというタイミングでプロはギリギリ利かそうとする。駒が生きている(利いている)時間いっぱいに最後の仕事をさせようとする。利かすと言っても4一銀はただ捨てであるし、どう見ても普通の手ではない。凡人が発想できないところに手が伸びる名手だ。


・終盤らしい一手

 駒の損得から寄せの速度へとギアチェンジする。4一銀はそうした終盤らしい一手だ。この手を見て詰将棋を思い出した人も多いだろう。4一銀は詰将棋の焦点の捨て駒なのだ。同玉と応じればまだ生きている飛車の縦利きを利用して3二金と拠点を築くことができ、本譜のように同金ならば玉の退路を予め封鎖することができる。
(口には出さないだろうけど、詰将棋の得意な棋士の何人かはこの4一銀が第一感に見えたはずだ)
 


・人間の指す手も変わって行く

 神の一手、それが並の人間の発想を超える手を指すとすれば、私たちは毎日のように神の手に触れているようなものだ。それくらいに今はAIソフトの存在は身近なものになっている。一昔前なら無筋と一蹴されるような手も、ソフトが良いと言えばそういうものかと納得する。実力が上回っている以上、人間の想像を超える新しいものを学んでいく姿勢は自然だろう。そうして私たちの目は慣れ、感覚も変化(進化)して行くのではないだろうか。
 ソフトの第一候補手が神の一手になるかと言えば、そこには矛盾も潜んでいるように思われる。AIは未だ発展途上である。(現代は過信できない)

「並の人間には指せない」本当の理由

 4一銀は詰将棋の愛好家が指せそうな手である。また、秒に追われていて他に手段がないという状況で指してしまいそうな手である。
 4一銀が指せそうにないのは、その発想の鋭さの他に、読みの問題があるからではないだろうか。次の一手のクイズなら、多分これで勝ちなのだろうなくらいの感覚で答えることはできる。プロの実戦では、だいたいは通用しない。残り時間と相談しながら読みの裏付けを取らなければならない。4一銀以下の変化はとても複雑で詰む詰まないの部分だけを見ても簡単なものではない。もしもその1つの変化にでも傷があれば、4一銀自体が成立しなくなる。(たくさん読んだけど結果駄目だった。言ってみればそれは捨て読みになる)人間は数秒の内に何億手も読めるソフトとは違うのだ。体力には限界がある。
 発想自体も並ではないが、その先に本当に踏み込もうとすること、正確に読み切れてしまうことまでも含めて、「とても指せないな」という感想は正直なところだろう。




・強手を振り返りながら

 個人的に受けたインパクトという点では少し前の「7七飛車成」と受けの歩を食いちぎって寄せに入る一手が勝る。それはあまりに単純で理屈がわかりやすくていい。

 4一銀は素晴らしい一手ではあるが、神の一手ではない。

 皆が疑いもなくそう呼ぶようになっては、誰も勝てないのではないか。それではつまらないだろう。競うものがあってこそわくわくする。

「君たちもっと頑張れよ」

 遙かなる高みより神さまがささやく声が聞こえてくる。





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#神さま #探究心



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