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『京都・未完の産業都市のゆくえ』を読んで

(本稿は 2024/3/27 に『不動産経済Focus&Research』に発表した、有賀健著『京都・未完の産業都市のゆくえ』(新潮選書)を評しつつ、リベラルやグローバリゼーションの弊害と、その見直しについて述べた論考を再公表するものです。)


 先般、京都では16 年ぶりに新市長が誕生した。しかし、市長選は白熱したものの「人口減少日本一」の現況を改め、若者の人口流出やオーバーツーリズムの課題解決に至るには枝葉末節の、それも対症療法をめぐる論議に終始したように映り、物足りなさが残った。
 
 そこで、その不足を埋めるヒントが得られるやも知れぬと思い、同時期に評判だった『京都・未完の産業都市のゆくえ』に目を通してみ た。著者は経済学者の有賀健氏であり、同書には首肯できる分析もあるものの、失礼ながら決定的に欠落している観点が目につき、その解決策に至っては的外れの印象を受けた。それについて私見を述べてみたい。

地価高騰とグローバリゼーション


 私は京都の中心市街地を通るたびに“もののあはれ”を覚える。すなわち、目抜き通りには京都と無縁の国内外チェーンによる飲食店や物販店、ホテル が溢(あふ)れ、街中に入れば旧来の町家に代わって高層マンションがそこかしこを侵食し、その惨状は目に余るからだ。

 有賀氏は京都が産業都市として「未完」でいることを嘆くが、同氏の理想とするオフィス街として「完成」すれば、上述の“あはれ”が和らぐのかと言えば逆で、商業ビルやホテル、マンションと同型のオフィスビルがところ狭しと林立するだけのことで、古都らしき風情が加速度的に失われることが容易に想像される。
 
 近年、市街地では売地が出るや否や、地元資本では到底手の出ない高値で東京や海外 の大資本による争奪戦となり、その開発されたビルには、地元店舗やオフィスでは高い地価 に見合うテナント料を出せぬために、それらが 入り込む余地はない。よって、ブランド店だの、ラグジュアリーホテルや億ションだのとして新調される恩恵に浴すのはホルダーやテナントとしての他所の大資本であり、また、それに宿泊したり購入したりする多くは他所からのゲストであり、地元経済はその僅かな“おこぼれ”にあずかるに過ぎない。

 つまり、この地価高騰を看過したままでは、 オフィス誘致が不可能なのはもちろん、人口流出や町家消失に歯止めを掛けるのは難しく、 他都市から周回遅れでグローバリゼーションが進行し、いずれはそれらの他都市と見分けがつかぬようになるのは間違いあるまい。

弛緩した都市計画


 有賀氏は「未完」となった原因を織物をはじめとする伝統産業によるレントシーキング、すなわち職住一体の町衆たちがネットワークを駆使して自らに都合の良い現状を維持したことに求める。しかしながら、私はそれよりも要因はもっと根深いところに潜んでいるように思う。

 戦後、GHQ製憲法を頂点とする法体系の下、公権力は著しく後退し、代わって「リベラル」が幅を利かせた。すなわち、私権が絶対性を帯び、それを制約するはずの「公共の福祉」は建前に留まった。創設された容積率規制は、 既存不適格を避けるあまり緩く設定され、低層町家が密集する立地でも高層化が可能な高容積率、言い換えれば「歩留まり」をふんだんに積んだ。人びとも地価を維持したいのでそれを敢えて是正しようとはしなかった。

 伝統産業は分業が前提で、農業と同じく地域ぐるみの共同性が色濃いが、それよりも京都では町内会による共同性が強固で、互いの牽制によりダブついた容積を消化する高層化という「抜け駆け」が阻まれてきた。しかし、その町内会も生活共同体の色合いが減じ、ただの 「おつきあい」と化した。さらに、住民に地縁のないサラリーマンや、大手サプライチェーンに組み込まれた自営業者が多くなると、共同性のタガは外れ、事後の高層化も意に介さずに土地を売る方が続出し、地価が異常に高騰し続けてきたのだ。

成算のない再開発


 若者の定住を促すため都心にオフィスを増産すべきという主張は正しいのかもしれない。 しかし、有賀氏に限ったことではないが、そのための「切り札」が再開発というのではお粗末 に過ぎるだろう。上述の絶対的私権の下で権利者を合意させるには、他都市よりも雁字搦(がんじがら)めの権利関係が残存する京都ではなおさら困難を極める。現に再開発に限らず、地権者合 意を要する区画整理や道路拡幅といった法定事業が、京都中心部で戦後に行われた実績はない。

 だいたい再開発とは容積率を加算してでも 目一杯に保留床を生み出し、それで得た事業利益をもって地権者合意を促す補償費を捻出するのが常道である。よって、開発後の地価は跳ね上がる。そして、この「規制緩和」を前提とする手法はグローバリゼーションを抑えるどころか、その猛威に拍車を掛ける。

 また、有賀氏は魅力あるオフィス街にするため、その周辺に町家を集積することを主張するが、高容積率の立地に低層町家を並べれば未消化の容積分について莫大な費用負担が生じる。その財源をどうやって確保するというのか。

 私はむしろ「規制強化」、つまり容積率や 「高さ制限」の切下げ(ダウン・ゾーニング)が必要に思う。また、ホテルやマンションの開発を禁ずるよう用途を規制し、固定資産税は高容積消化に対しより多く課税する累進制を採るのは如何だろうか。実際に祇園や清水寺、 嵐山の界隈は厳格な保存規制があってはじめて街並みが保たれているのだ。

 昨今の円安は日本企業の国内還流を促す好機であり、それにより地域の税収と雇用の拡大が図れるはずだ。それにはグローバリゼーシ ョンの席捲を促す地価高騰を抑止せんと、行き過ぎたリベラルを挫(くじ)いて、人びとの私権を押さえ込むこと、そして、そのために大資本に靡(なび) かぬ「政治」が望まれるように思うのだ。

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