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コロナ禍におけるジェンダー論を憂う

(本稿は高まるジェンダー論に接し、それに疑問を投げ掛けた2021/4/14に「不動産経済Focus&Research」に発表した論説です。ジェンダーどころかLGBTなどが持て囃される世論にいよいよ憂いをもつため、ここに再公表します。)


 

序論

 発端は森元総理大臣による「女性は話が長い」の発言だったように思うが、男女平等を目指す政治活動めいた主張がいよいよ喧(かまびす)しい。それがジェンダーだのフェミニズムだのと似た意味の外来語を次々に繰り出す時点ですでに怪しさを覚えていたが、昨今、その横行が目に余るように映るのは私だけではあるまい。もう 20年以上前になるが、あるシンポジウムで私が 「男性が子供を産めるようにならぬ限り、男女平等論などは意味がない」と述べて、並み居る女性陣から感情的な反発を食らった苦い思い出がある。でも、このときの私の考えは今でも間違っていないと確信している。

 何でもジェンダー論とやらは、生物の性差に対して、社会や文化での性差の解消を目指すものらしいが、そもそも社会や文化の性差は生物の性差から派生するのではないか、というの が私の疑念の根本にある。ちょうど手元に子供が高校で用いている生物の教科書があったので、ペラペラとめくってみた。すると生物学的視点から持説が裏付けられるのはもちろんのこ と、そこから思考を巡らせれば、このジェンダー論こそが日本社会が抱える「少子化」の難問 や、近時のコロナ禍に対する解決を遠ざけていくように思えてくるのだ。


脱「少子化」に逆行する?!


 生物には子孫を残す際にクローンのように自己を複製する無性生殖によるものと、異性が交配する有性生殖によるものとがある。そして有性生殖では女性だけが卵子を育み、とりわけわれわれ哺乳類では女性は卵を産まずに母胎で胎児を育てていく大役が与えられている。生物学上、男性とは女性から派生したのであるから、男性は「子供を産む」特権をもつ女性をサポートするために存在すると考えるのが自然ではあるまいか。つまり、女性は精子よりも多くの資源を費して卵子を製造し、受精してからは母胎をジッと守ることに徹するので あって、一方で男性は、この身重な女性が安心して「子供を産む」ための環境を整える役割に努めるのであって、このために男女の社会 や文化における機能は分化したのであろう。

 約 10 年前、私がある著名なジェンダー論の女性大家と対談した際、「女性は金を稼ぐ労働に勤しむ男性に肩を並べようとするよりも、 男性ができぬ『子供を産む』労働を重視する方が女性尊重につながるのではないか」と述べたところ、彼女は何も反論できないでいたので、私の方がよほど女性を重んじているのでは ないかと内心思ったものだ。彼女のような薄っぺらい男女平等主義は、かつての男性が命を張って外敵から女性を守っていたのに、その役割が現代社会では警察や軍隊などに肩代 わりされたために台頭してきたに過ぎないと言えまいか。近時にジェノサイドと告発される「ウィグル問題」だが、その本質は「子供を産む」ウィグル人女性の生殖機能に対する支那人による冒涜(ぼうとく)にある。同様に日本人女性も終戦後の混乱時に、国内では占領軍たる米国人はもちろん、それに便乗した三国人からも、あるいは入植した大陸から引き上げる際にはロシア人だけでなく、現地の支那人や朝鮮人からも蹂躙(じゅうりん)されたが、それを阻止しようとした多くの日本人男性が命を落とした事実がある(江藤淳『閉ざされた言語空間』)。この頃は女性の「子供を産む」特権が「産まなくてもよい」権利にすり替えられる傾向にあるが、それならば男性は外敵が襲ってきても、女性を守るために「戦わなくてもよい」権利があるとでも言うつもりなのだろうか。

 キナ臭さを増す国際情勢にあって、膂力(りょりょく)や瞬発力を増すよう女性から分化した男性が、女性に安心して出産や育児に勤しんでもらう ために尽くす「男らしさ」を否定してもよいのか。 さらに、その男性が専ら従事していた労働に女性が参画すればするほど、「子供を産む」特権が軽んじられてしまい、さらに、女性がその 特権を行使するために最適な配偶者を惹きつけようとする「女らしさ」が否定されれば、「少子化」という生物としての危機的状況はますます高じていくことになるのではないか。


ウィルスと多様性について


 支那発のコロナ禍によって不運にも命を落とした方々の男女比は、男性の方が女性より 圧倒的に多いとのデータが出てきている(そもそもあらゆる感染症についてもほぼ同様の傾向がある)。それは女性が男性より長生きする のが「子供を産む」特権に由来するのと同様に、 女性ホルモンによるウィルスを排除する体内の「免疫」が男性ホルモンによるそれよりも高いた めである。その代わりに男性は女性よりも膂力や瞬発力に優るのであって、それで男女の性差はバランスを取るのだろうが、根本的に男性が女性に劣後することは否めまい。

 冒頭の森発言たる「女性は話が長い」は、 生物学では女性の方が脳梁(のうりょう)が大きくて思考が拡散しやすいからと説明できる(池田清彦『オ トコとオンナの生物学』)。でも、そのような小難しい理論に拠(よ)らずとも、男性が俊敏さや膂力を駆使して「数打ちゃ当たる」式に強引に大量の精子を振り撒(ま)けばよいのと異なり、貴重な卵子を生成して大事に育てていかねばならぬ女性は、あまり身動きせずとも多くの情報を得る手段としての会話が長くなる、とは解釈できないのだろうか。

 だいたい、無性生殖よりもコストのかかる有性生殖が選択されるメリットは、両性の異なる遺伝子を掛け合わせて多様性を創り出すことにある。いまのコロナ禍に見るように、生物にとっての難敵は地球上にウヨウヨいるウィルスであって、その感染対策に多様化が有効に働くからなのだ。よって、性差を縮小しようとはかるジェンダー論は人間を生物として自滅させていく愚論にしか思えぬのだ。


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