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【創作note】カテゴリーの謎④ ~サッカーの詩を書いたなら

※この記事はnote内におけるカテゴリをテーマとしたコラムまたは物語です。たどり着く結論は妄想を含み、多分に真実と異なる場合もございます。また、ほとんどの謎は未解決のまま終わることをご理解ください。


・意図せず届くところ
 『カテゴリーの謎②』が、「サッカー」カテゴリにおいて人気を得たと知らされた。
(サッカー?)
 思ってもみなかったところから弾丸シュートが飛んできたような気分だ。サッカーがテーマだったろうか……。読み返してみると確かにサッカーについて触れている箇所がある。しかし、それはあくまでもほんの一部ではないか。パス、ドリブル、シュートといった話が出たわけではない。『オシムの言葉』について語ってもいない。ただカテゴリという見えない相手に対してデュエルを繰り返していたに過ぎないのだ。
 表面を軽く読んだだけでは「サッカー」にたどり着くとはできない。オフ・ザ・ボールの動きに着目して拾い上げた、というのは少し穿った見方だろうか。直接ゴールに結びつくプレーだけがサッカーではない。走ったり、考えたり、ただ思っている時間もサッカーの内だろう。
 noteにおけるカテゴリでは、思わぬところにパスが届くこともあるようだ。壁に向けて蹴ったボールは、その遙か上を越えて火星の大地に届いている。意図したところに自分の記事を見つけられなかった時、それはスルーされたのではなく自分の感覚からはかけ離れたカテゴリの中に現れているのかもしれない。


・ワン・シーン/ワン・ゴール
 多くの文脈の中から1つだけを拾い上げることがある。(ゲーム全体の中から1つのゴールを拾い上げるように)要約すると、人生の思い出は1日の出来事かもしれない。(他のすべてがおまけというわけではないが)長い物語を振り返ってみて印象に残るのは、ほんの数行のこと、あるいはたったの1行であったりもする。1行で事足りるというのではない。その周辺を流れていく文脈、日々、時間の中にあるからこそ、それは光ってみえるのではないか。ハイライトだけでみるゴールと、生きた試合の中で見届けたゴールでは、胸に刺さる深さも違う。
 1つの局面だけを切り取って語ることは手っ取り早いが、話をあまりに単純化してしまう危険もある。大切なものは見逃しがちな細部に散りばめられているということも忘れてはならないだろう。
 ある記事に名前をつけることは案外難しい作業だ。名前(見出し)は本文全体を背負い、最初の印象を築く。1つの記事をカテゴライズすることにしても、それに近い難しさがあるのではないだろうか。


・強く願う(自己評価の難しさ)

 自分が何者であるのか、自分で説明することは難しい。記事についても同じことが言える。鏡に照らしたくらいでは何もわからない。自分を知ることはとにかく難しい。多くの犬は、自分を人だと思っている。人と同じようにテレビ・映画を楽しみ、旅行・おでかけに付き添い、ボール遊び(サッカー、ピンポン、キャッチボール)をしたりする。水泳やスケボーが得意な犬もいる。そして何よりも家族のことを大切に思っている。現代では失われがちな人間らしさを、犬の行いから学ばせていただく機会も多くなっているのではないか。犬と人とのカテゴリ(境界線)は時代と共に曖昧なものになっている。
 将棋の棋士が表紙を飾ったスポーツ雑誌は、爆発的な売れ行きを記録した。その瞬間、棋士はアスリートにカテゴライズ(認定)されたのだ。将棋は運の要素が極めて少ない純粋なゲームである。同時に、長時間に渡って激しく脳に汗をかくスポーツと言える。駒の並べ方から長い歴史が引き継がれ、礼儀を大変重んじる伝統芸能である。一局の将棋は映画のようである。対局室の模様は絵画である。駒はアートである。駒組を巡るフォーメーションはサッカーに通じるものもあるだろう。将棋1つをみても一面的にカテゴライズすることは難しい。それは名著『羽生の頭脳』からも見出せない大局観かもしれない。

「物書きとは何だろうか?」
 小説はただ小説でいることはできるのか。
 本屋大賞に憧れていたはずが、結果的にはレコード大賞を受賞してしまった。世の中はそんな不思議に満ちている。

「ボールはどこに転がっていくだろう?」
 技術、フィジカルのみが行き先を決定するのではない。気持ちが強ければ、ボールだって引かれていく。自分という存在もきっとそれと同じだ。
(なりたい自分)があるなら、そうなるように強く願い続けなければならない。


・サッカーの詩を書いたら……
『ミス&ゴー』を公開するとすぐに「サッカー」カテゴリの中に見つけることができた。パス、シュート、ドリブル、ゴールといったワードが多く出てくるから、まあそうかなという気もする。しかし……

「待て待て待て待て待て待て待てー!」
 と疑問を蹴り出す自分もいるのである。

(サッカーの話)ではあるが、自分としては『ミス&ゴー』は、(名前も知らない者たちがある夜に集まって即席のチームとなりフットサルゲームをする個人参加型フットサルの中での心情のぶれを題材にした)なのだ。「詩」(詩歌)というカテゴリは未だ存在しない様子だが、そうであるなら次の候補は、「小説」かなというのが第一感。しかし、カテゴリというものは、ボールと同じようにどこに転がっていくか読み切れない面がある。

 さて、この記事がたどり着く場所があるとしたら……
 それは「ペット」だろうか。
 でも、やっぱり「サッカー」かな。





#コラム #エッセイ #小説 #読書 #大局観

#名前をつけてやる




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