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写真家が、なぜ水彩画で個展をするのか

7/2から水彩画による個展が始まる。写真家として長くやってきて、なぜ今になって水彩なのか。

写真をやるよりも前、水彩画で仕事をしていた時期が少しだけあった。本の挿絵を描いたり、絵本の画を担当したこともある。人から描いてほしいと頼まれて売った絵もたくさんある。

ところが、正直に言うと、絵画が私にとって「やりたいこと」であったことはこれまで1度もない。

しかし、画、とくに水彩画は、なぜか人によろこんでもらえるのだ。仕事でも何でも、描いたものを渡すと、皆さんとてもうれしそうにしてくれる。その感覚は、ちょっとほかにはない。

水彩をやる前、十代でアメリカに住んでいた時期は、鉛筆画をよく描いた。知り合いが1人もいない土地で現地のハイスクールに通ったとき、孤独を救ってくれたのが絵画だった。

日本にいたときから絵は得意なほうだったが、上述のようにやりたいものではなかった。だから、アートの授業を取ったのも、言葉のハンディキャップがないという理由から。ところが、そこでなにげなく描いた鉛筆画が、ある日登校したら、先生たちの間で話題になっていた。

「キミには才能がある」

人生で初めて言われた、どストレートな褒め言葉。アメリカは国としてはちょっとどうかと思うところはあるけれど、人の才能を伸ばすという点では、すばらしい環境だと思う。ある人に何かの才能があるとわかったら、周囲もすぐにそれを認め、全力で応援してくれる。

友だちもいなくて暇だったので、孤独を紛らわすために、画をたくさん描いた。人にあげると、みんなよろこんでくれた。

そのままアメリカに残っていたら、きっとアートで奨学金をもらって大学に進んだだろう。しかし、画にパッションがない私は、別な道に進むことになる。

日本の大学で、国際法や国際問題を学び、卒業前に作曲を志し、音楽活動をしながら写真を始めた。そして近年水彩画と再会したあたりの話はここに書いた。

なぜ水彩画なのかの話に戻そう。

水彩で描くことは、私を導く「何かの力」と、心の奥のほうで合意しているような感覚がある。やりたいかやりたくないかにかかわらず、おまえはこれをやることになっているんだ、みたいな感覚。

そういうのって、誰にでもひとつやふたつ、あるんじゃないかな。


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