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エモ様

自分の中の感覚を伝えたい、

そんな言葉が1番しっくりくる。
ひとつずつ紐解くこの作業が好きで、
何かを分類したり、何かを繋げてまとめたりする。
例えば、
静かでお淑やかな空間にいると、
おしっこをしたくなる。
これには趣があり、共感がある。
そんな感じがする。
正解や不正解は、
実は不確かなもので、確かなものではない。
誰かが勝手に偉くなって、
勝手にまとめて、
勝手に作った。
だから、僕は正解や不正解を作ることができる。
ただ、それだけだと自己中だから、
ある程度の受け入れ態勢も必要で、
社会性がいることも確かなのだが、
その確かは果たして確かなのだろうかという、
永久に考えることは続く、
終わりなき旅になってしまう。
僕が、子供の頃、
大人の顔色を伺いそれに応える人物であったのは、
きっと環境の中で形成された、人格であることは、
きっと確かなものだろう。
それ自体を不確かかどうかを考える必要はなくて、
確かな正解が自分の中にはある気がする。
そんな自分の中にある正解や不正解を、
分別してる自分が、

なんか、

こう、

部屋に居て、

静かで、

ヒノキの香りがする、

茶柱の立った緑茶、

その茶碗はうっすらベージュで、

畳の、

中庭のある、

誰か来る、

ガチャンカチャと砂利の音、

そっと茶碗に目を向けると、

カタンッとししおどし、

近づくガチャンカチャの足音、

パッと目を向ける、

「コマネチ!!」

「お父さん。」

僕はひとり、自分の七五三を思い出す。
角を曲がるたびにコマネチをさせられた。
ケラケラ笑いながら、ビデオを回す。
大きくなったな。
もうそんなことで笑えない。
そんなことを笑ってた、あの頃を笑う。
もうちょっとだけ。
ここに居ても良いですか?

を。、

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