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マイナスからのスタート

私が大学を卒業したのは93年、バブルがはじけて、女子の就職が厳しくなった最初の学年だった。

そんななか私は、就職活動を一切せず、作曲家に弟子入りした。

今振り返れば、単なる大馬鹿野郎だ。もし目の前に当時の自分がいたらこう言うだろう。「やめろ。地獄を見るぞ。」

当時の私には根拠のない自信があった。憧れのエンニオ・モリコーネや坂本龍一さんのような映画音楽をつくれるようになると、1ミリも疑わなかった。

情報をかき集め、独学で作曲を始めたが、オーケストラ曲を書くには限界を感じ、月謝をアルバイトで稼いで、大学4年生の後半に弟子入りした。

通い始めてすぐ、その根拠のない自信には、本当に根拠がなかったことを悟った。

22歳で始めたピアノは、先生が途中で沈黙してしまうレベル(沈黙がいちばん怖いことをこのとき学んだ)。また、クラシックを聞いてこなかったので、西洋音楽の構造を体感として分かっていなかった。

卒業直後の4月1日、たまたま通りかかった千鳥ヶ淵でピカピカのスーツを着ながら花見する新社会人たちを見て、初めて不安というものが心に湧いてきた。はたして私の選択は正しかったのだろうか。この先生きていけるのだろうか。職業を勝ち得て談笑する者と、まだ何も得ていないどころかマイナス地点にいる者の対比。

そこから、不安との闘い、マイナスをプラスにするための日々が続いた。

アルバイトをしながらの修行生活。もともとあまり器用でないので、アルバイトに熱中すれば曲は書けず、作曲に集中すればお金がなくなる。

当時はいい音楽を聴くには、お金を払って生かCDで聴くしかなかった。楽譜、機材、スタジオ代も必要だ。演奏を頼めばギャラも払う。経済的などん底を幾度となく経験してきた。

一方で、若気の至りとは素晴らしいものだった。ダメもとで送ったデモテープが採用され、ヘタクソなピアノがばれないように必死に練習して演奏した。次第に劇団やダンスカンパニーから曲を依頼されるようにもなった。失敗は数えきれないほどしたが、あなたの曲が好きだと応援してくださる声が励みだった。

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