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006「蜥蜴の街」

 桃の実を切り、とろりとした果汁があふれだすのを、息子が眺めている。瞳の色が、左右で違っている。息子は同級生に、ときどき、瞳の色の理由を聞かれるが、病気や怪我のせいではない。生まれつきの色を、クラスメイトはずいぶん羨ましがっているという。息子はそれを、恥ずかしがっている。津軽びいどろの皿に、桃の切り身が並べられる頃、明かりのない工房で、刀工の男が、灼けた鉄を叩きはじめる。腕はうなりをあげ、身体中から汗が吹き出している。鉄はうすく、まっすぐに伸びてゆく。空は雲に覆われているが、雨が降る気配はない。街に煙の匂いが充満する。家一軒が全焼する火災があり、焼け跡から、信じがたい量の蜥蜴の死骸が見つかる。この家には、蜥蜴の研究者が住んでいたと噂される。この家に住んでいた男は、確かに数年前まで蜥蜴の研究者だったが、家に引っ越したときには製薬会社の社員になっていたので、製薬会社の社員の家というのが正しい。


 製薬会社の社員の家が全焼し、社員の行方は不明だったが、そういったこととは関係なく蜥蜴たちの信じがたく大量の悲惨な遺骸はそこにあった。黒い塊となった蜥蜴たちを、数人の大学生が箒でなんども掃きあつめた。作業は数日つづいた。作業が終わった日、家に帰る道中だった学生のひとりが、自動車にはねられて死んだ。その遺体があまりに滑稽なかたちになっているので、多くの人がその遺体を取りかこみ、スマートフォンで写真を撮っている。


 ホット・チョコレートの香りがする。朝食のトーストが、やはり、津軽びいどろの皿にのせられて食卓の息子へはこばれる。息子は、稲妻のように唐突に、あらゆる人間が殺人者であることを悟る。

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