わたしにできることから、わたしたちにできることへ
東日本大震災のあった2011年の夏、どうしたらもっと社会に貢献できるか考えた。
デジタルカメラの売り上げが過去最高になった翌年。私はリコーのデジカメGXRのカタログの写真を撮り終え、雑誌にも多く寄稿していたころだった。
作品で貢献できるのが理想だった。それはいまでも変わらない。だから震災の年も、写真作品と音楽アルバムの売り上げを微力ながら寄付したりもした。だが、作品以外でも、もっとできることがあるんじゃないかと思った。もっと言えば、もう少し広い範囲の社会にたいして役に立てることがあるんじゃないかと思った。
そんなとき、ふと「教える」ということを思いついた。それは自分自身でも意外だった。なぜなら、そんなこと考えたこともなかったし、教えることが得意だと思ったことも一度もなかったからだ。そもそも教える資格が自分にあるとも思っていなかった。
きっかけは写真家の友人・平竜二さんに誘われて受けたジョナサン・クラインさんによるフォトレビューだった。
ややもするとダメだしや精神論になりがちな日本人によるレビューとちがい、彼のレビューは、文学の引用や、アートに関する知恵に満ちていた。彼のようにできるとは思わないけれど、こういうことなら私もやってみたいと思った。
キャリアも浅い、アートや技術を教えた経験もない。でも、取り組んできた分野の広さ、リサーチしてきた幅、考えてきた深さは人並み以上だし、個人的に経験してきたことは誰も経験したことがない。そう自分自身に言い聞かせ、ワークショプを企画し、勇氣を振り絞って募集してみたところ、すぐ満員になった。
かくして、その後、さまざまなワークショップ、ゼミ、講座を率いる経験をすることとなった。少人数でやることが多いので、すごく広い社会に向けてやってきたとは言えないが、量より質のつもりでやってきた。
失敗と反省は尽きない。いつまでたってもうまくできていないことだらけ。
それでも、「例外なく誰にでも光る個性と創造性がある」「学びはよろこび」「自ら発見し、感得することが最高の学び」といったアイディアをベースに、いくつかの講座とワークショップを主宰している。
それらは、当初考えていた「教える」ということとは少しちがってきている。どちらかといえば、ファシリテーションであり、場をつくるということに近い。
そのうちの写真講座「光の時」と、水彩画ワークショップ「Joy of Watercolor Painting」でこの夏、受講生による展覧会が行われる。
「光の時」の特別展は、過去24期、これまで延べ100名以上の受講生のなかから希望者を募り、3グループに分かれ、クロリスの神話からインスピレーションを得て制作した。それぞれが深く考え、ディスカッションを重ね、つくりあげてきた。参加者には、はじめて展示をする者から、講師でももらえないような栄誉ある賞を受賞している者までいる。
水彩画展「みずにみる」は、「Joy」を合言葉にして楽しみながらつくってきた1期生たちの、枠にとらわれないよろこびそのものを体現している作品を見てほしい。
どちらの展覧会も、一人ひとりが「いまできること」をフルに表現していると思う。よろこびとともに。
12年前、勇氣を持って「できること」から始めたことが、このようなかたちになるとは、まったく予見していなかった。本当にうれしいし、展示がたのしみだ。
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