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幻の乗客

「どちらまで?」
「ハルカスまで」
 長い自粛期間が明けて、久しぶりにハンドルを握った。やっぱり私はこの仕事に向いている。見知らぬ乗客を乗せて目的地へと向かう。シンプルだが迷いはなかった。通じ合ったカーナビが、私の進む道に確かなベクトルを灯してくれるから。
「お客さん。今日はお休みですか」
 気晴らしのように何気ない会話を挟むこともできる。返事がなければそれもまた答えと受け取ろう。私は自分のハンドルさばきに酔いやすい。だが、後ろに客を乗せている時には、安全と快適なドライブを何よりも心がける。速やかに、無駄なく、安全に、届けたい場所がある。

「1560円です」
「着きましたよ、お客さん」
 お客さん?
 振り返った私が見たものは無人のシートだけだった。
「困りますよ、お客さん。透明になるなんて」
 呼びかけてみても実体は現れなかった。
 はっ!
 私は重大なミスに気がついた。
 久しぶりのワークで舞い上がっていた私は、声だけを拾い走り出してしまったのだった。今頃あの男性は……。途方に暮れながら立ち尽くしているのだろうか。見知らぬ人の足を気にかけて、すぐに思い直した。
 大丈夫だ。きっともうちゃんとした車に乗って動き出していることだろう。

「お客さん、今日はお休みですか」
「いえいえ。そうだとよかったのですが」
「へー。それはそれは」
 街はいま平常運転に戻ったところだ。


#小説 #ショートショート #ドライバー


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